2021年04月13日

「ライオンのおやつ」

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小川 糸 著
ポプラ社 出版

 一見意味不明なタイトルですが、この『ライオン』は、『ライオンの家』という名のホスピスを指しています。百獣の王であるライオンは何も恐れず、安心して食べたり寝たりできることから、ゲストと呼ばれるホスピスの入居者たちもそう過ごしてほしいという願いからきた名前です。

 27 歳という若さで癌に罹り、抗がん剤などの苦しい闘病を経て、32 歳で余命宣告を受けた、海野雫という女性が主人公で、彼女が最後の住まいとして選んだのが、瀬戸内海に浮かぶ島の『ライオンの家』でした。

『ライオンの家』では、毎週日曜日におやつの時間があり、そこで供されるおやつは、入居者がリクエストすることになっています。おやつを食す前に読み上げられるリクエストの手紙を通して、その人の人生を垣間見ることができます。どんな過去があったのかだけでなく、死を目前にしてその過去をどう振り返るか、どう捉えなおすかにその人の人となりがあらわれます。

 もちろんこれは物語であって、経済的に余裕のない人が、これほど恵まれた環境で最期を迎えるという奇跡は実際には起こらないでしょう。でもそのフィクションのなかに、そうなのかもしれないと共感できることばもありました。

『思いっきり不幸を吸い込んで、吐く息を感謝に変えれば、あなたの人生はやがて光り輝くことでしょう』と、ゲストのひとりであるシスターが言っています。『いっつもここで料理作ってると思うんだ。生かされているんだなぁ、って。だって、生まれるのも死ぬのも、自分では決められないもの。だから、死ぬまでは生きるしかないんだよ』と、余命宣告を受けたあともライオンの家の料理人を務める女性が、さりげなく語っています。そして雫は、『一日、一日を、ちゃんと生き切ること。どうせもう人生は終わるのだからと投げやりになるのではなく、最後まで人生を味わい尽くすこと』と死に向き合っています。

 もちろん現実社会では、そんないい人ばかりではなく、だからこそ、この物語が広く読まれることになったのかもしれません。また、誰もが迎える最期を誰もが気にしているからこそ、多くの方が手にとったのではないかとも思います。
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2021年02月25日

「それから」

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夏目 漱石 著
朝日新聞社

 家の整理をしていたら、『それからノート』なるものが出てきました。1909 年 6 月から 10 月にかけて朝日新聞紙上で連載された、夏目漱石の「それから」は、2015 年に再連載されました。それら連載を切り抜いて貼ることができるノートです。

 ノートには、漱石が、大学で教える仕事を辞し、朝日新聞社に入社した経緯を綴った「入社の辞」が掲載されています。大学講師として得ていた年俸 800 円では、子供が多くて家賃が高い状況では暮らしがたたず、他校の仕事を掛け持ちして凌いでいたところに、『文芸に関する作物 (さくぶつ) を適宜の量に適宜の時に供給』する担当として朝日新聞から誘われ、新聞社では『米塩 (べいえん) の資に窮せぬ位の給料をくれる』いっぽう、教師として収入を得ることを禁じられたので、未練なく新聞社の仕事一本に絞ったようです。

『何か書かないと生きてゐる気がしない』という状況にあった漱石にとっても、彼の作品を楽しんだ人々にとっても、利のある転職だったように見受けられます。ただ、後世において、ずっと読み継がれる作品を書いた作家が、そこまで生活に窮していたのは驚きです。

 漱石の初期三部作「三四郎」(1909年)、「それから」(1909年)、「門」(1910年)の 2 番目にあたるこの作品の主人公は、長井代助という高等遊民です。中学時代からの友人平岡 (代助が思いを寄せる三千代の夫) に向かって、次のように語ります。
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僕の知ったものに、まるで音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持ちをやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読 (したよみ) をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休みとか号して一日ぐうぐう寐ている。だからどこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞 (きき) に行く機会がない。つまり楽 (がく) という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくちゃならない。僕からいわせると、これほど憐れな無経験はないと思う。麵麭 (パン) に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麵麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。
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 漱石の「入社の辞」を読んだあとに「それから」を読むと、ここで語られる学校の教師と漱石が重なります。

 代助は、三千代と結婚すると決めたがために、高等遊民という立場を捨てざるを得なくなり、結果的に『麵麭に関係した経験』を始めることになります。代助が自らのエゴイズムから自らのいう劣等なことに追い込まれる場面で、先のセリフに教師を登場させた漱石の思いを知りたくなりました。
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2021年02月03日

「天空の蜂」

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東野 圭吾 著
講談社 出版

 東野圭吾ファンの父から譲り受けた本なので、いつ頃出版されたのか知らずに読み始めました、原子力発電所の安全性に対する『本音と建て前』が見え隠れする設定なので、福島第一原子力発電所の問題を機に書かれた作品かと思ったのですが、1998 年が初版でした。2015 年 7 月で 68 刷となっているので、東日本大震災以降も、たびたび増刷されたのかもしれません。

