俵 万智 著
岩波書店 出版
何気ない日常を短歌にして一世を風靡した歌人だけあって、ことばを覚えつつある息子が、ほんの束の間使うことばなどを聞き流さず、観察し、エッセイとして残しています。
たとえば『おんぶ』。著者は、息子をおんぶしたことがなく、おんぶされるほかの子を見た息子は、『背中で抱っこ』してほしいとねだったそうです。でも、『おんぶ』ということばを知ってしまうと、『背中で抱っこ』を使わなくなったそうです。著者は、そんなことばを次のように見ています。
子どもの言葉に、はっとさせられることは多い。手持ちの言葉が少ないぶん、表現したい気持ちがそこに溢れていて、聞いた大人は楽しくなる。時には楽しくなるだけでなく、驚いたり、考えさせられたりもする。このエッセイで、わたしが一番はっとさせられたのは、わたしにはもう残っていない熱量でした。著者は、ことあるごとに息子から『英語でいうとなに?』と尋ねられた時期があったそうです。『英語でいうとなに?』攻撃は、それこそえんえんと続いたようで、著者は、『必要に迫られなくても身につけたいと思うのが、子どもなのかもしれない』と結んでいます。
英語くらい話せないと困るかもしれないとか、英語ができないと試験に合格できないとか、そういった計算ではなく、自分たちとは違うことばを純粋な好奇心から知りたいと思う気持ちは、わたしにもありました。日本語との違いに気づくたび、日本語への理解も深まり、おもしろくて仕方がなかった頃のことを思い出し、あの熱量はもう戻ってこないのだと気づかされました。わたしも著者同様、考えさせられました。