清水 幾太郎 著
岩波書店 出版
タイトルの『論文』について著者は、哲学、思想、文化、社会科学方面における『知的散文』といった意味だと書いています。つまり、詩や小説など芸術的効果を狙ったものや自然科学分野の報告などは含まれません。
『知的散文』に限らず、わたしがこれまで意識せずにいたと気づかされたのは『が』の使い方です。著者は、『文章の勉強は、この重宝な「が」を警戒するところから始まるものと信じている』と書いています。重宝というのは、『が』がつなぐ前と後の関係がどうであっても、つなげることを指しています。具体例として、『彼は大いに勉強したが、落第した』という文の『が』をやめて、『彼は大いに勉強したのに、落第した』、あるいは『彼は大いに勉強したので、合格した』と書けば、『が』でつないでいたときに比べ、前後の句の関係がクッキリと浮かびあがってくると著者は書いています。
また、『文章は建築物である』という見出しの項では、極めて緩くしか前後の句をつなげない『が』と違って、『ので』、『のに』、『ゆえに』、『にも拘わらず』などは、二度と離れないよう堅くつなげる接続助詞だと説明されています。つまり、文章という建築物を堅牢にするためには、安易な『が』ではなく、吟味された接続助詞を使うべきだというのです。
もう 1 点、説得力のある解説だと思ったのは、文の長さです。文は、短いほうがよいとする意見もあれば、短い文で奇をてらうことなどするなという意見もあります。この本を読んで、わたしなりの基準がはっきりしました。一度読んですんなりと頭に入ってこないほど主語と述語が離れてしまう、あるいは主語や述語が簡単に特定できないほど修飾語が長くなってしまう場合、見直すべきだと思いました。
著者は、『複雑な内容を正しく表現しようとすればするほど、一つ一つの文章は短くして、これをキッチリ積み重ねて行かねばならないように思う』と、書いています。先の『文章は建築物』という喩えに従うなら、土台 (文の骨組み) をつくり、適切な接続詞や接続助詞を使いながら順番に積んでいくということでしょうか。
著者は、映像がどれだけ発達しようとも、文章は、抽象的観念や未来を描くのに重要だと書いています。それを読み、これからも文章の書き方を学びたいと思いました。

