2024年08月29日
「Hearts in Atlantis」
Stephen King 著
Pocket Books 出版
以下が収められた中短篇連作です。
(1) 1960 Low Men in Yellow Coats
(2) 1966 Hearts in Atlantis
(3) 1983 Blind Willie
(4) 1999 Why We're in Vietnam
(5) 1999 Heavenly Shades of Night Are Falling
連作としての構成に意外性があったこと、さらに 40 年という長い月日にわたって描かれる、ひとの『気持ち』とか『思い』のようなものに共感できたことが、印象に残りました。
これらのなかでもっとも長い作品 (1) の登場人物のその後が、続く 4 つの作品に描かれています。(1) の中心にいた Theodore (Ted) Brautigan と Robert (Bobby) Garfield のその後は、掌篇の (5) に短く描かれるだけで、3 つの短篇では Bobby のガールフレンド Carol Gerber や Bobby の親友 John Sullivan、Bobby とは友だちですらなかった Willie Shearman が描かれていて、Ted や Bobby のその後を期待しながら読み進めたわたしは、虚を衝かれました。
(2) は、ベトナム戦争の時代です。正義だと信じる『思い』は、ひとの数だけあり、自らが信じた正義に向き合うことが難しいこともあり得ると痛感しました。(3) も (4) も過去を引きずっているひとたちの『気持ち』のやり場がないように思えました。
ただ、ひとりの人間がほかのひとと出合い、別れ、ふたたび接点のできる場面の数々を読むと、ひととひとの結びつきは、一緒に過ごした時間の長さや互いが住む場所の距離にはかかわりなく、『思い』の強さで決まるのだと思いました。違う道を歩むことになり、会うこともないとわかっていても、自分にとって相手が大切なら、思い続けることに意味はある気がします。たとえば、Carol は、元恋人に送った手紙に、自分たちが行先の異なる別の列車に乗っているとしても、ふたりで過ごした時間を忘れることはないと書いています。そのことばには心から共感できました。
また、Ted は、Green Mile に登場した John Coffey を思わせる、不思議な力をもっています。そんな Ted と Bobby のつながりは、ふたりで過ごした時間の短さや別れを選ばざるを得なかった事情とは関係なく、時間や空間を軽々と超え、Ted は、不思議な力で Bobby に大切なものを届けます。送った Ted の思いも、それを受けとった Bobby の気持ちも、わかった気がしました。
この作家の、不思議な力そのものではなく、それを通してひとを描いた作品は、わたしにとって読み応えがあります。
2024年08月01日
「Not a Penny More, Not a Penny Less」
Jeffrey Archer 著
Pocket Books 出版
読みたいと思う本が次から次へとあらわれるため、気に入った本でも再読することは、滅多にありません。でも、この本は、初めて完読した英語の本なので、また読んでみました。
学生だった当時も今回も、詐欺被害者たちが詐欺師を 3 回も騙し、首尾よく大金を取り戻す姿に喝采を送りたくなったことも、結末に驚いていいのか溜息をついていいのか戸惑ったことも変わりはないのですが、変わったこともありました。
実業家であり詐欺師でもある、Harvey Metcalfe が株式を使って仕掛けた詐欺のスキームを当時はあまり理解できなかったのですが、いまなら如何にシンプルな詐欺だったかよく理解できます。社会に出て、株式市場などの基礎知識が身についたせいでしょう。
Harvey に大金を騙しとられ、それを取り返そうとする 4 人組、Stephen Bradley、Robin Oakley、Jean-Pierre Lamanns、David Kesler に対し、初読時は Harvey を緻密に調べあげ、チームを率いた Stephen に憧れつつ、David がチームのお荷物にならないかハラハラしましたが、今回は意外にも David に憧れを感じました。気力も体力も充実していたころなら、わたしも Stephen のようになれたかもしれないと思ういっぽう、David には絶対なれないと知ったからかもしれません。
長い時を経て同じ本を読むと、何かを得られることもあるようです。今回の再読では、自らの変化を知ることができました。また、長い時が過ぎると、社会が大きく変わって、小説のちょっとしたモノやコトに違和感を感じることも多々あるいっぽう、ひとを欺いていても、自分は騙されないと信じる人間の愚かさのようなものは変わらず、すんなり受けいれられるのだと感じました。
2022年01月23日
「Bag of Bones」
Stephen King 著
Pocket Books 出版
