山田 ズーニー 著
河出書房新社 出版
シリーズのうち、「おとなの小論文教室。」と「17歳は2回くる おとなの小論文教室。(3)」のあいだに出版された本作を読んでいなかったので、読んでみました。読んで、はっとしたことが、ふたつありました。
ひとつは、コミュニケーションの成立要件です。お互いわかりあえないことは、よくあります。話しあったらわかりあえるという考え方を、わたしは幻想だと思っています。ただ、その理由について考えたことがありませんでした。
著者は、仕事上のある経験を紹介しながら、『ゴールのズレているもの同士に、コミュニケーションは成り立たない』と、述べています。つまり、コミュニケーションが成り立つには、なんとなく同じ方向を向いているレベルではなく、きっちりゴールが一致している必要があるのです。たとえば、双方がそれぞれ重要なポイントと信ずる内容を語りあっても、双方のゴールが違えば、ポイントとなることがらも異なり、『「情報」が、「情報」にならず。「伝達」が「伝達」にならない』と、著者は説明しています。そんな対立を経た双方に、わだかまりが残ってしまうこともあり得るでしょう。
では、どうするべきなのでしょうか。もちろん、ゴールを一致させるという意見もあるとは思いますが、著者は、妥協することなく、自らが目指したゴールを実現すれば、相互理解の道が開かれるといいます。わかりあえなかった相手がその成果を見て、こちらの主張に理由があったと納得し、また気持ちがつながることもあるというのです。
もうひとつ、はっとしたことは、悪意の伝播です。著者は、『どうして、悪意は、強いものから、弱いものへ、権力のあるものから、ないものへ、おとなから、こどもへと、はけ口を求めるのだろう』と、書いています。悪意をぶつけられると、ひとは弱いから、悪意を第三者にぶつけて、自らのストレスをリレーしてしまいます。だからこそ、『自分が弱いから、まわりをよくして、世の中をよくして、まわりから支えていただく、という方向も考えなければ』と著者はいい、『今日、よい連鎖を自分から起こせるか?』と、自らに問うています。
ぶつけられた悪意をより弱いものにリレーするのは、いともたやすいのに、よい連鎖を起こすのは、このうえなく難しく感じられます。だから、著者のように、今日、よい連鎖を起こせるか、自らに問い続けたいと思いました。悪意をぶつけてくるようなひとと関わってしまって運が悪かったで終わらせず、なにができるか考えた著者に好感がもてました。

