2011年11月18日

「百年の誤読」

20111118「百年の誤読」.jpg

岡野 宏文/豊崎 由美 著
ぴあ 出版

 過去百年を10年ずつ区切り、それぞれの時代のベストセラー本を語る対談が本になったものです。「ベストセラーに良書なし?」という疑問がもとになった対談のようです。といっても、おふたりの職業を考えると、それはたぶん単なるアイキャッチャーとしてのフレーズなんでしょうけれど。

 しかもあの大作をもじったタイトル。大胆な本だと思って読み始めましたが、半世紀近く生きてきた眼で、こうして10年ずつベストセラー本を眺めていくと、良書であろうとなかろうと、たしかにそういう時代もあったし、いまとなっては懐かしいと感じる本が数多くありました。特に、松本清張とか俵万智とか。

 おふたりが好き勝手に本を評しているこの本を読めば、本をどう読みどう評価するかは、各自のまったくの自由ということが、よく伝わってきます。一番おもしろかったのは、豊崎氏が村上春樹の作品を酷評した件を謝る場面です。わたしたち一読者にとっては、読んだあと「おもしろかった」と思うか「つまらなかった」と思うかだけの問題ですが、おふたりのように仕事として本を扱えば、村上作品のように中途半端な位置づけは困ったんだろうな、と思います。ファンタジー作品ともいえない、あの微妙な空想世界というか。

 ぐっと若い世代にとって、読んでおもしろい対談かは疑問ですが、学校で名作と教えられている作品がこのなかでどう扱われているかを読んでみるのも、悪くないと思います。
posted by 作楽 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

『カリスマ編集者の「読む技術」』

20111013『カリスマ編集者の「読む技術」』.jpg

川辺 秀美 著
洋泉社 出版

 大風呂敷を広げたタイトルなので、過大な期待を抱いてはいけないと思いつつ、「読む技術」なるものがあるのであれば知りたいという欲求に勝てずに読みました。

 この「読む」という動詞は、意味が広いのですが、わたしが期待した「読む」は「読み解く」、つまり「解釈する」や「理解する」といった意味あいだったのですが、この本はどちらかといえば「読みあげる」に近いように感じました。

 たとえば、本を読みたいと漠然と思っていながらもなかなか読めずにいる状況で、読む行為を習慣化するにはどうしたらいいか、読むという億劫な作業のとっかかりは何が向いているか、といったアドバイスが載っています。

「読む」が習慣化しているわたしにとって、ぴったりの本ではありませんでしたが、共感できる点がいくつかありました。

 ひとつは、「万人にとっての名著は存在しない」ということです。人にはそれぞれに合った本や読書体験があるのであって、絶対的な存在はないという考え方は、そのとおりだと思いました。だから、著者はこの本でも、自分にとって価値のある書籍やその出会い方を披露していますが、それらを特別勧めているわけではありません。

 そのほか、「自分の思考を整理する−>習慣化する−>行動する」という連環のなかで読書は、エンジンの役割を果たしているという説明も腑に落ちました。わたし自身も、駆動力を得たくて本を手にする機会が多いからです。

 もう少し本を読むべきだと考えながら、なかなか手がでない人には、ある程度参考になる本だと思います。
posted by 作楽 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

「10分間リーディング」

20110527「10分間リーディング」.jpg

鹿田 尚樹 著
ダイヤモンド社 出版

 ビジネス関連などの書籍の内容を効率的に取り入れるコツが紹介されています。

 タイトルにあるとおり、読む時間を最初から区切り(ここでは一応10分と提案されています)全部読もうとせず、何かひとつ収穫するくらいの気持ちで読むことを勧めています。そして、読むこと以上に、読む前の目的設定や読んだ後のアウトプットに力点を置くよう説いています。

 読んだ内容が残らなかったという、本を読むうえで誰もが一度は経験する徒労感を回避する目的で、読んだ内容を活用することを重視しています。やはり、目的があるのとないのとでは、吸収できる量に差がでるのは納得できますし、また時間を区切ることにより集中力が増すことも理解できます。

 しかし、この本のように内容がスカスカであれば、10分で充分かもしれませんが、実際問題としてはどの本にでも適用できる手法ではありません。

 数ある読書手法のひとつとして知っておいてもいいかもしれませんが、正直いって、この内容でこの値段であれば、コスト面で満足を得るのは難しい気がします。
posted by 作楽 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

