2021年03月08日

「ことば選び実用辞典」

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 ビジネスで堅い感じの文章にしたいときなどに重宝しています。たとえば『起こる』ということばを引くと、喚起、起因、起業、偶発、継起、興起、興業、興隆、再燃、再発、散発、惹起、出来、触発、振興、新興、生起、続発、台頭、多発、突発、発祥、発生、発動、頻発、復興、併発、発起、勃興、勃発、連発などの熟語が並んでいます。

 もちろん、まったく同じ意味をもつ熟語が並んでいるわけではありませんが、ちょっと小難しく見せたいときなどに、これらの候補から最適なものを選ぶことができます。

 ただ、こういった類義語を見比べていると、やはり適切な単語を選ぶことは、意味のあることだと再認識させられます。普段英語で生活しているわたしの知人は、いちおう日本語が母語ですが、このなかの『惹起』が何度見ても読めず、いつも読み方を尋ねられます。

 もちろん誰もが知っている単語を使うことが大切なときもあります。しかし、『起こる』と『惹起する』から受ける印象は明らかに違います。後者は、何かきっかけがあることがイメージされ、その文脈では『惹起する』のほうが適切だと思えることも往々にしてあるのです。

 よりぴったりすることばを見つけたり、提案書など堅い表現が似つかわしいと思える場面で使える、タイトルどおり実用的なポケット辞書だと思います。
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2020年09月24日

「失礼な日本語」

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岩佐 義樹 著
ポプラ社 出版

 これまでわたし自身が明確に疑問を提示できないものの、どうすればいいのか迷ってきた問題が取りあげられていて、読み甲斐がありました。

 ひとつは『いただく』の多用です。以下の@とAは、どちらが正しいでしょうか。

@ 本日ご来店くださったかたにはもれなく記念品をさしあげます。
A 本日ご来店いただいたかたにはもれなく記念品をさしあげます。

 答えは、@です。『〜くださる』は尊敬語で、『〜いただく』は謙譲語です。この文章は、店側から客へのメッセージで、文中の『かた』は、客と考えられます。客が主体になっているのに謙譲語を使っているため、誤りだそうです。

 ただ、客に向かって『ご来店くださり、ありがとうございます』と言っても、『ご来店いただき、ありがとうございます』と言っても、正しい敬語です。そこから、『ご来店いただいたかた』という誤りが生まれるのではないかと著者は推測し、さらに、相手が主語の『してくださる』ではなく自分が『していただく』という言葉を使うのは、無意識に自分中心になっているのかもしれないという見解を述べています。

 この無意識に自分中心になっているという指摘は、わたしにとって納得のいくものでした。相手を敬う気持ちは薄れ、自分がへりくだっていれば無難という流れがあるのかもしれません。

 もうひとつは、『です・ます体』では形容詞の扱いが難しいことです。この『難しい』も形容詞ですが、これを『です・ます体』で丁寧にするとき思い浮かぶのは『難しいです』や『難しかったです』などですが、稚拙な感じが否めません。

 ではどう書けばいいのでしょうか。正しくは『難しゅうございます』ですが、現代では若い人を中心に違和感を抱かせる表現かもしれません。『難しいのです』と、『の』を入れる手もありますが、ニュアンスが微妙に変わり、素直な気持ちを表現した印象は薄れます。

 著者は、別の工夫を提案しています。たとえば、目上の方に久しぶりにお会いしてうれしいと思ったときは、『久しぶりにお会いできてうれしい一日となりました』と表現することができます。

 形容詞を『です・ます体』に取り入れる際、ああでもないこうでもないと迷うのは自分だけではないと知ることができたことは収穫でした。
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2020年03月10日

「超・箇条書き」

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杉野 幹人 著
ダイヤモンド社 出版

 以下は、本書籍の紹介です。この本に書かれた内容が実践された箇条書きだと思います。著者によると、箇条書きのメリットは、書き手が箇条書きでまとめることにより、読み手がすべき情報処理(理解するプロセス)の負担が減り、より正確に伝わることだそうです。

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 箇条書きについて、自己評価してみたところ、上記の MECE (ミーシー) 崩しができていないことに気づきました。MECE は、Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive の略で、ダブりもなく、漏れもないことを指しています。

 重複せず網羅できていることはいいことだと思っていたのですが、著者は、MECE により、伝えたい相手に引っかかるフック、山場がなくなってしまうと言っています。たしかに、伝えたい相手に伝えたい内容が伝わることが大切なのであって、網羅することを最重要事項のように考えるのは間違っているような気がしてきました。

 箇条書きの道のりはまだまだ先がありそうです。
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2019年11月27日

