2024年08月30日

「遺したい言葉」

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瀬戸内 寂聴 著
NHK 出版 出版

 著者が「これまで言えなかったこと、書かなかったことを言い遺しておきたいので、その相手をして欲しい」と中村裕映像ディレクターに依頼し、実施に至ったインタビュー (2006-2007 年) がもとになっています。

 2021 年に逝去した著者がどうしても言い遺しておきたかったことを、わたしなりに想像してみました。周囲にどう思われようが、進む道を自ら選んできたこと、その際には決断の結果をすべて背負う覚悟で臨んできたこと、実際に不遇をかこつ結果になっても、反骨精神で乗り越えてきたこと、そのすべてがいまの自分をつくってきたことではないかと推察します。

 それぞれのエピソードは、随所に書かれていますが、始まりは、「男が出来たから出ます」とは言わず、「小説を書きたいから出してください」と言って、家を出たことにあるように思います。死んでも小説家にならなければいけないと考えた著者は、その覚悟のあらわれとして、死に物狂いで書き続けたようです。わたしは、この『覚悟』は、ひとを本気で愛する強さであり、恋愛や愚かさも含めた人間のすべてを書き続ける強さであり、新しいことに挑戦し続ける強さではないかと思います。

 70 歳代で 10 巻におよぶ、源氏物語の現代語訳を書いただけでも快挙だと思いますが、80 歳も近くなってから、舞台にかかわるようになり、オペラの台本を書いています。それぞれ新しいことに挑戦する際「やる以上は、モノにしようと思ってますよ」と語っています。

 名を知られたひとが仕事をするのですから、経済的に裕福になろう、これまでの功績を汚さない範囲でやろうといった打算も少しは必要ではないかと心配になるくらいですが、著者自身は、自らの才能を信じていたのではないでしょうか。『芸術ってものは……文学だけじゃないですよ。もう一に才能、二に才能、三に才能、四に才能だって言うんですよね。四に努力くらい、三に努力くらい言ったらいいかもしれないけれどね、努力して出来るもんじゃない。やっぱりそれはね、持って生まれたものですよ』と言っています。だから、才能を授かった者として、お亡くなりになるまで書いたのかもしれません。

 才能があったから強くなれたのか、強さもひとつの才能なのか、覚悟に至る道筋を知る由もありませんが、その決断力に喝采をおくりたい気持ちになりました。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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