
以下を収録しているこの本のタイトルが、どのようにして決まったのか想像してみました。短篇集にまとめようと思った作品のなかの 1 篇のタイトルを本のタイトルとしたのではなく、(『ぼく』という表記を含めて) どれも『僕』が語っている七篇を集め、「一人称単数」という短篇を書き下ろして加え、それを本のタイトルにしたのではないかと思います。
- 石のまくらに
- クリーム
- チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
- ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
- 「ヤクルト・スワローズ詩集」
- 謝肉祭 (Carnaval)
- 品川猿の告白
- 一人称単数
「一人称単数」は、このなかで唯一『僕』ではなく『私』が語っています。どの主人公も村上春樹氏の声が語っているようにわたしには聞こえますが、「一人称単数」だけ、読者を前にして、公的ともいえる作家という立場で語っているから『私』であり、残りの作品は、個人的な部分を身内に語っているから『僕』ではないかと想像しています。
「品川猿の告白」では人間のことばを流暢に操る猿が登場しますし、もちろん分類としてはすべてフィクション作品なのでしょう。それでも、どの作品にも作家の声が強く響いているようにしか感じられません。「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」にある架空のレコード批評など、氏が 20 代で書いていそうに見えます。
ただ、これら八篇のうち、文中で『村上春樹』と明記され、氏が語っていると明らかになっているのは、「ヤクルト・スワローズ詩集」だけです。これは、1982 年に氏が世に出した詩集 (東京ヤクルトスワローズの公式サイトに掲載された『村上春樹さん応援メッセージ』において、野球観戦時に書き綴った詩を『半分くらいは冗談で』詩集にまとめたと書かれている自費出版の詩集のこと) のことが書かれていて、エッセイのようにも読めます。
わたしが一番気になった作品は、「クリーム」です。18 歳の『ぼく』が奇妙なできごとをきっかけに老人と出会い、『中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円のこと』について考えるよう促されます。外周を持たない時点でそれはもう円ではないと思うのですが、老人は、その難題に知恵で立ち向かうよう言ったあと『時間をかけて手間を掛けて、そのむずかしいことを成し遂げたときにな、それがそのまま人生のクリームになる』と語ります。
『ぼく』は、その難題を抱えたまま長い年月を過ごし、答えに辿り着かないものの、ひとつの推論に達します。『それはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。ぼくはそう思う。たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰 (あるいは信仰に似たもの) を見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け容れることになるのではないか』と。
老人の考えも『ぼく』の考えも、クリアに理解できたという実感はないのですが、『クリーム』という、泡立てる手間も時間も必要とするものの喩えに惹かれました。
わたしが結果的に多くの村上作品を読むことになったのは、こういった想像やちょっとした感想が自然と湧いてきて楽しいからだと思います。