
伊坂 幸太郎 著
朝日新聞出版 出版
ニーチェの「Also sprach Zarathustra (ツァラトゥストラはこう語った)」を再読した著者が『永遠回帰』という考え方にはっとさせられ、本作品を書いたそうです。(『永遠回帰』は、人間は同じ人生を永遠に繰り返すという考え方で、現世で立派に生きれば、死後、幸せになったり生まれ変わったりするという、宗教によく見られる観念を否定するものです。)
タイトルのペッパーズ・ゴーストとは、そこに存在しないものを見せる、ボーカロイドのライブなどで使われる、投影方法のひとつです。本作品では、テレビで大々的に報じられた事件が実は、世間を欺く芝居だったのではないかという疑念が生じた場面で、事件がペッパーズ・ゴーストだったのではないかと語られます。
わたしには、『永遠回帰』は、同じことが繰り返されていると思えばそう見えるし、そう思わなければそう見えないだけのことのような気がして仕方ありませんでした。
本作品では、小説の登場人物にとっての人生は『永遠回帰』だと仄めかされています。たしかに、小説を何度読んでも、登場人物の人生は変わりません。しかし、本作品では、小説の登場人物が現実の世界にやってきます。彼らは、現実の世界でも、そのまま神の視点 (作者視点) で語られ続け、登場人物の一人称は使われません。それは、彼らが現実の世界でも、神の視点から逃れられずにいる、つまり決められた人生を歩んでいるように見えました。
また、登場人物のひとり、中学校の教師は、自らの力不足から生徒を救えなかった過去を悔いつつ、人を救いたいと日々もがいています。そしてその教師は、誰かを救うために未来を変えていきます。ただ、その教師が、ある人物がペッパーズ・ゴーストを企てたのではないかと推測する場面でわたしは、未来を変えたいと強く願いすぎたせいで、教師には現実がペッパーズ・ゴーストに見えたのではないかという疑問をもちました。つまり、未来が変わったように見えた場面でも、予測した未来が間違っていて、未来を変えたように見えていた可能性を否定できません。
これまでの伊坂作品同様、読んでいるあいだ、それぞれのキャラクターを楽しめたのですが、答えのない問いをずっと考え続けている気分になり、自分の考えがまとまらなくなりました。