2024年04月15日

「とっぴんぱらりの風太郎」

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万城目 学 著
文藝春秋 出版

 久々に万城目作品を読みました。主人公は伊賀の忍びのひとり、名は風太郎で『ぷうたろう』と読みます。厳しい訓練に耐え、ようやく一人前というときに追放されてしまい、文字どおり風太郎暮らしなってしまいます。

 しばらくして風太郎は、ふたつの不思議なできごとに巻き込まれます。ひとつは、因心居士 (いんしんこじ) という得体の知れない者にいいように操られる羽目に陥ったこと、もうひとつは、謎に包まれた高貴な方が祇園会に出かける際の護衛を忍び仲間を通して請け負ったことです。

 不思議な力をもつ、正体のわからない存在が登場するあたり、万城目作品らしいファンタジー要素が入っています。同時に大坂冬の陣・夏の陣が時代背景になっていて、歴史小説の要素も入っています。さらに、当時としては珍しかったであろう異国の話題も盛り込まれ、ちょっとしたユーモアも散りばめられ、てんこ盛りの長編ですが、不思議と長さが気になりませんでした。

 読み進めるにつれ、少しずつ不可解なことが解き明かされていくため、つい先を急ぎたくなりました。因心居士の狙いはなんなのか、高貴な方は、どこの誰なのか、なぜ狙われたのか、忍び仲間それぞれの抱える事情はなんなのか。

 そして何より、平和で安定した世に移っていくなか、不要となっていく忍びに残されたそれぞれの道を思うとき、現代のさまざまな消えゆく職業を思わずにいられませんし、不可能としか思えない約束を交わした風太郎が、命を賭してそれを果たそうとする姿から目を逸らすこともできません。

 読んでいるあいだ、時間を忘れてしまうエンターテイメント作品だと思います。
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2023年05月21日

「忘らるる物語」

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高殿 円 著
KADOKAWA 出版

 心の底ではわかっていながら、目を背けてきたことがそのままことばとして綴られている、わたしにはそう思えた作品でした。

 世の中に持つ者と持たざる者がいることは歴然とした事実です。時代によって『腕力』を持つ者が有利になることもあれば、『金銭』や『地位』を持つ者が有利になることもありますが、持つ者と持たざる者に隔たりがあることに変わりはありません。本作では、『人間の幸福は、たいてはどの女の腹から生れ落ちるかで決まった』と表現されています。

 本作の主人公、環璃 (ワリ) は、北原 (ほくげん) の月端 (げったん) の女王で、同じく王族出身の夫と 13 歳で結婚したあと 16 歳で子供を産み、底辺の人々が羨んだであろう暮らしをしていました。それがある日、月端を含むすべての国の頂点に立つ燦 (さん) という国の差し金により、夫を含む一族が根絶やしにされます。子とふたり生き残ったものの、子が人質となっているため、環璃は、燦に完全に支配された状態に陥ります。

 本作では、その『支配』がテーマのひとつになっています。『かつて自分たちを苦しめた支配であることに、支配に回った者は気づきもすまい』と、支配を受けた痛みを忘れて支配する側に立つ者の愚かさが指摘される場面があったり、支配される者に『牙を剥く以外の選択肢を与えそれを自主的に選ばせることで、喜んでこちらに同化させること』が本当の支配だと語られる場面があったりします。

 支配され苦しむ環璃が願うのは、確神 (ゲゲル) と呼ばれる確たる神とともに生き、子を取り戻すことです。確神とともにあれば、男を一瞬で灰燼 (はい) にする力を得られ、支配に屈することなく生きることができるのです。

 しかし、環璃に訪れた転機は意外なものでした。旅の途中で知り合った女性を信じ、彼女に自らの国を与え、彼女の過去を知りたいと願い、心を預けたことをきっかけに思わぬ道を辿ることになります。

『やっと、わたしのものを分け与えることができた、と環璃は思った』という一文を読んだとき、状況が本当に変わるのは、結局、人を大切にし、人から大切にされたときなのだと、目を背けていたことを直視させられた気がしました。
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2023年03月31日

「ロゴスの市」

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乙川 優三郎 著
徳間書店 出版

 漠然とながら、人が言語と向き合う姿勢とその生き方は互いに強く影響を与えあうのかもしれないと思いました。

 翻訳を生業として日々机に向かって過ごす男と同時通訳の仕事に従事し世界中を飛び回っている女との 30 年以上にわたる恋愛が軸のひとつになっている作品です。タイトルの『ロゴス』は、ここでは主に、『理性』をつなぐ役割の『ことば』を意味し、同じ言語を扱う仕事でありながら、翻訳と同時通訳のあいだにある、さまざまな違いを見てとれる内容になっています。また、語り手である男の仕事、翻訳は、抽象的でありながら、その仕事の難しさが同時にやりがいになっていることなど、知らない世界を窺い知ることができます。

