2021年08月06日

静穏の祈り

20210806「それはあくまで偶然です」.png

 わたしにとって当たり前すぎることが延々と続き、途中で読むことを投げ出してしまった本に「それはあくまで偶然です」があります。トロント大学で統計学を専門にしているジェフリー・S・ローゼンタール教授が、何か行動を起こしたからといって、宝くじに当たる確率は変わらないといった、理論的には当然だと思えることを説明してくれる本です。

 最後まで読めなかったのですが、著者が深い感銘を受けてきたという『静穏の祈り』が最初のほうで紹介されていて、それには衝撃を受けました。『自分に変えられないことを静穏に受け入れる力と、変えられることを変える勇気と、両者の違いを知る知恵をお与えください』と神に願うものです。

 このみっつのものが手に入るのなら、わたしも神を信じるかもしれません。この祈りは、1932 年にラインホルド・二ーバーが書いたとされているそうです。この本で参照しているのは、The Chronicle of Higher Education の記事 Who Wrote the Serenity Prayer? です。

 この記事の著者 Fred R. Shapiro によると、『静穏の祈り』は、1932 年から 1933 年にわたって 5 つのバージョンが存在し、そのもっとも古いと著者が考えるバージョンから、ラインホルド・二ーバーが最初だったと立証されたようです。

 そうありたいと願う、心にしみる祈りだと思います。
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2007年09月04日

"隔靴掻痒"

 『翻訳家の仕事』を読んでいて、出合った文章。
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原文の数字を日本語に代入する作業には、毎度ながら違和感を覚える。長さ、重さ、温度などを日本語の単位に置き換えることもあるが、『華氏四五一度』を摂氏に言い換えたら馬鹿らしいし、『九マイルは遠すぎる』をキロメートルにしたらトリックが成立しないように、(しつこいようだが)数字や単位というのはそれじたいが言語のメンタリティの表れなのだから、無機的に置換して等価の翻訳とは言えないはずなのだ。ケースバイケースで暫定的に処理すしかない。
 ああ、まったくもってもどかしい!こういう隔靴掻痒のもどかしさを1ホンヤク(hyk)と定義したい。
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 "隔靴掻痒"。漢字のすごさを思い知りました。初めてみた熟語の意味が手にとるようにわかってしまいました。またそのことばを選んだ書き手の語彙の広さとその的を射た使い方を見習いたいとも思いました。

 "かっかそうよう"と読むそうです。『大辞林』には以下のように意味が説明されていました。
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「無門関(序)」より。靴の上からかゆいところをかく、の意から思いどおりにいかなくて、もどかしいこと。
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 あっぱれ、漢字。

○○出典○○

『翻訳家の仕事』
編集: 岩波書店編集部
出版社:岩波書店

『大辞林』
編者: 松村 明・三省堂編修所
出版社:三省堂
posted by 作楽 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 本で興味をもったことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする