2021年03月05日

「がんから教わるワンショットセラピー」

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中本 雅子 著
文芸社 出版

 家の整理をしていたら、この本が出てきました。著者のサインと 2005 年 10 月 27 日という日付のそばに Givers Gain, Takers Lose と記されていました。

Dr.チャック・スペザーノのセルフ・セラピー・カード 」の講座に参加した際、そのインストラクターが出版された本にサインしていただいたのです。

 昔のことなので、すべてを覚えているわけではないのですが、著者であるインストラクターが、がんと診断され闘病したことをきっかけに、それまでご自身が教えていたことを必ずしもご自身で実践できていなかったことに気づいたとおっしゃっていたことが印象的でした。

 この本に書かれてあります。『自分の研修の中で、人に「こんなわけない、じゃなくて、こんなわけあるんですよ。間違いなく、これがあなたの人生なんですよ〜」と、偉そうに言っていた』のに、ご自身は、『なんで、私はがんなんだ!』と、受け入れられずにいたそうです。そして、いくばくかの時間をかけて『自分の人生が、これなんだと実感することを「気づき」と呼ぶのだとつくつく』思うようになったそうです。

 研修の講師をされてきた立場で、そんなことを認めてしまっていいのかと思いましたが、その誠実な発言が印象に残る方でした。

 そのほか、この本に登場する、『ゴキゲンに人生を過ごしている人は、自分にとって嫌なことが起きても、それにつける解釈を三個以上、即座に選択することができる』という考え方にも共感できました。

 たとえばある独身女性がこう言ったとします。『私、乳がんかと心配で心配で、訪ねた病院の先生は「ご主人と話しましょう」と言ったんです。私は独身なんですよ! ひどいと思いませんか?』彼女のように医師が悪いと責め、自分を被害者に仕立てるのは簡単です。

 でも、こう思うこともできます。誰かほかの患者さんと勘違いしたのかもしれないし、結婚している人が醸し出す落ち着いたムードを自分がまとっていたのかもしれないし、その医師は勉強ばっかりしていまの職業に就いたので、人の微妙な心の機微について思いやる訓練はなされていないのかもしれないし……。どちらが機嫌よく過ごせるかは、比べるまでもありません。

 また『心の平和は、人から何かしてもらうことを考えている限り、やってこないもの』だという考え方も、そのとおりだと思います。これだけやってあげたのだから、あの人もこれくらいやってくれなきゃと、すべてを交換をベースに考えると、常に腹立たしさを抱えて過ごすことになります。そういう人に限って、自分が他者にしてあげたことは一生忘れないのに、他者からしてもらったことは一瞬で忘れるといったことも起こりがちです。

 こういった考え方が、サインに添えられた Givers Gain, Takers Lose (与えて人は得て、もらって人は失う) にあらわされているのだと思いました。
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2021年02月26日

「16 歳からのはじめてのゲーム理論」

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鎌田 雄一郎 著
ダイヤモンド社 出版

 新聞でもよく見かけるようになった『ゲーム理論』とは、複数の主体が相互依存関係のもとで、いかなる行動をとるべきかを考察する理論で、その応用範囲は、ミクロ・マクロの経済、マーケティング、政治 (例:国際関係) など広範囲におよびます。

 数学者フォン・ノイマン (J. von Neumann) 氏と経済学者モルゲンシュテルン (O. Morgenstern) 氏の共著「ゲームの理論と経済行動」(1944年) がその出発点だと言われているだけあって、社会で見られる現象を数理的に解明し、最適化するにはどうすればいいのか、どのように均衡が保たれているのかといったことを数学モデル (計算式) を使って明らかにしてきた分野のようです。

 ただ、この本では、ゲーム理論をそういった難しい数学の問題と見るのではなく、どのようにものごとを見て考えるかを、日常のできごとを例に伝えています。

 たとえば、「なぜ人は、話し合うのか」という章では、新人歌手を発掘するふたりの人物が登場します。この敏腕コンビは、誰をデビューさせるか、いつも時間をかけて話し合って決め、その結果デビューした歌手は基本的に売れていました。それが、あるときを境にふたりは仲違いをし、話し合いをやめてしまいました。それでも、彼らの人選に関する意見は一致することがほとんどでした。しかし、そうして選ばれた人材はデビューしても売れなくなりました。

 話し合いは、ひとつの結論を導き出すため、つまり意見を一致させるために行なうことのように思いがちですが、このストーリーが伝えようとしているのは、たとえ意見が一致していてもさらに話し合うとふたりとも意見を変えうるということです。つまり、話し合いによって、成功には遠い意見の一致から、より成功に近い意見の一致に変わることがあることを知るべきだということです。

 これは、ジョン・ジーナコプロス氏とヘラクリス・ポレマルカキスによって 1982 年に発表された論文「We Can't Disagree Forever (訳:我々は永遠に見立てを違えるということはない)」がもとになっているそうです。著者は、人と人とがお互い何を考えているかを探り合うゲーム理論の醍醐味が詰まった論文だと評しています。この本に収められたストーリーのうち、複数の主体が協力関係にある事例として一番おもしろいと思えました。

