ピエール・バイヤール 著
大浦 康介 訳
筑摩書房 出版
タイトルからはハウツー本のように見えますし、実際に導入部分ではそういう意味のことが書かれています。著者は大学教授という立場から読んでいない本を語る必要に迫られることが多く、その点では本にできるほどの経験を重ねていると。しかし、未読本を語る方法を本当に教授しようとしているわけではありません。未読本に対する評価を控えるな、ということを説くために、本を読むとはどういうことかを掘り下げて考えている本です。
本ということばを使うとき、通常は集合体としての本です。そして、本が集まっている場所といえば、図書館です。著者は、その図書館ということばを自分なりのことばで分類し紹介しています。共有図書館、内なる図書館、ヴァーチャル図書館です。
共有図書館は「ある時点で、ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体である。」ある時点で、と限定されているのは時代によって評価が変わってくるからでしょう。この共有図書館の価値は、その時代の評価における構成要素間(一冊の本だったり、本のまとまりだったり)の関係をどれだけ把握されているかによって決まります。つまり、一冊一冊読んでいることよりも、数多く「一連の重要書」を認識し判断できるかによって充実度が決まるわけです。つまり、その充実度で教養の度合いが決まるというわけです。
内なる図書館は、「<共有図書館>の下位に分類されるべき集合体で、それにもとづいてあらゆる人格が形成されるとともに、書物や他人との関係も規定される。<内なる図書館>を形成しているのは、忘れられた書物や想像上の書物の断片である。」
ヴァーチャル図書館は、「書物について口頭ないし文書で他人と語り合う空間である。これは各文化の<共有図書館>の可動部分であって、語り合う者それぞれの<内なる図書館>が出会う場と位置している。」
本を読むという行為によって、内なる図書館は充実するでしょう。しかし、ヴァーチャル図書館が充実することによって、内なる図書館にも変化が表れるでしょう。このあたりが、本について語る意味、本について語ることを躊躇うべきではないという指針の根拠があるのでしょう。
著者は「重要なのは書物についてではなく自分自身について語ること、あるいは書物をつうじて自分自身について語るということ」だと言っています。言われてみればその通りなのですが、これは内なる図書館の定義にも通じています。本の集まりである内なる図書館が人格を形成するのですから。また、著者は「重視すべきは、何らかのアクセス可能な与件を出発点とした、作品と自分とのさまざまな接触点だということになるからである。」と続けています。
いままで、わたしのなかでぼんやりとしていて形を成さなかった本を読むという行為の意味が、わかった気がします。