本作品を書いたスティーヴン・キングのようなベストセラー作家 Michael Noonan が主人公で、36 歳という若さで 34 歳の妻 Johanna を亡くすところから物語は始まります。脳の動脈瘤が破裂して薬局の前で亡くなった妻のバッグからは、家庭用妊娠検査薬が見つかります。亡くなる直前に妻が買い求めたようですが、Michael は、妊娠の可能性を聞かされていませんでした。Noonan 夫妻は、子供が欲しいと思っていて、もし女の子なら Kia (season's beginning を意味するアフリカの名前) にしようと考えていたくらいなので、妻の行動は不可解に見えます。
しかし、そこはホラー作家スティーヴン・キングの作品ですから、妻に愛人がいたというメロドラマの展開にはなりません。Michael は、妻の死後、スランプに陥り、まったく書けないまま 4 年ほどの歳月が流れます。そのあいだ、頻繁に気味の悪い夢に見舞われ、書こうとすると発作のような苦しみに襲われるなか、ほんの少しずつですが霊の存在を信じるようになっていきます。
そして、書き溜めておいた作品も底をつき、年 1 冊ペースの新作発表を維持するのが難しくなり、Sara Laughs と呼ばれる、湖のそばに建つ別荘で当分暮らすことにしました。この別荘は、1900 年頃から建つ歴史ある建物で、幽霊の存在が暗示されても、なんとなく受け入れてしまうような描かれ方をしています。
別荘に滞在するようになってまもなく、Michael にとって大きな出来事がふたつ起こります。ひとつは、Kyra という 3 歳の女の子を育てるシングルマザー Mattie と知り合って好意を抱くようになり、その親子を支援したいと思うようになります。Mattie は、亡き夫の父親 Max Devore に娘の親権を奪われそうになっていました。Max は莫大な資産を有する実業家で、Mattie は、安定した職に就く機会に恵まれず、トレーラーで暮らしていたため、不利な状況にありました。もうひとつは、妻が Michael には内緒で別荘に来て、男性と行動を共にしたり、プラスチック製のフクロウを購入したり、Michael の先祖について調べたりしていたことが判明します。
親権の奪い合いといった、地位や金銭がものをいう現実的な闘いが進行するいっぽう、Michael は、心霊現象としか言いあらわせないような不思議な経験を重ねていきながら、妻の不可解な行動の理由を調べていきます。読んでいて、物語が裁判沙汰へと続くのか、ホラーに向かっているのか、ロマンスに発展するのかが見通せず、目が離せなくなりました。そしてついに、タイトルの Bag of Bones へと辿りついたとき、この物語が描いているのは、幽霊といった目に見えない存在そのものではなく、社会問題なのではないかという印象を受けました。
親から子へと社会的な立ち位置や生き様が引き継がれたり、狭いコミュニティでは同調圧力に与しやすくなったりする傾向があるのは、万国共通かもしれないと思いました。また、白人だから、男性だから、社会的地位があるから、財産があるから、そういったことを理由に、自らが偉大だと勘違いした者が他者を踏みにじったとき、その虐げられた者の思いには行き場がないということも、どこの土地でも変わりはないのだと痛感しました。
2021年12月10日
「Happiness Is … 500 Things to Be Happy About」
Lisa Swerling/Ralph Lazar 著
Chronicle Books LLC 出版
幸せな気分になれることが数多く並び、ほのぼのとしたイラストがそれぞれに添えられています。そんなことが人生に起これば、間違いなく幸せだと思うようなこと (sharing life with your soulmate) から、そんなことなら毎日幸せを見つけられると思うようなこと (bubblegum) まで次から次へと登場します。
この本の作家たちに比べ、わたしの幸せは範囲が狭いようで、それは幸せでもなんでもないと言いたくなるようなことも含まれています。たとえば、when a ladybug lands on you とか、a snow globe などです。わたしの場合、てんとう虫が向こうからやってきてとまったら、パニックになりそうですし、スノードームは、子供騙しの代名詞のような品で落胆しそうです。
そのいっぽうで、気づかなかったけれど、それも幸せかも……、そう思えるものもありました。登場順にあげてみます。
- music that takes you back
その音楽を頻繁に聞いていたころの光景が走馬灯のように浮かび、いっとき懐かしい気分に浸れます。
- staying in on a Friday night
金曜日の夜、明朝早起きをする必要もなく、家でのんびりしているときに感じる開放感は、やはりちょっと幸せです。
- looking forward, not back
過去を振り返り、同じ話を繰り返して過ごすのではなく、日々の移り変わりのなか、この先を思い描きながら過ごせることは、いまは当たり前に感じていても、過ぎ去れば幸福そのものなのかもしれません。
- when someone stands up for you
ことを荒立てたりせず、我慢してしまったほうが……と思うことも多いのですが、やはりこういう状況になれば、うれしく感じてしまうものです。
- good health
健康のありがたみがわかるようになりました。
最後は、失ってしまった幸せに気づいたケースです。
- finding a new book by your favorite author