 そのほか、複数の主体が非協力関係にあるストーリーもありました。老舗のケーキ店の近くに新しくお洒落なケーキ店がオープンし、老舗の店からお洒落な店へ偵察に行ったところ、ケーキが 340 円で売られていることがわかったという話です。老舗では 350 円で売られているので、10 円だけ安くしたわけです。

 こういう状況では価格競争が起こり、値段が材料費まで下がるという論文が 1883 年に発表されました。しかし、利益を失うような決断は現実的ではなく、その後も研究は続き、1971 年、ジェームズ・フリードマン氏が「A Non-Cooperative Equilibrium for Supergames (訳:スーパーゲームの非協力的均衡)」が発表されます。スーパーゲームというのは『長期的関係』を意味する専門用語です。

 競争するふたつの店は、非協力的な関係にあり、また長期的にかかわりうる関係にあります。つまり、お互い自分の利益のみを追求しても、現在の均衡を保ち価格競争に陥らないよう、お互いに協力するような関係が築かれる可能性があることを証明しています。こういった関係の数理的分析は『繰り返しゲーム』の理論と呼ばれているそうです。

 自分だけ、あるいは自社だけで完結することは、世の中にはそうありません。ゲーム理論が幅広く応用される理由がわかった気がします。
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2021年02月24日

「NOT DOING, BUT BEING 「在宅訪問薬剤師」奮闘記」

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日本調剤株式会社 在宅訪問薬剤師ブログ書籍化プロジェクト 著
幻冬舎 出版

 この本は、もともとブログで紹介されていた、在宅訪問薬剤師の活動をまとめたものです。

 タイトルの Not Doing, But Being は、イギリスの医師で、緩和医療の礎を築いたデーム・シシリー・ソンダース (Dame Cicely Saunders) 氏のことばだそうです。ブログの内容を書籍化したプロジェクトの方々は、ソンダース氏のことばを次のように解釈されたそうです。
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苦しい治療がすべてではない――。患者さまの苦痛を和らげながら、言葉と心に耳を傾け、そっと寄り添う。人生の大切な時を、その人らしく生きてもらうために、私たちはそこにいるのだから。
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 病院で緩和ケアを勧められたときの心の動揺は大きいものです。いまここで終わるわけでもなく、治ったあとのことを考えられるわけでもなく、残りの時間をどう乗り切ればいいのか、わからないのが普通だと思います。そんなときに、こんな考えを持った方の存在を知れば安らぎを覚えるでしょうし、そばにいてもらえれば救われるのではないでしょうか。

 この本に収められているストーリーは全部で 12 あり、自宅で緩和ケアを受けている患者のもとを訪れる薬剤師の話ばかりではありませんが、それぞれ色々な制約のもとで、ベストを尽くそうとされる薬剤師が登場します。

 認知症を患って規則正しく薬を服用できなくなった方、幼いながら重い病気と闘う子供など、それぞれ事情が異なります。そのそれぞれの違いに対し常に臨機応変に、メンタルケアの一面も担いながら、薬を届ける以上の活躍をされる薬剤師の方々の姿からは、ひたむきさが伝わってきました。
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2021年02月06日

「枕詞の暗号」

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藤村 由加 著
新潮社 出版

 ミステリーのようなタイトルですが、枕詞に『秘めたる暗喩』があるという推測のもと、どのような解釈が成り立つか検討されています。

 取りあげられている枕詞は、いかるがの、あまとぶや、あをによし、とぶとりの、とりがなく・あさひてる、あさもよし、あらたまの、たまだれの、やすみしし、ちはやぶる、あしびきの、たらちねの、あまかぞふ、たまかぎる、たまぼこの、たまづさ・たまゆら、たまきはる、たまだすき、うつせみの、あぢさはふ、さざなみの、ひさかたの、ぬばたまの、そらみつ、あきつしま、しきしまの、やくもたつ、などで、かなりの数になります。そのほか、枕詞には分類できないであろう修辞語もいくつかあります。

 枕詞は『習慣的に特定の語につづけて、主文に関係なく直接下の語を修飾する』(平凡社世界大百科事典) とされていますが、歌は形式上、字数制限が厳しく、たいして意味もないことばを入れたりしなかったはず……というのが著者の意見で、その点はとても説得力がありました。『古代中国や朝鮮のことばや思想、そのすべてに秀でた歌人の手によって凝縮されたことばのエッセンス』が枕詞だったと著者は考えています。

 現実的には、この本で披露されている解釈が正しいかどうかはわかりませんが、解釈を読み進めていくうちに、その時代に中国や朝鮮から取り入れた文化や価値観などに触れることができる点は、優れていると思います。