「読書こそが人生をひらく」

20110111「読書こそが人生をひらく」.jpg

渡部 昇一/中山 理 著
モラロジー研究所 出版

 "教養"という漠然とした概念を実存するかたちとして見た気がしました。師弟関係にある渡部氏と中山氏の対談が収められている本なのですが、嫌味なく爽やかに教養が披露されています。(ちなみに、渡部氏は上智大学名誉教授で、同大学で教育を受けた中山氏は現在麗澤大学学長です。)

 このおふたりの見識ある発言は、膨大な読書量に依るものだと思われました。俄かには信じがたいような話題も飛び出すのですが、そこは読書を謳った本だけに根拠となる文献が挙げられてあり、望めば元となった本にあたることができます。捻じ曲げられた事実に惑わされることなく判断をくだすには、多角的に見ることが必須であり、その手段としていかに本が優れているかが納得できました。

 しかも渡部氏は稀覯本の蒐集家としても有名だそうで、その方面の話題も豊富で楽しめました。

 本を読むことが無駄という風潮も一部ではあるなか、本好きにとっては心強い味方ができたと感じながら読み終えました。
posted by 作楽 at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

「幼い子の文学」

20100319[OsanaiKonoBungaku].jpg

瀬田 貞二 著
中央公論新社 出版

 幼年期に接する文学について、絵本、童唄、なぞなぞ、詩などそれぞれの分野の考察がなされています。1976年の6月から月1回開催された、児童図書館員を対象とした講座がもとになっています。残念ながら、著者の病気療養のため、講座は翌年2月で終わっていて、全体としてどれだけの構想があった講座かはわかりませんが、ここにある内容だけでもかなりの内容が網羅されているのではないでしょうか。

 子供時代にかぎらず大人になってからも童唄や詩にはあまり縁がないので、実例をもとに解説がなされていても、実感として重みを感じたり腑に落ちたりするだけの力がないのですが、絵本の部分は感じるところがありました。

 ひとつは、「行きて帰りし物語」の章で書かれている「行って帰る」方式です。これは、子供が喜ぶ話のパターンをあらわしています。すごく単純なことなのですが、言われるまでは気づきませんでした。子供というのは、家のなかで過ごすだけでは満足できません。で、どこかに行くのですが、でも帰ってくるのです。どこに行くか? 何をするか? 誰と出会うか? それらを考え行動し終わると、きちんと自分の居場所に帰ってくるのです。流浪する大人、どこかに移動する大人は、当たり前ですが、子供はやはり帰ってくることを期待する。当たり前のようでいて、物語の展開として捉えたことがなかったので、驚きと発見がありました。

 もうひとつは、文章の流れについて。良くない例のあと、流れの良い例が示されています。
<<<<<
「犬さん犬さん、子ぶたを噛んでくれんかね? あいつめ、柵を越えたがらんのだよ。これじゃ、今晩じゅうにうちへ帰れそうもないよ」
ところが犬は、うんといわなかった。
(中略)
 こういう具合になります。これですと、じっさいにお話する時に、「……かね」とか「……だよ」なんかのところで一つ一つひっかかっていくんじゃないか、そういう懸念があるんですね。
 たとえば、おばあさんが犬に頼むところ。−−「犬さん犬さん、子ぶたを噛んでくれんかね?」この「くれんかね」で一つ大きな息がつかれますね。「あいつめ、柵を越えたがらんのだよ」。ここでまた一息つく。「これじゃ、今晩じゅうにうちへ帰れそうもないよ」。これじゃ、ほとんど三つの息でしゃべらなくちゃならんことになる。ここはやっぱり「イヌよ、子ブタにくいついておくれ。子ブタがさくをとんでくれない。それで、わたしは、今夜、うちに帰れないんだよ」というふうな、すっと矢のようにいく、ひと貫きのせりふでないと、この話の進行感が出しにくいわけなんで、これが三つにポキポキになってしまうと、ちょっとやりにくい。
>>>>>

 良くない例として挙げられているほうが、わたしにはより自然なセリフに感じられます。しかし、著者は、声を出して読むときの勢いの点で劣ると言っています。絵本の特性を考えると、音読は大切な要素です。でも、わたしがこの作品を翻訳しようとしたら、良くない例のほうを選ぶ気がします。たとえ、音読は大切な要素と頭では理解していても。それは流れの良さの度合いを感じる力がないからです。自分の感性のなさを知ってしまいました。
posted by 作楽 at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする