2022年09月14日

「殺人者の白い檻」

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長岡 弘樹 著
KADOKAWA 出版

 いわゆるフーダニットは、殺人事件などが起こり、その犯人探しという謎解きが始まるのが一般的です。本作では、解かれる謎がなんなのか、暗に示されているものの、読者は確信を得られないまま読み進み、最後にフーダニットだったのだとわかるようになっています。

 帯には『「教場」の著者が挑む長編医療ミステリ』とあります。数々のエピソードが盛り込まれている「教場」では、謎解き役の教官には、それぞれの全体図が見えているようですが、読んでいる側としては、何が明かされるのか、最後まで確信が得られないようになっています。それと似た感覚をこの作品でも味わいました。

 本作で舞台になっている病院の隣には刑務所があります。ある日、そこの死刑囚がクモ膜下出血により病院に搬送されてきます。手術にあたった外科医尾木敦也は、手術中に患者の名前を知り、激しく動揺します。自分の両親を殺害した罪により、死刑判決を下されたものの無実を訴え続けている定永宗吾だったからです。

 脳内出血の後遺症により、リハビリが必要な定永ですが、後遺症がある限り、死刑が執行されないことから、リハビリを拒否します。それがある日、前言を翻し、リハビリを受けることになります。その翻意の理由が最後に明らかになり、伏線として用意されたものがすべてぴたりと嵌まって、全体図がわかります。

 わたしは、その結末に少し違和感を覚えました。場当たり的な犯行と犯人の人物像が合わない気がしたのです。また、利己的な犯行に対する尾木の感情も理解に苦しみました。練りあげられたプロットに感心しましたが、読んでいて共感できる内容とは言い難かった気がします。
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2022年09月11日

「眠れる美女」

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川端 康成 著
新潮社 出版

 次の短篇が収められています。

−眠れる美女
−片腕
−散りぬるを

 一番印象に残ったのは、「眠れる美女」です。解説で三島由紀夫は、次のように述べています。
++++++++++
『眠れる美女』は、形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である。デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃がこの作品には横溢している。私は今でも初読の強い印象を忘れることができない。ふつうの小説技法では、会話や動作で性格の動的な書き分けをするところを、この作品は作品の本質上、きわめて困難な、きわめて皮肉な技法を用いて、六人の娘を描き分けている。
++++++++++

 この六人の娘とは、ひと晩じゅう目が覚めない薬を使って、一糸まとわぬ姿で 67 歳の江口の隣で眠った女たちのことです。男として女の相手になれないような老人を相手に、若い女に添い寝をさせる『秘密のくらぶ』に友人の紹介でやってきた江口は、あるできごとが起こるまでこの宿に通います。

 眠ったままの女の寝言や微かなつぶやき、ちょっとしたしぐさ、匂い、肌の色などから滲みでる、女それぞれの個性が描かれているのは、三島由紀夫の解説どおりです。ただ、興味深いのは、江口老人がたびたび通ってくるわりには、それぞれの女と自分のあいだにこの先何か起こるかもしれないと夢想するでもなく、娘の行く末を思ったりはするものの、そこに自分の姿を見ようとはしないことです。それどころか、思いは過去に飛び、かつての愛人たちや娼婦、それに自らの娘や母のことを思い起こすばかりだということです。

 老いとは何か、突きつけられたような気がしました。江口老人は、自らを『安心の出来るお客さま』ではないとしつつも、『自分の男の残りのいのちももういくばくもないのではあるまいかと、常になく切実に考えさせられ』ています。生命の塊ともいえる娘の隣で眠ることに魅入られた老人の姿に人生の儚さや執着を感じるのは、わたしだけでしょうか。
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2022年07月19日

「さよならに反する現象」

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乙一 著
KADOKAWA 出版

 以下が収められた短篇集です。「フィルム」というのは、8mm フィルムのことで、これからの時代、こういったものをテーマとする作品は少なくなるのだと思います。ただ、以前読んだ「さみしさの周波数」に収められている「フィルムの中の少女」といい、この「フィルム」といい、フィルムから連想されるアナログな雰囲気と非科学的といわれる現象は、なんとなくぴったりとくるので、こういった作品も残ってほしいと思います。

- そしてクマになる
- なごみ探偵おそ松さん・リターンズ
- 家政婦
- フィルム
- 悠川さんは写りたい

 わたしにとって乙一作品といえば、「SEVEN ROOMS」です。どれだけ時が経っても、読んだときの怖さが忘れられません。2006 年に読んだにもかかわらず、その強烈な恐怖感だけは今も残っています。

