2022年04月07日

「坂の途中の家」

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角田 光代 著
朝日新聞出版 出版

 主人公は、まもなく 3 歳になろうとする娘と夫の陽一郎と暮らす専業主婦の里沙子。彼女が、世間を騒がせた乳幼児虐待事件の補充裁判員になるところから物語が始まります。事件の被告人である水穂は、生後 8 か月の娘を浴槽に落として溺死させた罪に問われていました。

 里沙子は、裁判員のひとりとして客観的に水穂を見ようと努めますが、証言の食い違いが見受けられ、家庭という密室のなかの状況は、そう簡単には把握できません。さまざまな角度から仮説を立てて考えていくうち、自分と近い家族構成に身をおく水穂に、知らず知らず自分自身を見ていくようになります。そして結果的に、自分と自分を取り巻く環境についても客観視するようになり、彼女なりの結論に達します。

 そんな彼女のことばの一部に驚かされました。
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憎しみではない、愛だ。相手をおとしめ、傷つけ、そうすることで、自分の腕から出ていかないようにする。愛しているから。それがあの母親の、娘の愛しかただった。
 それなら、陽一郎もそうなのかもしれない。意味もなく、目的もなく、いつのまにか抱いていた憎しみだけで妻をおとしめ、傷つけていたわけではない。陽一郎もまた、そういう愛しかたしか知らないのだ――。
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 相手が劣っていると言い続けて敢えて傷つけ、優れている自分のそばにいるほうが良いと相手に思わせるのは、自己中心的な行ないであって、そこに相手に対する愛など微塵も存在しないと、わたしには見えました。つまり、幸せな家庭のなかの自分、従順な家族に頼られる自分、そういった理想に近い自分像を維持するために、自分とは別の人格をもつ者を利用しているように感じたのです。

 なぜ、愛ゆえにおとしめられたという結論に里沙子が至るよう描かれたのでしょうか。モラルハラスメントから逃れられないケースでは、里沙子のように愛されていると誤解することが多いのでしょうか。里沙子が自分の状況を客観的に見つめなおしていくプロセスに惹きこまれたあとだったので余計に腑に落ちませんでした。
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2022年03月13日

「アイスクライシス」

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笹本 稜平 著
徳間書店 出版

 北極点を中心に広がる北極海は、北米大陸とユーラシア大陸に囲まれ、氷盤があるだけで南極のような大陸がありません。冬には容易に飛行機が離発着できる、その分厚い氷がなくなれば、その下に埋蔵されている膨大な化石燃料が手に入りやすくなるだけではなく、北極海航路を簡単に行き来できるようになり、その経済効果は、計りしれません。

 その事実がこの小説の出発点になっています。1 月のある日、ロシアが開発した純粋水爆 (起爆剤として原爆を使わない水素爆弾で、放射性降下物を生成しません) の実験が北極海で実施されるところから物語は、始まります。実験地点では、爆発の影響で急激な海水温上昇が起こり、大地のように見えていた氷盤に亀裂が次々と入って、一気に不安定になります。

 その近くでは、油田探索調査が実施されていました。日本の資源探査会社とそのクライアントである米国の準石油メジャーから成る 7 人の調査チームは、水爆実験について事前に何も知らされておらず、突然探査基地が海に沈むかもしれない状況にさらされます。しかも、極地特有の雪あらしの真っただ中で、飛行機による救助も望めません。

 最初は、調査チームの生還が叶うのか気になって、ページを繰る手が止まらなかったのですが、途中から単調に感じられるようになりました。その理由は、ふたつの単調さにあります。ひとつは、景色の変化が乏しい点です。雪あらしのために視界が悪く、氷盤の状態が悪くなるといっても、そう大きな変化は望めません。そのためか、極端な思想の持ち主がひとり登場人物に入っているのですが、それでも単調さは否めません。もうひとつは、良心のある人とない人がわかりやすく分かれている点です。国益を振りかざして国民を犠牲にする、良心なき政治屋連中と、それに逆らってでも一丸となって民間人を守る軍人たちといった、わかりやすい構図が少し単調に感じられました。

 北極の氷盤がなくなったときの経済効果を巡って、経済大国が芝居を打つといった設定はリアリティもあり、おもしろいと思いますが、小説を終わりまで支えるには少し足りないのかもしれないと感じました。
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2022年02月17日

「怒り」

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吉田 修一 著
中央公論新社 出版

 八王子郊外に住む尾木幸則、里佳子夫妻が殺害された現場の被害者宅には、犯人が被害者の血液で書いた『怒』という文字が残されていました。その犯人は、山神一也と特定されますが、その行方は杳として知れません。

 そののち、房総の漁協で働く槙洋平と愛子の親子、東京で大手企業に勤める藤田優馬、福岡から夜逃げ同然で母親と沖縄に引っ越した小宮山泉それぞれの前に、山神と似た年恰好の若者があらわれます。

