2023年03月13日

「松雪先生は空を飛んだ」

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白石 一文 著
KADOKAWA 出版

 タイトルにあるように、松雪先生が鳥のように空を飛ぶので、ファンタジー要素が入っています。同時に、ミステリーの謎を解くような感覚も味わうことができる作品です。物語は、各章異なる人物の視点で、それぞれ異なる時代背景のなか、群像劇のように主人公不在のまま進みますが、登場人物がお互いに関係していることに気づけば、大きな絵を空間的にも時間的にも小出しに見せられていることがわかるようになっています。

 最終的には、松雪先生が運営していた私塾『高麗 (こま) 塾』の最終講話 (1950 年 4 月 21 日) から現在 (2022 年) までに起こったできごとが、最終講話を受けた人々とその関係者を中心に明らかにされます。松雪先生の最終講話は、どんな内容だったのか、また、そのあとなぜ松雪先生は、生徒たちの前から姿を消したのか、そういった謎を追って読み進めましたが、結末には落胆させられました。自分が良いと考えることは誰にとっても良いことであるという考えを押しつけ、それが実現すれば、まるで夢の世界が到来したかのように考える登場人物が、少し気味が悪く感じられたのです。

 徐々に全体像が見えてくるプロセスを楽しみながら読めましたが、目の前の霧が晴れたと思ったときに見えた結末は、子ども向けのおとぎ話のようで、わたしの好みではありませんでした。
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2022年10月25日

「美しき魔方陣」

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鳴海 風 著
小学館 出版

 デリバティブにおいて、誰もが知っているブラック-ショールズ方程式は、日本人数学者伊藤清氏 (1915 年〜 2008 年) の『伊藤の補題』なくしては証明できなかったと言われているそうです。そんな有名な数学者が日本にいたと知ったのは、最近のことです。日本では、STEM 人材が常に不足しているイメージがあったので、意外でした。

 また、この本を読むまで、久留島義太 (くるしまよしひろ、? 〜1757) という和算家 (和算とは、江戸時代に日本で独自に発達した数学) がいたことも知りませんでした。関孝和 (せきたかかず、? 〜1708) と建部賢弘 (たけべかたひろ、1661-1716) の 3 人で日本の数学を築いたといわれているほどの人物だそうです。

 タイトルにある魔方陣とは、1 辺が 4 つのマスから成る行列で、その縦の 4 マスも横の 4 マスも合計が 130 になるだけでなく、それを 4 つ重ねた状態で、上から下までの 4 マスの合計も、立方体を斜めに貫く対角線上の 4 マスの数の合計も 130 になるうえ、隣り合う 4 つの数 (2 行 2 列の組み合わせ) の和も 130 になるというものです。これを美しいといいたい気持ちはよくわかります。

 その魔方陣を導き出すまでの道のりが描かれているのが本作品です。久留島がかなり風変りな人物として描写されていますが、その奇行が彼の天才ぶりにリアリティを与えている気がするのが不思議です。また、久留島と友情を育む松永良弼 (まつながよしすけ) が対照的な人物として描かれていたり、久留島に目をかけている土屋土佐守好直 (つちやとさのかみよしなお) が彼の天賦の才を認めつつ、彼の振る舞いをおもしろがっていたりするのも、楽しく読み進められる要素になっている気がします。

 さらに、数学が江戸時代の藩政に直結していた点も興味深い気づきでした。たとえば、米の収穫高に大きく影響を及ぼす治水問題に取り組むにも数学の知識が必要でした。「天地明察」を読んだ際、いまでは当たり前に使っている暦の重要性に気づかされたときと似た感覚でした。
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2022年09月14日

「殺人者の白い檻」

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長岡 弘樹 著
KADOKAWA 出版

 いわゆるフーダニットは、殺人事件などが起こり、その犯人探しという謎解きが始まるのが一般的です。本作では、解かれる謎がなんなのか、暗に示されているものの、読者は確信を得られないまま読み進み、最後にフーダニットだったのだとわかるようになっています。

 帯には『「教場」の著者が挑む長編医療ミステリ』とあります。数々のエピソードが盛り込まれている「教場」では、謎解き役の教官には、それぞれの全体図が見えているようですが、読んでいる側としては、何が明かされるのか、最後まで確信が得られないようになっています。それと似た感覚をこの作品でも味わいました。

