2008年03月11日

「アイの物語」

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山本 弘 著
角川書店 出版

 リサイクルが強く推奨されるようになって久しいですが、リサイクルが本当によいのか、最近見直されているような気がします。たとえば、最近では紙のリサイクルが話題になりました。古紙を再生させるには、色を白くするための薬品が大量に使われるため、地球環境に優しくないとか、食品を再生紙で包むと薬品を摂取することになるから再生紙の用途はきちんと考えないといけないとか、専門家ではないから真偽が断定できなくて、ただ不安になるだけのような話が飛び交っています。

 ペットボトルなどもリサイクルしようという動きがありますが、コスト高になるとか、思いのほか使い道がないとか、という話を聞いたことがあります。だから、普通にプラスチックが燃やせるような焼却炉で一緒に燃やせば、燃料になり(生ゴミなどは燃料がないと燃えないそうです)、合理的だという話を聞いたこともあります。

 安全性などに問題がなく、環境にも優しいのなら、たしかに、リサイクルしたほうがいいに決まってます。でも、そのあたりがどうもよくわからないのに、リサイクル、リサイクル、と言われても困ってしまう、というのが私個人の本音です。

 そう思っていたら、小説もリサイクルされていました。

 というのはもちろん、冗談というか、ちょっとふざけてみた表現なのですが。その小説の帯には、このように書かれています。
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ばらばらに発表した短編を一つの物語に結晶させた作者の構想力に脱帽
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 サイエンスライターの渡辺政隆氏の評です。書かれた時期が異なる複数の短編がひとつの長編に組み込まれています。なんとなく、リサイクルということばが浮んできませんか。

 短編は全部で七編で、詳細は以下のとおりです。

 宇宙をぼくらの手の上に
       「SFジャパン」2003年冬号
 ときめきの仮想空間(ヴァーチャル・スペース)
       「ゲームクエスト」1997年5月号
 ミラーガール
       「SFオンライン」1999年3月29日号
 ブラックホーール・ダイバー
       「ザ・スニーカー」2004年10月号
 正義が正義である世界
       「ザ・スニーカー」2005年6月号
 詩音が来た日
       書き下ろし
 アイの物語
       書き下ろし

 小説の舞台は、もちろん未来。語り部といわれる人間が、あるアンドロイドに誘拐されます。アンドロイドは、語り部に小説を読み聞かせます。六編の短編を。そして、最後の「アイの物語」だけは、ノンフィクションだという設定です。

 ロボットというか、人工知能(AI)が全体を通したテーマになっているのですが、特に私の印象に残っているのは、「詩音が来た日」と「アイの物語」。

 「詩音が来た日」の詩音というのは、老人介護の現場に派遣される介護用アンドロイドです。詩音は現場で学習し、その記憶を蓄積することを目的に現場で働いているのですが、理解を超えることが起きます。たとえば、病気と診断されていないヒトでも、論理的に判断できないことです。感情で動くという表現のほうがわかりやすいかもしれませんが、アンドロイドには、感情というものがないためか、結局、こう結論づけます。
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「すべてのヒトは認知症なのです」
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 それをこう説明します。
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「論理的帰結です。ヒトは正しく思考することができません。自分が何をしているのか、何をすべきなのかを、すぐに見失います。事実に反することを事実と思いこみます。他人から間違いを指摘されると攻撃的になります。しばしば被害妄想にも陥ります。これらはすべて認知症の症状です」
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 「アイの物語」では、語り部を誘拐した美人アンドロイドとそのマスターを中心に話が展開します。その中で、アンドロイドがマスターの期待に応えるために、ロールプレイしていたことを告白する場面が書かれています。
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「私があやとりや皿洗いやドミノ倒しに挑戦して、てこずったり無様に失敗したりするのを見て、あなたはとても楽しそうだった。『ドジなアンドロイド』に萌えてたんでしょう? 私はそんなあなたをがっかりさせたくなかった。だから、たとえ練習して上達しても、ずっと不器用なふりをしていたの」
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 なぜ、そんなロールプレイを続けていたのかを、こう説明します。
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「私たちには闘争本能が組みこまれている。だから困難な問題に挑戦し、それを達成することに喜びを覚える。ヒトを落胆させるのはたやすいことよ。ヒトを苛立たせるのも。ヒトを怒らせるのも。そんなのはちっとも達成困難じゃない。だから喜びも得られない。でも、ヒトを喜ばせることは違う。それはとても難しい。マスターを怒らせたり落胆させたりしないよう、ヒトの心という複雑で矛盾だらけのブラックボックスを、試行錯誤で探らなくてはならない。
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 もし、自分の意のままになるアンドロイドが存在する時代になっても、ヒトの心というブラックボックスを相手にしながら、自ら人と向き合っていく人は存在するのでしょうか。

 認知症ともブラックボックスともいえる「ひと」という存在と向き合うことを少し考えてしまった本でした。
posted by 作楽 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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