書店で 1 冊の本を手にとっているイラストが添えられてあります。今のわたしの場合、気になる作家の新刊が出ると、メールが送られてくるよう設定してあり、見逃す心配がありません。かつて、ふと立ち寄った書店で、お気に入りの小説家の新刊を見つけたとき、意外なご褒美をもらったような気分が味わえたものですが、そういった経験を忘れていたことに気づきました。
毎日がつまらない、楽しくない、そう思ったときにお勧めの一冊です。イラストもかわいいので、癒されます。
2021年06月01日
「Kiss Kiss」
ロアルド・ダール (Roald Dahl) 著
Penguin 出版
おとな向けのロアルド・ダール作品を読んだのはこれが初めてで、児童向け作品のイメージが強かったせいか、この短篇集に感じられる、ある種の怖さが意外に感じられました。背筋の凍る悪夢のような怖さとは違い、怖いけれども見たいという思いに囚われるような怖さです。物語の終わりに待ち受けているであろう、大きく深い落とし穴がどんなものか見てみたいと思わせられます。
以下の 11 篇に共通するのは、結末に至るまでに、極端に非現実的なシチュエーションや表現しにくい違和感が満ちていて、恐れと可笑しみが隣り合わせに感じられることです。
- The Landlady
- William and Mary
- The Way Up To Heaven
- Parson's Pleasure
- Mrs Bixby and the Colonel's Coat
- Royal Jelly
- Georgy Porgy
- Genesis and Catastrophe
- Edward the Conqueror
- Pig
- The Champion of the World
「The Landlady」は、恐ろしい女主人の正体がわかった気がするのに青年の立場からそれを認めたくないという不気味さがあります。「William and Mary」や「The Way Up To Heaven」には、積年の怨みを晴らさんとする妻に恐ろしさを感じるだけでなく、時代背景を考えると妻の気持ちがわかると思った自分も怖くなりました。
「Parson's Pleasure」では、アンティークショップの主人が、アンティークではないと偽って、高価な家具を二束三文で買い取ろうとし、「Mrs Bixby and the Colonel's Coat」では、Bixby 夫人が自身のものとしてが身につけることができないものを夫を騙して堂々と手に入れようとします。いずれも、小賢しく驕った態度が陥る罠の恐ろしさを思い知らされます。
「Royal Jelly」は、養蜂家の父親が乳児にローヤルゼリーを飲ませた話です。食欲のない乳児を心配する母親とローヤルゼリーの価値を過大評価する父親のすれ違いは日常的な不協和音に見えますが、母親の不安が伝わってくるせいで、洗脳されたような父親と乳児の成長が不気味に感じられます。エンディングでは、一気に恐怖の底に落とされたような感覚に襲われました。
「Edward the Conqueror」は、自宅にふらりとやってきた猫が、19 世紀に活躍した作曲家フランツ・リストの生まれ変わりだと信じる妻の話です。彼女の逞しい想像力に、物語の結末が気になって仕方がなかったのですが、個性のかけらも見いだせない夫の対応を結末として見せられ、一気に現実に引き戻されました。
非現実的な設定で始まるものの、一種の幸運が続く「Pig」は、若者がしたたかな大人たちに財産をむしり取られるあたりから雲行きが怪しくなり、結末では宮沢賢治の「注文の多い料理店」が思い出されました。
「The Champion of the World」は、悪事を働いたふたりにどんな結末が待ち受けているのかと恐る恐る読み進めたのに、意外なことに、悪事は滑稽なかたちで暴露されることになります。
これらの作品で、まったく理解できなかったのが、「Georgy Porgy」と「Genesis and Catastrophe」です。「Georgy Porgy」では、当事者の視点と外からの視点の乖離が描かれているのですが、神経を病んだ人の妄想をどう受けとめていいのか、わたしにはわかりませんでした。
「Genesis and Catastrophe」では、世界的大惨事を引き起こした、実在の人物の生まれが描かれています。第四子として生まれた彼の母親は、それまでに三人の子たちを亡くしているために、その子も死んでしまうのではないかと極度の不安に襲われています。読者は、その母親の痛みに寄り添いながら読み進めるでしょうが、中盤になって、その子が誰なのか判明します。その場面で、作者がどういった反応を読者に期待していたのか、わたしにはわかりませんでした。読者に、どう反応していいかわからない嫌な気持ちにさせたかったのでしょうか。
表紙に 'Unnerving bedtime stories, subtle, proficient, hair-raising and done to a turn' San Francisco Chronicle とあります。
不安を煽る絶妙な匙加減ということでしょうか。心配性のきらいがあるわたしには、「Charlie and the Chocolate Factory」のような作品のほうが向いている気がしました。