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太宰 治 著
新潮社 出版
「新釈 走れメロス 他四篇」の古典を新しく解釈して小説にするというアイデアは編集者が考えたものだと、あとがきで知りました。作家ではなく、編集者がそんな面白いアイデアを出すのだと驚いた私に、もともとのアイデアは、この「お伽草紙」からきていのではないか、と話してくださった方がいました。
それで、読んでみました。以下が目次です。
盲人独笑
清貧譚
新釈諸国噺
貧の意地
大力
猿塚
人魚の海
破産
裸川
義理
女賊
赤い太鼓
粋人
遊興戒
吉野山
竹青
お伽草紙
瘤取り
浦島さん
カチカチ山
舌切雀
近代における大作家の作品は読みづらいのではないか、と思ったのですが、これが意外にも、どの作品も面白く読めました。
その中でもお伽草紙は格別面白い作品でした。なんとも個性的な空想や連想が次々と飛び出してくる上、元の話をかなり細部まで思い出しながら読めるので、なおさらその突飛さが楽しめます。
私が一番笑えたと同時に考えさせられたのは「カチカチ山」。泥船で沈んでしまう狸は37歳でありながら17歳と偽り、嫌われているとも気付かずにしつこく16歳の乙女である兎を追い回しているうちに、ひどい仕打ちに遭うという設定になっています。中年男がひとりよがりで、つまらない見栄を張ってばかりいるところがオーバーに描かれていて笑えます。一方、兎のほうは、そこまでしなくてもと思うくらいに容赦なく冴えない中年男を潰しにかかります。太宰によると世の中で一番残酷なのは処女の女だそうです。
思わず「居る居るこんな人たち」と思ってしまう話が、あのカチカチ山という意外性は、組み合わせの妙ではないでしょうか。
狸が兎によって泥船で沈んでしまうシーン。兎に煙たがられているにも関わらず、勝手に兎を自分の女房だと思っている狸の独りよがりや身勝手さがあまりにうまくセリフになっていて、爆笑してしまうのですが、人間というものはなんともやりきれないものだとも考えさせられてしまいます。
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「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理というものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のような、いや、まるでわからん。お前はおれの女房じゃないか。やあ、沈む。少くとも沈むという事だけは眼前の真実だ。冗談にしたって、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるじゃないか。このお弁当箱には鼬の糞でまぶした蚯蚓のマカロニなんか入っているのだ。惜しいじゃないか。あっぷ!ああ、とうとう水を飲んじゃった。おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切っちゃいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切っても切れねえ縁の艫綱、あ、いけねえ、切っちゃった。助けてくれ!
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と、こんな調子で続きます。
ちなみに、お伽草紙などは、太宰 治の中期にあたる戦後間際の作品だそうです。この作品すべてを通して思ったのは、太宰 治という、知らない人がいないと思われるような有名作家でも、生きることの意味や、欲に対するさまざまな葛藤を持っていたのだということです。気づいてしまえば当たり前のことなのですが、親近感を感じ、違う時期の作品を読んでみたいと思いました。