「日本語はおもしろい」

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柴田 武 著
岩波書店 出版

 印象に残った話題のひとつが、アクセントの変化です。具体的には、頭高アクセントだったことばに新たに平板アクセントが加わる現象を指しています。その際、ふたつのアクセントの間に意味の違いが見られる場合と意味の違いが見られない場合がありますが、両者とも、平板アクセントのほうが『新しい』『若々しい』『都会的な』『仲間うちの』言い方だという印象を与えます。

 前者の例に『パンツ』があります。頭の『パ』にアクセントがあるほうが昔からあることばで下着を指し、平板アクセントのパンツは、ズボンのことを指しています。このように、アクセントの位置で意味が異なるようになったことばは他に、パーティー、チーム、ゲームなどが挙げられています。後者の例には、データ、レベル、ゴール、サーファー、タックル、ショッピング、バッテリーなどがあります。

 平板化は具体名詞から始まっていて、抽象的な概念を示す名詞には影響があらわれにくいと考えられています。平板化の理由はふたつあって、ひとつは多数派に組み入れられていく傾向があることです。日本語から外来語を引いた在来語に限れば、47.3% が平板アクセント (「日本語発音アクセント辞典改訂版」(日本放送出版協会、1985 年) の 53,000 語から得た数字) なので、頭高アクセントが多数派である平板アクセントに変化しているという考えです。もうひとつは、新しい、若々しいといったイメージが求められて使われているという考えです。

 頷いてしまったもうひとつの話題は、清少納言の枕草子の冒頭の文。『春はあけぼの』。この文のあとには『いとをかし。』が省略されていると学校の教科書などでは言われています。しかし著者は、その意見に異を唱えています。「桃尻語訳 枕草子」で枕草子を現代語にされた橋本治氏の意見を引用しています。
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まず、一番最初のあまりにも有名な冒頭 [春は曙] であります。[春は曙] ただこれだけ。それがいいんだとも悪いんだともなんだとも、彼女は言っていない。普通ここを現代語に訳す時は [春は曙 (がよい)] という風に言葉をこっそりと補って訳しますが、本書ではそういうことはしません。いいとも悪いとも何ともいっていないそこを押さえて、 [春って曙よ!] これであります。これだけしか言ってないんだからこれだけが正しい。
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 わたしもこちらの解釈のほうが落ち着きます。
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2019年10月10日

「校閲記者の日本語真剣勝負」

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東京新聞・中日新聞 編
東京新聞出版局 出版

 東京新聞の校閲担当者が、校閲という仕事のなかで修正を入れるべきか迷った経験などを交えながら、誤用といわれる日本語や簡単には想像できない語源などを紹介しています。

 この手の本を読むと、間違えないようにわたしも気をつけなくては……と思うことも多いのですが、今回は誤用よりも、新聞という立場の難しさを垣間見ることができました。ことばの意味が少しずつ変わり、本来の意味ではなくいわゆる誤用のほうの意味で解釈する読者が増えると、きちんと伝わっているか、気になるようです。

 そういう事情があって、ことばによっては新聞としての暫定的な方向性を決めて対処なさっている様子でした。

 たとえば『悲喜こもごも』。大学の合格発表のように喜ぶ人もいれば落胆する人もいる状況を描写するときに使われることがあります。でも「広辞苑」には、『一人の人間の中で悲しみと喜びが交互に訪れること、同じ一人の心の中で悲しみと喜びが入りまじる様子』とあります。そのため新聞では、一人の感情・心境についてではない、複数の人の情景描写には『悲喜こもごも』を使わず、なるべく『明暗を分ける』などとしているそうです。

 また『極め付けの芸術品』のように使われる『極め付け』。本来は『極め付き』だそうです。大辞泉には『書画・刀剣などで鑑定書の付いていること。優れたものとして定評のあること。また、そのもの。折り紙付き』と説明され、昔はこの鑑定書のことを『極め書き』といい、これが付いていることを『極め付き』といったそうです。それがいま『極め付け』が多用されるようになり、『極め付きに同じ』と辞書に書かれるようになってきているそうです。しかし、新聞ではなるべき『極め付き』を使うようにしているそうです。

 最後に、翻訳ではない新聞でそんなことばが使われているのかと思ったのは『孫息子』です。著者は、『孫息子』はおかしいといわれると明かしたうえで、『孫息子』に違和感を覚える理由は、かつての家制度があるのではないかと述べています。男性優位社会では、孫といえば男の孫を指し、あえて息子を付ける必要がなかったことが理由ではないかと推察しています。これは、子といえば男の子どもを表していたことからも納得ができるという意見です。そういう背景があって、あまり馴染みのないことばですが、孫の男女を区別したいときに便利であり、男女平等の観点からも、新聞では『孫息子』を使っているそうです。
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