 本作で舞台になっている病院の隣には刑務所があります。ある日、そこの死刑囚がクモ膜下出血により病院に搬送されてきます。手術にあたった外科医尾木敦也は、手術中に患者の名前を知り、激しく動揺します。自分の両親を殺害した罪により、死刑判決を下されたものの無実を訴え続けている定永宗吾だったからです。

 脳内出血の後遺症により、リハビリが必要な定永ですが、後遺症がある限り、死刑が執行されないことから、リハビリを拒否します。それがある日、前言を翻し、リハビリを受けることになります。その翻意の理由が最後に明らかになり、伏線として用意されたものがすべてぴたりと嵌まって、全体図がわかります。

 わたしは、その結末に少し違和感を覚えました。場当たり的な犯行と犯人の人物像が合わない気がしたのです。また、利己的な犯行に対する尾木の感情も理解に苦しみました。練りあげられたプロットに感心しましたが、読んでいて共感できる内容とは言い難かった気がします。
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2022年09月11日

「眠れる美女」

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川端 康成 著
新潮社 出版

 次の短篇が収められています。

−眠れる美女
−片腕
−散りぬるを

 一番印象に残ったのは、「眠れる美女」です。解説で三島由紀夫は、次のように述べています。
++++++++++
『眠れる美女』は、形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である。デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃がこの作品には横溢している。私は今でも初読の強い印象を忘れることができない。ふつうの小説技法では、会話や動作で性格の動的な書き分けをするところを、この作品は作品の本質上、きわめて困難な、きわめて皮肉な技法を用いて、六人の娘を描き分けている。
++++++++++

 この六人の娘とは、ひと晩じゅう目が覚めない薬を使って、一糸まとわぬ姿で 67 歳の江口の隣で眠った女たちのことです。男として女の相手になれないような老人を相手に、若い女に添い寝をさせる『秘密のくらぶ』に友人の紹介でやってきた江口は、あるできごとが起こるまでこの宿に通います。

 眠ったままの女の寝言や微かなつぶやき、ちょっとしたしぐさ、匂い、肌の色などから滲みでる、女それぞれの個性が描かれているのは、三島由紀夫の解説どおりです。ただ、興味深いのは、江口老人がたびたび通ってくるわりには、それぞれの女と自分のあいだにこの先何か起こるかもしれないと夢想するでもなく、娘の行く末を思ったりはするものの、そこに自分の姿を見ようとはしないことです。それどころか、思いは過去に飛び、かつての愛人たちや娼婦、それに自らの娘や母のことを思い起こすばかりだということです。

 老いとは何か、突きつけられたような気がしました。江口老人は、自らを『安心の出来るお客さま』ではないとしつつも、『自分の男の残りのいのちももういくばくもないのではあるまいかと、常になく切実に考えさせられ』ています。生命の塊ともいえる娘の隣で眠ることに魅入られた老人の姿に人生の儚さや執着を感じるのは、わたしだけでしょうか。
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2022年07月19日

「さよならに反する現象」

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乙一 著
KADOKAWA 出版

 以下が収められた短篇集です。「フィルム」というのは、8mm フィルムのことで、これからの時代、こういったものをテーマとする作品は少なくなるのだと思います。ただ、以前読んだ「さみしさの周波数」に収められている「フィルムの中の少女」といい、この「フィルム」といい、フィルムから連想されるアナログな雰囲気と非科学的といわれる現象は、なんとなくぴったりとくるので、こういった作品も残ってほしいと思います。

- そしてクマになる
- なごみ探偵おそ松さん・リターンズ
- 家政婦
- フィルム
- 悠川さんは写りたい

 わたしにとって乙一作品といえば、「SEVEN ROOMS」です。どれだけ時が経っても、読んだときの怖さが忘れられません。2006 年に読んだにもかかわらず、その強烈な恐怖感だけは今も残っています。

 いっぽう、この短篇集は、どこかユーモラスな雰囲気を醸す作品が多く、これまでわたしが抱いていた印象を覆すのに充分で、作家のふり幅の広さが感じられました。ただ、なかには、くすっと笑える要素がありながら、同時に恐怖も残す作品もありました。

「悠川さんは写りたい」には、可笑しみと怨念が違和感なく混ざりあっています。心霊写真をつくるという変わった趣味の持ち主の烏丸さんと、すでに亡くなっている悠川さんのやりとりが、ある意味滑稽でありつつ、お互いにうまく補っているような印象を受けます。そして、最後の最後に、悠川さんの復讐が一抹の恐怖を残します。それまでの和やかさとのギャップに驚かされて読み終えることができました。
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