2018年06月20日

「恋する日本語」

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小山 薫堂 著
幻冬舎 出版

 普段あまり使われない日本語、著者がちょっといいなと思ったことばを使って、短い恋のお話が仕立てられています。

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同窓会で、
昔のボーイフレンドと再会した。

帰る方向が一緒だったので、
タクシーでうちの前まで送ってもらった。
でも、着いたところで……
今の彼と偶然、はちあわせ。

彼は「今のは誰?」と
私に尋ねることもなく、
ただ、「おかえり」と笑顔で迎えてくれた。

私は彼の、そんなところが大好きだ。
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 このお話ができたのは、『赤心』ということばから。赤心は、「偽りのない心。人を心から信用して、 全く疑わない心」。

 とてもシンプル。世の中すべてがこれほどまっすぐならいいのに、と思うくらいに。
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2018年04月17日

「日本語は美しいか―若者の母語意識と言語観が語るもの」

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遠藤 織枝/桜井 隆 著
三元社 出版

『まとまりのない残念な出来の本』です。とても興味深いコンテンツが含まれているいっぽうで、一冊の本には一定のテーマが必要だということも、本は読者との対話だということも、忘れ去られているように思いました。

 この本は、「第 1 部 美しい日本語」、「第 2 部 敬語」、「第 3 部 調査報告 4 つの言語の言語観」の三部構成になっています。「第 3 部」は、各地 (日本、韓国、ニュージーランド、中国 (北京と武漢)) の学生 (ニュージーランドは、例外的に学生に限定されません) を対象にそれぞれの言語について思い浮かぶイメージを問うた調査とその分析で、とてもおもしろく読めました。

 まず、調査地点によってニュージーランドとアジアで分けて見ることができますが、アジア内でも日本と韓国はそれぞれ日本語と韓国を母語として育つのが一般的ですが、中国は中国語 (おそらくMandarin Chinese) を母語としない学生も多く、ニュージーランドとの共通点が見つけられます。

 次に、日本と韓国では文字による違いがあらわれ、韓国ではハングルやその祖となった世宗に言及する学生が多いのですが、日本では、漢字とひらがなとカタカナという文字の混在に言及する学生が多くなっています。

 このように「第 3 部」については、読者が自身がさまざまな視点で比較もできますし、分析内容も簡潔かつ明瞭でした。

 問題なのは、表紙のタイトルと「第 3 部」のあいだにある内容です。「第 1 部」では、日本人は、「日本語は美しい」と感じたり、「美しい日本語」を大切にすべきと思っていると述べたうえで、その考えに影響を与えたであろう過去の主張を列挙し、それぞれに反論しています。「第 2 部」では、「日本語は美しい」といわれる根拠は敬語にあるかのように敬語をとりあげ、複数の映画に登場する会話から敬語を拾っています。

 出発点である『「日本語は美しい」と思っている日本人』という図式の根拠が薄弱で、「第 1 部」は、砂上の楼閣を思わせます。また、「美しい日本語」と「敬語」に客観的な関連性を見いだせず、「第 2 部」は、唐突に感じられます。さらに「第 3 部」では、現代の日本人 (学生) が『日本語は美しい』などと思っていないことが明らかになるため、全体の流れとして不自然です。

「第 3 部」の調査と分析が的確なだけに残念な印象が残りました。
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2018年04月10日

「ビミョウに異なる 類義の日本語」

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北原 保雄 著
小学館 出版

 タイトルにあるようにビミョウに違うことばを比べているのですが、驚いたことがいくつかありました。

 まず、ワイシャツとカッターシャツ。これらが同じ衣類を指していることは、実物を見ていればわかることなのですが、驚いたのはカッターシャツの語源です。スポーツ用品メーカーの美津濃 (現ミズノ) の元社長水野利八氏が「勝った」をもじって作ったそうです。『カッター』が日本語だったなんて驚きです。

 次に、ウールとカシミヤ。ウールが羊毛、カシミヤがカシミヤ山羊の軟毛から作られ、そのカシミヤ山羊はインド北部のカシミール地方およびチベットが原産で、冬は寒くて乾燥し、夏は熱帯という温度差の激しい高度 1000m の山奥に生息するという説明はいいのですが、驚いたのはその量です。カシミヤ山羊からセーターを 1 枚編むのに約 4 頭分、コートだと約 30 頭分もの原毛が必要になるそうです。カシミヤのコートを見るたび、軽くて暖かいけれど、お高いと思っていた態度をあらためる気になりました。

 最後は、同じだと思っていたのに実は違っていたもの 2 組です。まずは、クッキーとビスケット。一般社団法人全国ビスケット協会によると、「日本では糖分や脂肪分の合計が 40% 以上含まれていて、手作り風の外観をもつものを、クッキーと呼んでもよいという決まりがあり、両者を区別して使う傾向がある」とのことです。クッキーと呼ぶ要件の存在を初めて知りました。次は、ぼた餅とおはぎ。春は『ぼた餅』、秋は『おはぎ』と呼ぶのですが、両者のあいだに小豆の収穫時期が挟まります。収穫したての小豆は皮ごと食べられるいっぽう、春になると皮が固くなって口当たりが悪くなります。その結果、秋は、粒々としたつぶ餡で萩の花のように仕立て、春は、皮を取り除いた滑らかなこし餡で牡丹の花のようにするようになったというわけです。

