小池 水音 著
新潮社 出版
第 38 回三島由紀夫賞の候補作品「あなたの名」、「二度目の海」の二篇が収められています。どちらの作品も、封印してきた記憶とそれを思い起こすきっかけとなったできごとが描かれています。封印の理由が直視しがたい事実にあったというのは容易に想像がつきます。そんな辛い記憶にまつわる話、しかも何かをやり直すだけの時間が残されていない老境にあるひとたちの話なのに、両篇ともやさしい気持ちになれる作品です。
おそらく、「あなたの名」に登場する藤野、「二度目の海」に登場する孫など、開けた未来が広がる若い世代のやさしい眼差しが老いたひとたちの現在と彼らの遠い過去に向けられているからだと思います。そして、向き合えないまま目を逸らしてきた過去が誰にでもあり、その過去を抱えたまま逝く身としては、そうあってほしいと思う穏やかなエンディングだからかもしれません。
両作品に登場する人物は、どちらも約半世紀前の記憶にどう向き合えばいいのか、わからずにいます。数字で見れば、果てしなく長い歳月であっても、過去に感じた、期待と現実のギャップ、たとえば自らにかけられた期待と異なる自身の姿であったり、自らが期待していたのとは異なる現実だったりが、どうしても忘れられず、ふとしたきっかけで、その遠い記憶をもてあましてしまうのでしょう。自分やとても近しいひとたちのあいだで起こったことだからこそ、忘れてしまいたくても忘れられず、しっかりと蓋をしてしまうのかもしれません。
「あなたの名」は、 主人公がたどり寄せる過去の記憶がとりとめなかったり、妙に鮮やかさが際立つ部分が混ざっていたりで、冒頭に登場する無機質な AI と対照的で、主人公の記憶がリアルに感じられました。また、わたしのエンディングも、こんなふうに穏やかな気持ちで回想したいと思うような、漂っているような柔らかな描写が印象的でした。
「二度目の海」は、珍しくもない家族間のわだかまりを抱えながら、55 年間も生きてきた女性の凛とした姿、沈黙から滲みでる思いに共感できました。

