2022年06月22日

「パッシング/流砂にのまれて」

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ネラ・ラーセン (Nella Larsen) 著
鵜殿 えりか 訳
みすず書房 出版

『ハーレム・ルネサンス』(一般的に 1910 年代末から 1930 年代半ばを指します) と呼ばれる、アフリカ系アメリカ人による初めての文化活動 / 現象が、大きな盛り上がりを見せた時代に活躍したネラ・ラーセンの小説「パッシング」と「流砂にのまれて」が収められています。

 ラーセンは、黒人の父親と白人の母親とのあいだに生まれましたが、すぐに父親を亡くしました。そののち、母親は、白人男性と再婚して子をもうけたので、ラーセンは、白人家庭のなかで唯一の黒人として育ったことになります。その過去がこれらの小説に色濃くあらわれているように思います。

 タイトルになっている「パッシング」は、この本で次のように説明されています。

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主として肌の色の白い黒人が、自らを白人を偽って行動する実践を意味する。(中略) 長きにわたり、黒人の血が一滴でも入っていれば『黒人』とみなすという、いわゆる『ワン・ドロップ・ルール』に基づいて人種分類がなされてきた。その結果、たとえ白人と違わぬ外見であっても『黒人』として登録される、という不条理な事態が起きていた。そうした制度の間隙をぬって、偽って白人と申告し、より有利な職業選択や生活上の自己実現を求める黒人たちが、とくに人種隔離を合憲としたプレッシー判決 (1896 年) 以降数多く現れた。
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「パッシング」の語り手アイリーンは、ある日、12 年ぶりにクレアと再会します。交流がなかったあいだにクレアは、パッシングしていました。白人の夫に、自身の祖母が黒人であることを打ち明けることなく、白人として結婚し、娘をもうけていたのです。
 
 自らが黒人であることが周囲に知られないよう、親戚や友人たちとの付き合いを絶っていたクレアは、長年の孤独から逃げるかのように、アイリーンと頻繁に会いたがります。いっぽう、アイリーンのほうは、自らが嫌悪するパッシングをしているクレアの危険な秘密を共有することを嫌いながらも、『本能的な人種への忠誠心』のために秘密を守り続けます。

 パッシングという行為を実践している者ではなく、その秘密を知る者の心のうちを読むうち、自らが属する人種への忠誠心というものがわからなくなりました。黒人という人種を捨て、白人として生きることを選んだ友人の秘密を守り抜くのは、同じ人種に属するからという理由なのです。それと同時に、アイリーンは、クレアを排除したいという願望を秘めているように見受けられます。そこに矛盾のようなものを感じずにはいられませんでした。

 いっぽう、「流砂にのまれて」の語り手ヘルガ・クレインは、父親が黒人で、母親が白人です。黒人として生きることになる立場であるものの、自らが黒人にも白人にも属さないように感じているように見えます。

 米国の黒人社会で働いているヘルガは、こう描写されます。『自分自身の人種的特徴にもかかわらず、これら人種隔離されている黒い肌の人々に彼女は所属していなかった。』そののち、おばを頼ってデンマークに渡って暮らすようになったヘルガは、自らが所属していない人々を思い出します。『肌の色の白い生まじめな顔をした人々としか出会わないとき、ヘルガは笑っている褐色の顔が見たいと願った』のです。

 どこに行っても、そこから逃げ出したくなるヘルガの気持ちの根底には、白人でも黒人でもあると同時に、白人でも黒人でもない自身がいるのではないかと思えました。肌の色が違う人と接しながら育っていないわたしには、わかるようなわからないような心境でした。

2021年03月25日

「探偵になりたい」

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パーネル・ホール (Parnell Hall) 著
田村 義進 訳
早川書房 出版

 レイモンド・チャンドラーが生んだ、私立探偵フィリップ・マーロウとまではいかなくとも、『探偵』ということばには、なんとなくかっこいいイメージがつきまといますが、この作品の主人公はその対極に位置する中年男性です。

 作家を目指すも挫折し、ニューヨークで探偵のライセンスを取得して事故専門の調査員をするスタンリー・ヘイスティングズは、弁護士事務所からの依頼で、修理されないまま放置された階段や道路につまずいて怪我をしたような人たちを訪ね、弁護士への依頼書を書かせる仕事を時給いくらで引き受けています。依頼人を代理して損害賠償を請求をする弁護士は、成功報酬制で高い収入を得ているいっぽう、スタンリーは指示された単調な書類仕事をこなし、稼働した時間分だけを弁護士事務所に請求する低所得フリーランスです。

 しかもスタンリーは、養うべき 5 歳の子供と妻を抱え、輝かしい未来を想像することも難しくなった 40 歳です。そんな世間の私立探偵のイメージとはかけ離れた彼のもとへ、ある日ひとりの男があらわれ、自分は殺されそうだ、殺されるくらいなら自分を殺そうとしているやつを殺そうと思っている、ついてはそいつを突き止める手助けをしてほしいと依頼されます。

 もちろんスタンリーは、断ります。そんな度胸も、スキルもありません。でも、その男は実際に殺され、スタンリーは思わぬ行動に出ます。その男が打ち明けていた、殺されると思うに至った経緯をもとに、犯人を割り出そうと動き出したのです。

 内情がすべてわかっていたとはいえ、容赦なく人を殺す犯罪者をひとりで突き止めるのは容易なことではありません。また、一緒に暮らす妻に本来の仕事を休んでいることを隠し通すことも容易ではありません。

 嘘の言い訳をしながら、慣れない尾行や潜入捜査に苦戦し、それでもスタンリーは、自分なりに納得のいく結果を出します。物語は、常にユーモラスな語りで、スタンリーのいろんなへまを交えながら、少しずつ核心に近づいていき、わたしにとって程よいリアリティと程よい虚構で、最後まで飽きさせることなく進んでいきます。

 この本は 30 年以上も前のものですが、懐かしくなって 20 数年振りに読み返しても、また楽しめました。