 いっぽう、この短篇集は、どこかユーモラスな雰囲気を醸す作品が多く、これまでわたしが抱いていた印象を覆すのに充分で、作家のふり幅の広さが感じられました。ただ、なかには、くすっと笑える要素がありながら、同時に恐怖も残す作品もありました。

「悠川さんは写りたい」には、可笑しみと怨念が違和感なく混ざりあっています。心霊写真をつくるという変わった趣味の持ち主の烏丸さんと、すでに亡くなっている悠川さんのやりとりが、ある意味滑稽でありつつ、お互いにうまく補っているような印象を受けます。そして、最後の最後に、悠川さんの復讐が一抹の恐怖を残します。それまでの和やかさとのギャップに驚かされて読み終えることができました。
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2022年05月04日

「魍魎回廊」

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宇佐美 まこと/小野 不由美/京極 夏彦/高橋 克彦/都築 道夫/津原 泰水/道尾 秀介 著
朝日新聞出版 出版

 ホラーミステリーのアンソロジーです。各作家の作品名は次のとおりです。

宇佐美 まこと……水族
小野 不由美……雨の鈴
京極 夏彦……鬼一口
高橋 克彦……眠らない少女
都築 道夫……三つ目達磨
津原 泰水……カルキノス
道尾 秀介……冬の鬼

 そうそうたる顔ぶれのアンソロジーなので、どれもおもしろかったのですが、意外にも「冬の鬼」が、わたしにとってのベストでした。意外というのは、この作家がブレイクした「向日葵の咲かない夏」を読んで苦手意識をもってしまい、それ以降、この作家の作品を手にしていなかったためです。

「冬の鬼」では、超自然的現象は何も起こりません。ひとりの女の日記が 1 月 8 日から 1 日ずつ遡るかたちで続き、1 月 1 日で終わります。ただ、冒頭の 1 月 8 日の日記は、次の 3 行のみで、さっぱりわからないまま読み始めることになります。
++++++++++
遠くから鬼の跫音 (あしおと) が聞こえる。
私が聞きたくないことを囁いている。
いや、違う。そんなはずはない。
++++++++++

 それに続く数日は、不幸なできごとを経験してもなお、穏やかな日常とささやかな幸福を噛みしめるかのような内容が続きます。ただ、なぜ硝子に新聞紙を貼ったのか、なぜ S は、女に地図を書いてやらなかったのかなど、やや腑に落ちない描写が散見されます。そしてそれら伏線がすべて回収される 1 月 1 日の日記を読んだとき、1 月 8 日に書かれた『聞きたくないこと』が何なのか、次から次へと想像が膨らみました。

 作中では、鬼が何を囁いたのか書かれていません。それでも、女が聞きたくないことをあれこれ想像した自分のなかから囁き声が聞こえ、その非情な声に自分が少し怖くなりました。
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2022年05月03日

「鉄道員 (ぽっぽや)」

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浅田 次郎 著
集英社 出版

 以下が収められた短篇集です。

- 鉄道員 (ぽっぽや)
- ラブ・レター
- 悪魔
- 角筈にて
- 伽羅
- うらぼんえ
- ろくでなしのサンタ
- オリヲン座からの招待状

 死んでしまえば何も残らない、わたしは、そうであればいいと思っていますが、この短篇集を読んでいるあいだは、その考えも少し揺らぎました。

 たとえば、「うらぼんえ」では、自分のことに親身になってくれる人がひとりとしていない主人公ちえ子のために、祖父が盂蘭盆会に帰ってきます。天涯孤独な身の上のちえ子にとって叶うことのない願いが叶えられる場面に立ち会った気分を味わうことができ、また理不尽な目に遭いながらも前を向く気力を取り戻すちえ子の姿に温かい気持ちになれました。

 同じように「鉄道員 (ぽっぽや)」では、娘を亡くした日も妻を亡くした日も駅員としての職務をまっとうした男の前に、亡くなった娘が成長した姿を見せにあらわれます。たとえ彼がそのあと、たったひとりでこの世を去ったとしても、寂しくはなかったと思えました。

 また「角筈にて」では、左遷されてリオデジャネイロに赴く貫井恭一が道中、とうの昔に亡くなった父親とことばを交わします。彼は、小学 2 年生のある日、父親に捨てられたときのことを鮮明に覚えていて、それまで、捨てられた子だから負け犬になったと言われたくないばかりに、勉強にも仕事にも必死に励んできました。でも、左遷された新天地では、もう無理をせずともよいと、安らぎが訪れたようにも思えます。また、父親の思いに触れ、過去の辛い記憶にひと区切りつけることができたようにも見えます。

 それぞれ抱えるものがありながら、それを受け止めて次へと進むあたり、しんみりとさせられるだけでなく明るさが感じられ、この作家らしさがあらわれていたように思います。
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