 どれもビミョウな違いのお話でした。
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2018年04月09日

「オノマトペの謎――ピカチュウからモフモフまで」

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窪薗 晴夫 編
岩波書店 出版

 8人の専門家がそれぞれのオノマトペに関する論点を披露しています。とりわけ面白かったのは浜野祥子氏の『「スクスク」と「クスクス」はどうして意味が違うの?』と坂本真樹氏の『「モフモフ」はどうやって生まれたの?』です。

 ひとつめの『「スクスク」と「クスクス」はどうして意味が違うの?』。まず前提として、オノマトペでは、個々の音が意味を持っていると知る必要があります。聞いたことのないオノマトペでも、なんとなく言わんとすることが理解できるのは、そのせいです。しかし、「スクスク」と「クスクス」は、同じ音を同じ数だけ使っているのに、受ける印象が違うのが不思議だという意味で、このタイトルになっています。結論は、子音の位置が 1 番目になるか 2 番目なるかで、象徴するものが以下のように違ってくるというものです。

第 1 子音第 2 子音
k/g 硬い表面 空洞、上下、内外の動き 
t/d張りつめていない表面 打撃、接着
s/z流動体、滑らかな表面摩擦
p/b張りのある表面破裂

 以下は、オノマトペを訓令式のローマ字 (例外として撥音「ん」には N、 促音「っ」には Q) を使ってあらわした例文です。

(1) 子供が階段をストン (sutoN) と滑り落ちた。
(2) 大きな葉をバサバサ (basabasa) 切った。
(3) 濡れた紙が顔にペタッ (petaQ) と張り付いた。
(4) 名人は、刀で竹をスパッ (supaQ) と二つに切った。
(5) 酒をトクトク (tokutoku) 注いだ。
(6) きつつきが木の幹をコツコツ (kotukotu) つっついている。

s は、(1) の第 1 子音で「滑らかさ」を感じさせ、(2) のように第 2 子音になると、「運動」を感じさせています。
p は、(3) の第 1 子音で「張りのある表面」を感じさせ、(4) の第 2 子音では「破裂」を感じさせています。
t は、(5) の第 1 子音で「弛緩した表面」を感じさせ、(6) の第 2 子音では「外に出る運動」をあらわしています。

 ひとつひとつ説明されると、オノマトペの場合、聞いたことがなくてもかなり正確にニュアンスが汲みとれるのは、気のせいではないと納得できます。

 次に『「モフモフ」はどうやって生まれたの?』。『「スクスク」と「クスクス」はどうして意味が違うの?』を読んだあとだったので、最近まで存在しなかった「モフモフ」という表現が伝える感触が瞬時に理解され、広く使われるようになった事実を容易に理解することができました。

 それでも、紹介されていたオノマトペの数値化プログラムには驚きました。ひとつのオノマトペを入力すると、明るいと暗い、暖かいと冷たい、厚いと薄いなど 43 の反意語ペアそれぞれに 0 から 1 の範囲の数値が表示されます。モフモフを入力すると、『やわらかい』が 0.82、『(『鋭い』の反意語としての) 鈍い』が 0.57、『(『シャープな』の反意語としての) マイルドな』が 0.56、『暖かい』が 0.54、『(『薄い』の反意語としての) 厚い』が 0.44、『(『激しい』の反意語としての) 穏やかな』が 0.42 といった納得できる数値が並んでいます。ここまで数値化できると示されると、わたしたちが音に対して何かを感じていると思っても、感性などまったく関係なく、理詰めで考えているのではないかと思わずにはいられません。
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2017年09月14日

「日本語でどづぞ」

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柳沢 有紀夫 著
中経出版 出版

 タイトルは、ケアンズの射撃場が出していた広告の間違いだそうです。オーストラリアの観光地でこんな間違いが見つかるのかと驚いて見たところ、この本の出版は2007年と、古い情報のようです。

 いまは、翻訳ソフトの精度もあがり、ソフトの出力をコピペすれば、この手の間違いは避けられ、実際同僚の外国人のなかには、日本でタクシーに乗って行き先を伝えたり、ちょっとした依頼を告げるとき、すべて翻訳ソフトで間に合わせている人もいます。そういった時代の流れを考えると、何とかして日本人観光客の気を惹こうと頑張ったものの、驚くような日本語の間違いを披露する羽目になった光景が目に浮かぶと懐かしい気分になります。

 ただ、そこに日本語を使う必要があるのかと疑問に思うケースもかなりあり、著者も紹介例の『多くは日本人ではなく、基本的には現地の人を対象にした商品』と認めています。では、なぜ日本語を見てわからない人々のためにわざわざ日本語で表記するのかを、著者は『「日本語はカッコいい」と思っているからにほかならない』と説明しています。著者がいた広告業界では、意味がわからなくてもおしゃれに見えるものを「単なるデザインエレメンツ」と呼び、日本では英語を「デザインエレメンツ」としていたという例を挙げています。根拠薄弱な説明ではありますが、否定する根拠もありません。なにしろ日本でも意味不明な英語が氾濫していたのは事実ですから。

 著者のこの考察は、わたしにとって興味深いものではありますが、この本の扱いとしては、こうなった原因を考えるのではなく、あれこれツッコミながら、笑って読むのが正解だと思います。
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