2026年02月20日

「失われた貌」

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「このミステリーがすごい!2026年」の国内編、「週刊文春ミステリーベスト10 2025」の国内部門、「ミステリが夜みたい!2026年版」の国内篇の 3 冠で話題になった作品です。それだけの支持を集めたことから、いまの読者がどんな作品を読みたいと思っているか窺い知るのに、うってつけのミステリーだと思います。

 わかりやすい理屈で成り立ち、構成が緻密で、読者に被害者と容疑者と見つけさせるために作られたジグソーパズルのような印象を受けました。まるで、正解に向かって、敷かれたレールのうえを一歩一歩進んでいくような読書体験でした。

 読み終えたとき、すべてのピースが収まるべきところに収まったときのような爽快感がありました。全然関係ないと思われていた、最初のほうに登場した別事件が最後に結びついたときなど、まさに穴のように残った空間に、余ったピースをはめてみたら、ぴったり収まったという感じです。3 冠の理由は、そのあたりにあるのかもしれません。

 そのいっぽうで、ジグソーパズルのピースとして、ひとの感情も組み込まれているように見えたことに少し違和感を覚えました。夫から衝撃的な事実を突然告げられたときの妻の判断があまりに迅速かつ冷静で、そんな風に即時に割り切れるものだろうか……と思ったり、正しい行ないに固執していた警察官が中年になってひとが変わったように違う考えをもつようになるのだろうか……と思ったり、きちんと説明されているものの、その説明に納得できない自分もいました。

 ただ、全体としてよく練られた構成で、ミステリーとして見事に辻褄が合っているという印象が変わるほどではありません。矛盾するようですが、高い評価を受ける作品なのは理解できても、この作者の作品をまた読みたいかと問われると、そうは思わない自分もいます。

 ミステリーを読みたい理由は、ひとそれぞれだと思いますが、ジグソーパズルを完成させるような楽しみを求めている方には向いている作品だと思いました。
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2026年01月13日

「あなたの名」

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小池 水音 著
新潮社 出版

 第 38 回三島由紀夫賞の候補作品「あなたの名」、「二度目の海」の二篇が収められています。どちらの作品も、封印してきた記憶とそれを思い起こすきっかけとなったできごとが描かれています。封印の理由が直視しがたい事実にあったというのは容易に想像がつきます。そんな辛い記憶にまつわる話、しかも何かをやり直すだけの時間が残されていない老境にあるひとたちの話なのに、両篇ともやさしい気持ちになれる作品です。

 おそらく、「あなたの名」に登場する藤野、「二度目の海」に登場する孫など、開けた未来が広がる若い世代のやさしい眼差しが老いたひとたちの現在と彼らの遠い過去に向けられているからだと思います。そして、向き合えないまま目を逸らしてきた過去が誰にでもあり、その過去を抱えたまま逝く身としては、そうあってほしいと思う穏やかなエンディングだからかもしれません。

 両作品に登場する人物は、どちらも約半世紀前の記憶にどう向き合えばいいのか、わからずにいます。数字で見れば、果てしなく長い歳月であっても、過去に感じた、期待と現実のギャップ、たとえば自らにかけられた期待と異なる自身の姿であったり、自らが期待していたのとは異なる現実だったりが、どうしても忘れられず、ふとしたきっかけで、その遠い記憶をもてあましてしまうのでしょう。自分やとても近しいひとたちのあいだで起こったことだからこそ、忘れてしまいたくても忘れられず、しっかりと蓋をしてしまうのかもしれません。

「あなたの名」は、 主人公がたどり寄せる過去の記憶がとりとめなかったり、妙に鮮やかさが際立つ部分が混ざっていたりで、冒頭に登場する無機質な AI と対照的で、主人公の記憶がリアルに感じられました。また、わたしのエンディングも、こんなふうに穏やかな気持ちで回想したいと思うような、漂っているような柔らかな描写が印象的でした。

「二度目の海」は、珍しくもない家族間のわだかまりを抱えながら、55 年間も生きてきた女性の凛とした姿、沈黙から滲みでる思いに共感できました。
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2025年12月15日

「あと十五秒で死ぬ」

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榊林 銘 著
東京創元社 出版

 以下の 4 作品が収められた連作短篇集です。

「十五秒」
「このあと衝撃の結末が」
「不眠症」
「首が取れても死なない僕らの首無殺人事件」

 おもな登場人物が同じ、あるいは舞台設定が同じといった連作短篇集は、よく見かけますが、この短篇集では『死までの時間が十五秒』という共通のテーマがあるだけで、登場人物も舞台設定もまったく異なります。また、ファンタジー作品に分類されると思うのですが、どの作品も現実にはありえない設定で、奇想天外な発想を楽しめます。

 読みながら、『密室トリック作品』と似ている気がしました。密室トリックを用いたミステリー作品のなかで、『密室』に合理性が感じられる作品は少ないように思います。もちろん、密室で起こった事件のほうが解決が難しそうですが、犯罪が露見しないようにするほうがずっと容易だと思われる状況で、苦労して密室を作りあげる作品が大半を占めます。つまり、密室のトリックを見破ってみせるための作品です。同様に、本作品は、『十五秒』という短い時間にどれだけ詰めこみ、読者が想像すらできない結末を見せられるかに挑んだ作品集といえるかもしれません。

 たとえば、短篇集最後の「首が取れても死なない僕らの首無殺人事件」では、首が取れても十五秒間は死なないひとたちがいるという設定になっています。しかも、その十五秒間のあいだであれば、一定の条件のもと、首を交換できます。そんな設定のもと、首無し焼死体が発見されるいっぽう、ひとつの身体に十五秒ごとにふたつの首をすげ替えながら過ごす、友人同士のふたりがいます。当然ながら、頭だけで生かされている片方の身体が焼死体で発見されたと考えたくなりますが、予想だにできなかった結末に驚かされます。

 首が取れても死なないという設定が奇抜すぎて、殺人の動機など、人間らしい感情を推理しようにも、わたしの頭には想像できる範囲を超えていました。ただページを繰って、作者の妄想の世界についていくのが精一杯といった感じになり、読み終えたあとは、盛りだくさん過ぎる展開に疲れ、普通のミステリーが読みたくなったほどでした。

 どれも、予想外の展開を楽しめるものの、いろんなルールが存在するゲームに入り込んでしまったようで、感情の入り込む余地のようなものがもう少しほしいと思ってしまう作品でした。
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2025年11月16日

「東京都同情塔」

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九段 理江 著
新潮社 出版

 かなり独特な世界観が展開されるいっぽう、いまの日本の風潮が透けて見える気がして、考えさせられました。おもな登場人物のひとり、建築家の牧名沙羅は、『ヒトを「思考する建築」、「自立走行式の塔」と認識』したり、『建築は都市を導き、未来を方向付けるものでなければならない』と考えたり、建築物が堅牢でなければならないのと同様、『強い意志と義務を示すコンクリートのように硬質な言葉たち』を欲しています。

 わたしのなかでは、建築物とヒトは異質なので、彼女の個性的な世界観が理解できませんでした。ただ、硬質な言葉を欲する彼女の気持ちだけは理解できた気がします。彼女の頭のなかは『ワードチョイスの検閲機能が忙しなく働く』状態になっています。つまり、さまざまなことに対する配慮が欠けていないか、口にする前に吟味しているわけです。有名人の失言が容易に拡散される時代ならではの設定だと思います。過剰な『配慮』によって、言葉が曖昧になっていく過程で、断定的な硬質な言葉を欲するようになったのではないか私は想像します。

 東京に建設される予定の刑務所のデザインコンペに参加するか否かを検討している彼女は、その刑務所の名称に違和感を覚えています。そのため、地上 71 階建てのその高層ビルが「シンパシータワートーキョー」という名称に決まったにもかかわらず、彼女は、「刑務塔」という代替案を考えますが、納得できず、結局は、「東京都同情塔」がいいということになります。こうした、カタカナ表記の外来語の多用は、わかったようなわからないような曖昧さを生んでいるのかもしれません。

 そのせいか、彼女は、『『シンパシー』を許容することはできない。』と語っています。また、『私には未来が見えているんだよ……日本人が日本語を捨てて、日本人じゃなくなる未来がね。』とも語っています。彼女は外来語の多用を憂えているように見えます。

 この小説の舞台では、『従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた属性のヒト、また刑事施設で服役中の受刑者、非行少年を指して、その出自や境遇やパーソナリティについて「不憫」、「あわれ」、「かわいそう」といった同情的な視点を示し、彼らを「同情されるべき人々」、つまり「ホモ・ミゼラビリス」と再定義』することになっています。呼び方を変えても、なにも変わらないのに、あたかも革新的な概念を導入したかのように語られるあたり、滑稽にも見えます。

 そのいっぽうで、「ホモ・ミゼラビリス」は、希望すれば「シンパシータワートーキョー」にいつまでも滞在できる仕組みになっていて、それが、タワーマンション並みの暮らしを餌にした一種の隔離のようにも描かれていて、なんとも皮肉です。

 ありとあらゆる人やモノに配慮するいっぽう、犯罪者を隔離するという不寛容が、わたしたちの思考を具体化したものであるのなら、わたしたちは進むべき方向を考え直すべきなのかもしれません。
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2025年10月29日

「アリアドネの声」

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井上 真偽 著
幻冬舎 出版

 災害現場が舞台となっている本作では、災害救助に役立つドローンが重要な役割を果たします。「アリアドネシリーズ」と名づけられたドローンには、さまざまな機能が備わっていて、音響分析機能が「アリアドネの声」と呼ばれています。かすかな呻き声なども分析できるようになっていて、要救助者の発見に役立ちます。

 「アリアドネ」の由来は、次のように説明されています。『神話の英雄・テセウスは、かの有名な怪物「ミノタウロス」を退治する際、彼を慕うクレタ島の王ミノスの娘・アリアドネから渡された糸玉を使って、怪物の棲む迷宮を脱出する。その逸話から生まれたのが「アリアドネの糸」という言葉で、何か困難な状況に陥った際、解決の道しるべとなるものを意味する』。それが、本のタイトルになっているわけです。

 本作の要救助者は、『見えない・聞こえない・話せない』という三重障害を抱える女性です。そのため、より一層「アリアドネの声」が救助の鍵を握っているように見えます。

 ドローンには、比較的新しいテクノロジーが集約されているため、それだけでも近未来的なイメージを抱くのにじゅうぶんですが、本作では、「地下都市」が登場します。また、インターネット上で災害関連情報が飛び交い、真偽も確かめられないまま、さまざまな憶測を呼ぶ状況がリアルに描かれ、いかにも 21 世紀の災害現場といった様相を呈しています。

 そのいっぽうで、わたしたち人間は、テクノロジーほどは進化せずにいることが浮き彫りになっています。ひとは、誰もが同じだけ頑張れるわけではないと悩んだり、相手が嘘をついているかもしれないと疑ったり、自らの名前を明かさずに済むインターネット上で、喜んで誹謗中傷に加担したりします。

 それでも、思いもしない結末が待ち受けていて、読後感が爽快でした。自分を追いこんでいた主人公が解き放たれるさま、意外な事実が詐称の噂を一掃するさま、過去のわだかまりが消えていくさまなど、いろいろなことが収まるべきところに収まったように綺麗に結着します。ひとが強いのは、それはそれで素晴らしいこと、でも、強くなくとも、それはそれで素晴らしいこと、そう読み終えたあとに感じました。
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