 著者は、あとがきで次のように語っています。
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枕詞は実に多彩な色合いを放っていることに改めて驚いた。朝鮮語音、字形分解、字源、漢語を和語にしたもの、陰陽五行、易の思想など、すべて漢字という器があったからこそ成し得たことだった。
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 たとえば、学校で習った『春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天香具山 (春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山)』。なぜ、あめのカグヤマと香具山を天でわざわざ修飾しているのかは、説話の影響だと著者は考えています。天にあった山が地上に降りるときに分かれ、ひとつが倭 (大和) の香具山に、もうひとつが伊与 (今の松山) の天山になったという物語がもとになっていると言うのです。

 しかも著者は、このなかに五行説が盛り込まれていると解釈しています。まず、『香具山』は大和から見て東にあり、東は五行で『木』にあたります。季節の移り変わりを意味する『夏来たるらし』は、『木→火』への移行を指し、『白』が『金』をあらわすと推測しています。後半の『衣乾有天之香具山』のうち『乾』のひと文字が北を意味することから、五行の『水』(北の位置)にあたり、『天』で東の香具山に戻ると考えているわけです。

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 信憑性はともかく、知的な連想ゲームに思えました。
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2021年02月04日

「嫌いなことから、人は学ぶ」

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養老 孟司 著
新潮社 出版

 嫌いなことからは遠ざかりたいと常に考えてきたので、嫌いなことからも何か吸収できるものなら、そうなりたいと思って、この本を手にしました。

 しかし、嫌いなことから学ぶことをテーマにした本ではありませんでした。「考える人」2005 年春号から 2008 年冬号までに掲載された内容がもとになっていて、テーマは多岐にわたっています。巻末の内田樹氏との対談のみ、この本のために追加されたそうです。そのため、「まともバカ―目は脳の出店」を読んだときと同じように重複による煩わしさを多少感じました。

 イメージしていたのとは少し違う内容でしたが、確かにそうだと納得して学べたことが数多くありました。それと同じくらいわからないこともありましたが、わからなかったことをどう受け止めればいいかは、内田氏が対談で語っていた内容が印象に残りました。

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『わからない』というのは、『わからないので今すぐ教えてください』という話ではなく、『この辺がわからないけど、気長に片付けよう。まだ自分には修業が足りないので』という『わからなさ』だからいいんです。『わからないから教えてください』というのは横着なんですよ。読んでわからないのは、わかるだけのレベルに達していないということなんだから、『ああ、わからない、わからない』と思いながら、『デスクトップ』に置いておけばいいんです。デスクトップに置いてあると、いつも気になっていて、何年かたって開くとささっと読めた、ということになる。だから、たくさんわからないところがある本はよい本だとぼくは思っているんです。そこから始めればいいんだから。
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『わからない』から読まないでもなく、『わからない』から訊くでもなく、『わからない』から修行を始めるという考え方には、はっとさせられました。逆に、読んでわかったことというのは、わかるための修行が終わっている状態で、ただ理解できていることの存在に気づかされただけなのかもしれません。

 養老氏が語っていたなかで、腑に落ちたのは、世界の見方は、言語の性質に影響を受けているという考えです。

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階層性の感覚は、日本人には乏しいといわれる。それは文章に関係代名詞が欠けているからだ、と。関係代名詞があると、単一の文章のなかに、主と副という「階層」が発生する。西欧語では、こうした階層が日常的なのである。しかも階層は一段階あればいいので、あとはそれこそ『同じこと』を積み重ねていけば済む。もう一つ、すでに古く論じたことだが、西欧風の還元主義はアルファベットと関係している。私はそう思う。英語であれば、26 文字と空白、コンマ、ピリオドで世界を描くことができる。それなら世界のあらゆる物質を、百の原子の集まりとして記述することに、抵抗感がなくて当然である。こうして世界の見方は、当たり前だが、言語の性質に大きく依存する。言語は意識の機能で、それなら科学を論じるよりは、そちらを論じるほうが先ではないか。というふうに話はどうしても意識の一般的性質に戻る。しかも世界のあらゆる言語は、意識の性質をよく反映しているはずである。それなら同一性、差異、階層性、こうしたすべては意識が基本的に持っている性質に違いない。意識のそうした基本的性質を吟味することが、本来の哲学の役割であろう。これを意識の博物学といっていいだろうと私は思う。ところが意識の博物学が意外にかけていたのである。私が教育を受けた時代に、すでに博物学は時代遅れの学問だったからである。意識にはどれだけの種類があるか。それすらよくわかっていない。
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 IT 業界の仕事を長くしていると、文字の数がさまざまなことに大きく影響してきたことを実感します。しかし、還元主義とも関係していたとは思いもしませんでした。世界の見方、特に還元主義と言語の性質の関連性は、興味深いテーマでした。

 ただ、『意識の種類』には、具体的にどういった例があるのか、ピンときませんでした。これから修行したいと思います。
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