 女のほうは、自分と男のことを『せっかちとのんびり』と形容していて、それがこの小説の核のようなものになっています。刻々と流れることばを瞬時に捉えて違う言語にする同時通訳と、それに比べると考える時間をもてる翻訳の仕事の違いが、それぞれの生き方にもあらわれているように思えるのです。

 いまの世代の子たちなら『親ガチャの勝ち組』といえる男の立場と、そうではない女の境遇を比べると、何かと急ぎ、焦り、たったひとりで決断して行動に移していくようになった女と、そんな彼女をずっと目で追いながら、思いをことばや行動であらわせずにいる男の対照が浮かびあがります。

 ふたりの関係の終わりを告げる手紙は、時代背景から察せられる部分と、ふたりが親密になった頃のできごとで暗示された部分から成り立っていて、ふたりの軌跡を確かめる内容になっています。わたしには、予定調和ともいえる終わり方に見えました。
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2023年03月13日

「松雪先生は空を飛んだ」

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白石 一文 著
KADOKAWA 出版

 タイトルにあるように、松雪先生が鳥のように空を飛ぶので、ファンタジー要素が入っています。同時に、ミステリーの謎を解くような感覚も味わうことができる作品です。物語は、各章異なる人物の視点で、それぞれ異なる時代背景のなか、群像劇のように主人公不在のまま進みますが、登場人物がお互いに関係していることに気づけば、大きな絵を空間的にも時間的にも小出しに見せられていることがわかるようになっています。

 最終的には、松雪先生が運営していた私塾『高麗 (こま) 塾』の最終講話 (1950 年 4 月 21 日) から現在 (2022 年) までに起こったできごとが、最終講話を受けた人々とその関係者を中心に明らかにされます。松雪先生の最終講話は、どんな内容だったのか、また、そのあとなぜ松雪先生は、生徒たちの前から姿を消したのか、そういった謎を追って読み進めましたが、結末には落胆させられました。自分が良いと考えることは誰にとっても良いことであるという考えを押しつけ、それが実現すれば、まるで夢の世界が到来したかのように考える登場人物が、少し気味が悪く感じられたのです。

 徐々に全体像が見えてくるプロセスを楽しみながら読めましたが、目の前の霧が晴れたと思ったときに見えた結末は、子ども向けのおとぎ話のようで、わたしの好みではありませんでした。
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2022年10月25日

「美しき魔方陣」

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鳴海 風 著
小学館 出版

 デリバティブにおいて、誰もが知っているブラック-ショールズ方程式は、日本人数学者伊藤清氏 (1915 年〜 2008 年) の『伊藤の補題』なくしては証明できなかったと言われているそうです。そんな有名な数学者が日本にいたと知ったのは、最近のことです。日本では、STEM 人材が常に不足しているイメージがあったので、意外でした。

 また、この本を読むまで、久留島義太 (くるしまよしひろ、? 〜1757) という和算家 (和算とは、江戸時代に日本で独自に発達した数学) がいたことも知りませんでした。関孝和 (せきたかかず、? 〜1708) と建部賢弘 (たけべかたひろ、1661-1716) の 3 人で日本の数学を築いたといわれているほどの人物だそうです。

 タイトルにある魔方陣とは、1 辺が 4 つのマスから成る行列で、その縦の 4 マスも横の 4 マスも合計が 130 になるだけでなく、それを 4 つ重ねた状態で、上から下までの 4 マスの合計も、立方体を斜めに貫く対角線上の 4 マスの数の合計も 130 になるうえ、隣り合う 4 つの数 (2 行 2 列の組み合わせ) の和も 130 になるというものです。これを美しいといいたい気持ちはよくわかります。

 その魔方陣を導き出すまでの道のりが描かれているのが本作品です。久留島がかなり風変りな人物として描写されていますが、その奇行が彼の天才ぶりにリアリティを与えている気がするのが不思議です。また、久留島と友情を育む松永良弼 (まつながよしすけ) が対照的な人物として描かれていたり、久留島に目をかけている土屋土佐守好直 (つちやとさのかみよしなお) が彼の天賦の才を認めつつ、彼の振る舞いをおもしろがっていたりするのも、楽しく読み進められる要素になっている気がします。

 さらに、数学が江戸時代の藩政に直結していた点も興味深い気づきでした。たとえば、米の収穫高に大きく影響を及ぼす治水問題に取り組むにも数学の知識が必要でした。「天地明察」を読んだ際、いまでは当たり前に使っている暦の重要性に気づかされたときと似た感覚でした。
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