 誰が山神なのか、あるいはその 3 人のなかに殺人犯はいないのか、そう疑いの目を向けて読み進めていくうち、あることに思い至りました。怒りとは、期待があってこその感情なのだと。

 そして期待とは、自分のことしか考えられず、すべてが自分の思い通りになることを前提とした期待もあれば、相手との距離や信頼関係などを推し量りながら、相手を信じたいという気持ちを徐々に募らせていく期待もあり、十人十色です。そして、それぞれの期待の実態は、本人でさえ正確に把握することはできません。さらに、第三者から見て、どこまでが真っ当な期待でどこからが真っ当ではないと線引きすることも現実的ではありません。

 身元のはっきりしないひとりの男の出現をきっかけに、さまざまな期待が生まれるいっぽう、その影の感情が生まれる場面もあります。たとえば、相手の期待が自己中心的なもの、つまり自分を単に利用するためのものではないかという疑いや裏切られるのではないかという恐れです。

 それぞれの登場人物の胸の内を読むにつれ、怒りとは何なのか、怒りの燃料となる期待とは何なのか、期待しないということはどういうことなのか、ひとりの人を受け入れるということはどういうことなのか、いろいろ考えさせられました。
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2022年02月16日

「BT '63」

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池井戸 潤 著
講談社 出版

 この作家の本を何度か読んだことはありますが、ファンタジー要素のある小説は初めてです。一種の再生物語ですが、超常現象を経験したことが再生のきっかけになっています。

 主人公の大間木琢磨は、精神分裂に悩まされ 2 年ものあいだ療養したあと、不思議な体験をします。父大間木史郎がかつて手にしていたボンネットトラック (タイトルの BT は、ボンネットトラックの略) の鍵を琢磨が持つと、40 年ほど前の父親の意識に琢磨の意識が同化するのです。

 その不思議な経験によって琢磨は、自身が生まれる 3 年前 1963 年当時の父親の生き様を垣間見ることになります。その姿は、自身が父親に抱いていたそれまでの印象とはまったく異なるものでした。そして、さらに知りたいという欲求を抑えられず、ボンネットトラックの鍵を何度も手にし、現代においても父親の過去を知ろうと行動を起こします。

 琢磨が、自らの意識を父親のそれと同化させる経験を重ねたり、過去を知る人を訪ねたりするなかで、高度経済成長期にあった 1963 年当時の史郎がのっぴきならない状況に追い詰められていることが判明していきます。それが、自分自身の存在を確かなものとして感じられない状況に陥った琢磨の苦境と重なって見えます。

 過去は、変えられません。そして、前を向くことを諦めてしまったら、変えられるはずの未来も閉ざされてしまいます。また、他人と自分を比べることに意味はありません。自分が本当に欲しいものは何か、自分に向き合うことでしか知ることができません。そんな当たり前でいて、忘れがちなことを思い出させてくれる作品だと思います。

 シンプルなわかりやすいメッセージだけに読みやすく、先の見えないサスペンスとしても楽しめました。特に、読み手が色眼鏡で見てしまいがちな若いカップル、和気一彦と相馬倫子が思わぬ優しさや心配りを見せて、意外な結末に至った点が予想を超えていて、驚かされました。
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2022年01月25日

「老後の資金がありません」

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垣谷 美雨 著
中央公論新社 出版

 社会問題をテーマに次々と小説を発表している作家が老後資金の問題を書いたものです。

 結婚間近の長女さやかと就職間近の長男勇人と業績が悪化している建設会社で働く夫章と暮らす篤子の視点で物語は進みます。パートタイムの仕事をしながら忙しく家事をこなす篤子は、あちこちのしがらみに絡めとられ、不運が重なったせいで、夫から管理を丸投げされている貯金が減っていくなか、先行きの生活に不安を覚えるようになります。

 老後 2000 万円問題が大々的にマスメディアを賑わしただけに、篤子が金銭面で老後の生活に不安を感じる状況は身につまされます。しかし、物語は、あることをきっかけに思わぬ方向に進みはじめます。裕福な暮らしをする義妹に対し、お金がないことをきっぱりと告げ、毎月 9 万円という義母芳子への仕送りを止める代わりに芳子と同居すると宣言したのです。

 長年和菓子屋を切り盛りしてきた芳子は、心配性の篤子よりも変化への適応力が高いというか、ものごとに動じないというか、篤子とは違ったタイプで、意外な同居生活が始まります。

 常々思っていますが、経済的な問題に陥った場合、貧すれば鈍するで普段以上に自分のことしか見えなくなる人たちのなんと多いことか。そうならず、心を失わずにいれば道は開けますし、そのことをこの本を読んであらためて思いました。篤子たちが心を失わず、切り開いた道は清々しく、読後感のよい話だったと思います。

 現実社会は、家族に対してさえ思いやりをもてない人たちで溢れているだけに、この本を読んでいるあいだは、温かい気持ちになれた気がします。また、日常のこまかなことにリアリティが感じられ点、途中までは先々の展開が易々と予想できたのに途中から先が読めなくなった点も楽しめました。
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