2022年02月17日

「怒り」

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吉田 修一 著
中央公論新社 出版

 八王子郊外に住む尾木幸則、里佳子夫妻が殺害された現場の被害者宅には、犯人が被害者の血液で書いた『怒』という文字が残されていました。その犯人は、山神一也と特定されますが、その行方は杳として知れません。

 そののち、房総の漁協で働く槙洋平と愛子の親子、東京で大手企業に勤める藤田優馬、福岡から夜逃げ同然で母親と沖縄に引っ越した小宮山泉それぞれの前に、山神と似た年恰好の若者があらわれます。

 誰が山神なのか、あるいはその 3 人のなかに殺人犯はいないのか、そう疑いの目を向けて読み進めていくうち、あることに思い至りました。怒りとは、期待があってこその感情なのだと。

 そして期待とは、自分のことしか考えられず、すべてが自分の思い通りになることを前提とした期待もあれば、相手との距離や信頼関係などを推し量りながら、相手を信じたいという気持ちを徐々に募らせていく期待もあり、十人十色です。そして、それぞれの期待の実態は、本人でさえ正確に把握することはできません。さらに、第三者から見て、どこまでが真っ当な期待でどこからが真っ当ではないと線引きすることも現実的ではありません。

 身元のはっきりしないひとりの男の出現をきっかけに、さまざまな期待が生まれるいっぽう、その影の感情が生まれる場面もあります。たとえば、相手の期待が自己中心的なもの、つまり自分を単に利用するためのものではないかという疑いや裏切られるのではないかという恐れです。

 それぞれの登場人物の胸の内を読むにつれ、怒りとは何なのか、怒りの燃料となる期待とは何なのか、期待しないということはどういうことなのか、ひとりの人を受け入れるということはどういうことなのか、いろいろ考えさせられました。
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2022年02月16日

「BT '63」

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池井戸 潤 著
講談社 出版

 この作家の本を何度か読んだことはありますが、ファンタジー要素のある小説は初めてです。一種の再生物語ですが、超常現象を経験したことが再生のきっかけになっています。

 主人公の大間木琢磨は、精神分裂に悩まされ 2 年ものあいだ療養したあと、不思議な体験をします。父大間木史郎がかつて手にしていたボンネットトラック (タイトルの BT は、ボンネットトラックの略) の鍵を琢磨が持つと、40 年ほど前の父親の意識に琢磨の意識が同化するのです。

 その不思議な経験によって琢磨は、自身が生まれる 3 年前 1963 年当時の父親の生き様を垣間見ることになります。その姿は、自身が父親に抱いていたそれまでの印象とはまったく異なるものでした。そして、さらに知りたいという欲求を抑えられず、ボンネットトラックの鍵を何度も手にし、現代においても父親の過去を知ろうと行動を起こします。

 琢磨が、自らの意識を父親のそれと同化させる経験を重ねたり、過去を知る人を訪ねたりするなかで、高度経済成長期にあった 1963 年当時の史郎がのっぴきならない状況に追い詰められていることが判明していきます。それが、自分自身の存在を確かなものとして感じられない状況に陥った琢磨の苦境と重なって見えます。

 過去は、変えられません。そして、前を向くことを諦めてしまったら、変えられるはずの未来も閉ざされてしまいます。また、他人と自分を比べることに意味はありません。自分が本当に欲しいものは何か、自分に向き合うことでしか知ることができません。そんな当たり前でいて、忘れがちなことを思い出させてくれる作品だと思います。

 シンプルなわかりやすいメッセージだけに読みやすく、先の見えないサスペンスとしても楽しめました。特に、読み手が色眼鏡で見てしまいがちな若いカップル、和気一彦と相馬倫子が思わぬ優しさや心配りを見せて、意外な結末に至った点が予想を超えていて、驚かされました。
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2022年01月25日

「老後の資金がありません」

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垣谷 美雨 著
中央公論新社 出版

 社会問題をテーマに次々と小説を発表している作家が老後資金の問題を書いたものです。

 結婚間近の長女さやかと就職間近の長男勇人と業績が悪化している建設会社で働く夫章と暮らす篤子の視点で物語は進みます。パートタイムの仕事をしながら忙しく家事をこなす篤子は、あちこちのしがらみに絡めとられ、不運が重なったせいで、夫から管理を丸投げされている貯金が減っていくなか、先行きの生活に不安を覚えるようになります。

 老後 2000 万円問題が大々的にマスメディアを賑わしただけに、篤子が金銭面で老後の生活に不安を感じる状況は身につまされます。しかし、物語は、あることをきっかけに思わぬ方向に進みはじめます。裕福な暮らしをする義妹に対し、お金がないことをきっぱりと告げ、毎月 9 万円という義母芳子への仕送りを止める代わりに芳子と同居すると宣言したのです。