 わたしを含め、日本人の多くが原子力発電所の見せかけだけの安全神話に疑いの目を向けることもせず、ずっと過ごしてきたことを指摘されたように感じました。

 タイトルの「天空の蜂」とは、防衛庁が発注した、大型の新型ヘリコプターを指しています。そのヘリコプターがメーカーから防衛庁に引き渡される日、犯人は、それを盗み、自分たちの要求をのまなければ、ヘリコプターを高速増殖炉原型炉に墜落させると脅迫する事件を起こします。

 政府も、高速増殖炉関係者も、何が起ころうと放射能漏れは起こらないという建て前を崩さず、そのいっぽうで何が起こるかは予想がつかず、犯人を見つけるため、ヘリコプターの墜落を阻止するため、最大限の人員を動員します。

 しかし、その犯人は、読者に対して早々に明かされます。この作品は、フーダニットではなくホワイダニットなのです。最後に動機が明かされたとき、その動機や犯人像によって読後感が変わるかと思いますが、今回明白に動機が明かされるのは半分だけです。ふたりいる犯人の片方の視点でのみ語られ、もう片方については政府が動機を把握しているものの、その隠蔽体質により語られることはありません。

 政府の隠蔽体質は、リアリティある設定ですが、謎解きとしては半分が残り、読後感はすっきりしません。ただ、この小説は、謎解きを楽しませるより、わたしたち普通の人が、原子力発電所のように自分たち自身のために存在するものにもっと意識を向けさせるために書かれたように感じました。
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2021年01月23日

「PK」

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伊坂 幸太郎 著
講談社 出版

 伊坂幸太郎といえば、ある短篇で張られた伏線が別の短篇で回収されるといったパターンや、ある短篇で脇役で登場した人物が別の短篇でクローズアップされるといったパターンの短篇連作を得意とするイメージを思っています。たとえば「ラッシュライフ」を読んだあとは、その緻密な伏線に驚きました。

 この短篇集を読み終えたとき、つまらなかったとか面白かったとか、何かしら感想が浮かぶ前に、小説の世界についていけていたのか自問してしまいました。何が伏線だったのか、あるいは何が事実だったのか、一見相容れないように思われる事柄は本当につながっていたのか、いろいろなことに確信がもてませんでした。

 短篇は、全部で 3 つです。

−PK
−超人
−密使

 あるできごとが「PK」でも「超人」でも語られているのですが、細部が異なり、本当に同じできごとなのか確信がもてずにいると、最後の短篇「密使」でいきなり、タイムトラベルが可能な舞台設定が明かされ、さらに他人の時間を盗むことができる『時間スリ』という行為も存在する、つまり一連の作品がサイエンスフィクションだったと判明します。

 その時点で、密使が「PK」と「超人」の世界で何かを変えた、あるいは変えようとしているのではないかと思ったものの、漠然としか理解できませんでした。短篇同士がどういう関係にあるのか、巻末の解説を頼りに理解しようとしても、解説者も正解は持ちあわせていないようでした。

 読む側に委ねられる部分が多い作品で、それを楽しめる方々に向いているように思います。
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2021年01月22日

「代償」

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伊岡 瞬 著
角川書店 出版

 インタビューを受けた作者が『全く人を顧みない、全く反省しない根っからの悪を書いてみたいと思い書き始めた』と語った作品です。

 作者の言う『根っからの悪』を象徴する登場人物、達也は、小学生のころから、表の顔と裏の顔を使い分け、人をいたぶり弄ぶことが心底好きで、良心などとは無縁です。そんな達也の標的にされた者のひとり、圭輔は、達也の遠縁にあたり、達也に翻弄され大きく運命を狂わされます。

 ある日、圭輔の両親は達也の罠に落ち命を落とします。残された圭輔の後見人に名乗りをあげたのは達也の義母である道子で、圭輔は、達也と道子と暮らし、辛い子供時代を過ごします。

 のちに圭輔は、あることをきっかけに悪行三昧の『代償』を達也に払わせられないかと考えるようになります。

 達也のように、深く事情を知らない善意の第三者を味方につけながら、自分が有利な立場になるよう、思うままに人を操りものごとを運ぶことに長けている狡猾な人を知っているだけに、圭輔に深く共感しながら読んでしまいました。同時に、達也が代償を払う羽目になるという結末はわかっていても、どのようにそこへ追いつめられるのかが気になりました。

 シンプルすぎるくらいシンプルな善と悪の対立を描いた、いわゆるページターナーです。悪が負けるところを疑似体験できたという意味では、一種の爽快感を楽しめました。
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