 長年和菓子屋を切り盛りしてきた芳子は、心配性の篤子よりも変化への適応力が高いというか、ものごとに動じないというか、篤子とは違ったタイプで、意外な同居生活が始まります。

 常々思っていますが、経済的な問題に陥った場合、貧すれば鈍するで普段以上に自分のことしか見えなくなる人たちのなんと多いことか。そうならず、心を失わずにいれば道は開けますし、そのことをこの本を読んであらためて思いました。篤子たちが心を失わず、切り開いた道は清々しく、読後感のよい話だったと思います。

 現実社会は、家族に対してさえ思いやりをもてない人たちで溢れているだけに、この本を読んでいるあいだは、温かい気持ちになれた気がします。また、日常のこまかなことにリアリティが感じられ点、途中までは先々の展開が易々と予想できたのに途中から先が読めなくなった点も楽しめました。
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2021年11月10日

「空洞のなかみ」

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松重 豊 著
毎日新聞出版 出版

「サンデー毎日」に 2018 年 10 月 14 日号から 2020 年 10 月 18 日号に掲載されたエッセイと書き下ろしの短篇連作 12 篇が収められています。

 あとがきによると、エッセイの書籍化だけでは分量が乏しく、何を加えるか検討に入ったのが COVID-19 が深刻化する前、その後撮影などが許される状況でなくなり、何か書こうかと思い立って、できあがったのがこの 12 篇の短篇だそうです。もしかしたら、COVID-19 のパンデミックがなければ、誕生しなかった短篇なのかもしれません。

 この本のタイトルは、おそらく短篇連作の内容からきているのでしょう。一連の短篇は、あまり売れていない 40 代の俳優が、ひょんなきっかけから京都の広隆寺で弥勒菩薩半跏思惟像 (みろくぼさつはんかしいぞう) と向き合う経験を得たところから始まります。彼は、この像は、中がくりぬかれてあり、空っぽだと、ある老人から教わります。そして、空っぽと無は違うとも老人から指摘されます。

 どう違うかの解釈は、ひとによって違うと思うのですが、わたしは、空っぽには、何かが入る前提あるいは何かを入れる心づもりが感じられますが、無にはそれがないと思いました。その空洞は、さまざまな役の中身が入る俳優なのかもしれません。(小説の終わりのほうに主人公の解釈も登場します。)

 そんなことを考えさせられるきっかけをつくったその老人は、最終篇でまた登場します。短篇を読み進めながら線をたどっていたつもりが、最終篇で始点とつながり、ひとつの輪になって完結したような感覚がしました。

 論理的というか、老人が最初に登場するプロローグから始まり、主人公がさまざまな役を演ずる第 1 話から最終話まで続き、エピローグで老人が再登場して終わるという構成になっていて、とてもすっきりとする構成です。しかも、第 1 話から最終話という呼び名が、テレビの連続ドラマを感じさせ、登場する俳優に合っています。

 いっぽう、エッセイのほうはどれも笑ってしまいました。どれも個性的な長いタイトルがつけられていて、なんとなく連想ゲームの雰囲気が感じられます。また、俳優の仕事を垣間見ることもできます。短篇とエッセイという組み合わせといい、個性的な一冊でした。
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2021年08月07日

「乱心タウン」

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山田 宗樹 著
幻冬舎 出版

 日本ではあまり聞かないゲーテッド・コミュニティが舞台になっています。『マナトキオ』と名付けられたこのゲーテッド・コミュニティは、総面積が 50 万平米で、区画あたりの面積は最低 200 坪、周囲に高さ 3 メートルの壁を張り巡らし、出入り用のゲートに警備員を常駐させ、セキュリティに万全の体制を敷くという、本格的な仕様です。

 郊外の『マナトキオ』から都心までヘリコプターで行き来する住人も多いのですが、そんな超高級住宅街が日本にあったとして、どんな人たちが住むのか、わたしには具体的に想像することはできません。でもライトというかシンプルなこの小説は、『マナトキオ』のなかは奇矯で、そとは真っ当という構図で対照的に描いています。

 マナトキオの人々は、権力や金銭や異性などに極度に執着し妄想に走っているいっぽう、そとの人々は家族や正義など大切なものを失わないよう踏ん張っていて、両者のあいだで揺れて行き来する人々もいれば、一見そとの人に見えたのに実はなかの人というケースもあります。群像劇のように見えなくもありません。

 多くの読者が共感するであろうそとの人々に、さまざまな困難が降りかかりますが、最悪の事態は起こらず、普通の暮らしを肯定しているといっていいと思います。

 伏線が張られていたり、意外な結末があったり、楽しめる要素もいろいろありましたが、全体としては物足りない印象でした。理由は、この小説のなかにある単純な社会のドタバタ劇にリアリティを求めてしまったことだと思います。展開のテンポも良く、ドタバタを純粋に楽しめるよう工夫された作品なので、これはわたしの性分の問題だと思います。
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