2007年09月10日

「本づくりのかたち」

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芳賀 八恵 編
8plus 出版

 発信したい何か、伝えたい何か、その何かをかたちにするのに、本というかたちを選んだ人たちとその本の紹介です。

 本と言われると、まず最初に思い浮かぶのは、入り口には新刊本が並べられていて、大きな駅の近くには必ずあるようなチェーン展開されているような本屋さんに置かれている商業本です。

 しかし、そのような本は本の形態の一部に過ぎません。

 自主流通、つまり取次と呼ばれる本の問屋さんを通らない形態もあるのです。そういう自主流通本は、商業出版では実現できなかったようなかたちにすることができます。もちろん、表現の自由は広がりますが、発行部数やコスト面でとても厳しいと思われます。でも、私のような本好きにとっては、よりメッセージを感じることも多く、魅力だったりするのです。

 この本を出版しているのも、個人出版社(8plus)です。テレビドラマに出てくるような、編集長がいて、カメラマンがいて、校正者がいて、大きなビルで運営されているような出版社のイメージからは大きくかけ離れています。

 そんな8plusの芳賀八恵氏が選んだ出版社は次のとおりです。

 牛若丸
 空中線書局
 トリトンカフェ
 SKKY\iTohen
 young tree press
 mini book Hana
 四月と十月
 小さなほん
 WINDCHIME BOOKS
 トムズボックス
 未来本
 Web Press 葉っぱの坑夫

 トムズボックスは豆本といわれるような小さな本もいくつか出版されていて、知っていました。この本を通して初めて知り、どうしても手にしたくなったのは、トリトンカフェの『peep paper』。vol. 1〜3まで出版されて、それ以降は休息中のようです。
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「ふつう、ワンテーマで強弱があるはずなのに、全部に力が入りすぎていると編集者の方に指摘されました。本としては面白いけど、ビジネスとして考えるとマニアックすぎるようです
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 出版者のひとりである大川潤氏のコメントです。そんな風に言われると、手にしたくなってしまいます。

 これに限らず、どの本もそれぞれの個性を放っていて、それぞれを選んだ出版者の本好きの熱が伝わってきそうです。
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2007年06月08日

「編集者という病い」

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見城 徹 著
太田出版 出版

 この本に対するひとくち感想。見せ方として失敗。裏側まで見せ、好奇心や刺激欲しさを満足させてくれる内容で成功。

 なんとなく、この本を眺めていると、スクリーンで見る刑事コロンボを思い浮かべてしまいました。初対面で、あの風貌を前に、コロンボが優秀な刑事だなんて、思えないです、普通。それに、あそこまでの鋭い観察力やしぶとい粘り強さがあるとも、思えないです、普通。

 この本の構成としては、寄せ集めを寄せ集めのまま、たいして工夫もせずに羅列したようにしか見えず、がっかり。パラパラとめくっても、何がどうなっているのか、さっぱりわかりません。今までに出版された本の解説や紹介文と思われる文があったり、書き下ろしたと思われる部分があったり。ミリオンセラーを出し続けている後発出版社、幻冬舎の社長の本という肩書きはあっても、中身はないのでは、がっかりするような感じです。

 刑事という肩書きがあっても、コロンボ刑事に事件を解決できるのかしら、とがっかりするのを似たような感じです。

 でも、本の中身をひとつひとつを読んでいくと、「そのとおりだ」と共感できたり、そこまでするから考えられない結果を出せるのかと刺激を受けたり、そんなことをせずにいられないから病いと位置づけるのかと納得したりする部分が、点在します。

 何よりも、息している時間をすべて編集者の時間として使っているとしか思えないような異常さが目をひきます。イマドキの、「残業がなくてぇ、休みが多くてぇ、給料のいい仕事ってないかなぁ」みたいな感覚からすると、命を削っているとしか思えないような働きぶり。

 この編集者、見城氏は、死ぬ瞬間のことだけを思って、毎日を駆けているようです。

 対談記事の中で、仕事をひとつ成し遂げただけでは癒されないのかという質問に対し、見城氏はこう答えています。
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 癒されない。人間は死に向かって行進してて、それはすべての人のが平等であるわけでしょう。死に向かっていく寂しさというのは、もう耐えようがない。自分はいずれ死ぬ。<中略>その恐れや孤独、寂しさを埋めるには、仕事か恋愛しかない。
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 死ぬ瞬間を考えて今を生きているという点では、池田 理代子氏の「あきらめない人生」に通ずるものがあるようにも思います。死の瞬間、人生が成功だったと思えて微笑むことができるかどうかを見城氏はゴールに据えているのです。

 加えて、客観的に見て受けるべき責任を引き受ける度量は拍手を送りたい気分です。「僕にとっては売れる本はいい本なんです」と断言する見城氏は、今の出版業界をこう批判します。
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本が売れないことを、自分の責任において引き受けない。
僕は、そんな出版人の「常識」の方こそ、実は「無謀」と思っている。
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 本が売れないのは、経済環境のせい、無料で本を貸し出す図書館のせい、安値で売るブックオフのせい。そう言っている出版人に檄を飛ばし、いい本を作れば売れる。売れないのは、いい本を出さないからだと、出版業界側の責任を自分で背負い、売ることによってそれを実証している姿を「あっぱれ」と言いたいです。

 それにしても、この本は、重複を省いたら、三分の一の量になってしまうものなのに、これだけ売れてしまうということは、手にした私が損した気分を多少味わっても、いい本なんでしょう、見城氏の持論によると。

 ちょっと納得できない部分もありますが、こういう強烈な個性の人の頭の中を少し覗けるのは、価値があり、おもしろいことだとは充分認めます。
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2007年05月29日

「本の読み方 スロー・リーディングの実践」

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平野 啓一郎 著
PHP研究所 出版

 ひとことで感想を言ってしまうと、前半はおもしろくなくて、後半はおもしろい。

 本の構成は、第1部から第3部の構成で、スロー・リーディングの基礎編、テクニック編、実践編と分かれています。

 前半、特に第1部があまりおもしろくないのは、やはり売れそうなネーミングに振り回されていることが原因ではないかと、私は推測しています。スローフード、スローライフなどが流行っているから、読書もスローリーディング、と名付けて、アイキャッチにしたものの、新しい名前に伴う新しい中身があるのかと思えば、そうでもないようなのです。

 私たちが昔から馴染んでいる熟読とスロー・リーディングがどう違うかが、きちんと納得できる説明がされていれば違った印象を受けたかもしれませんが、実際のところは、名前を流行りに合わせて本を売れやすくしてみました、という感じがしてしまいます。

 加えて、昨今もてはやされている速読と比較しているのも、的を射た印象を受けません。限られた時間内で、得られる最大限の情報を集めたいときに使う速読と、自分の楽しみや豊かさを追求するための読書を単純に比較することは、家族と過ごす週末に囲む食卓と、トラブルが発生してしまった仕事中に手早く栄養補給したいときの食べ物を比べているように見えるのです。

 ただ、後半部分は、かなり趣が違います。具体的な作品の一部を例に、著者がどう読むか、あるいは著者自身が作品を書く際にどういう視点を意識したか、などがわかり、とても興味深く読めました。

 この本を読まなければ、読みたいとさえ思わなかった本が例として挙げられていたこと。そういう見方もあるのかと、他人の視点と自分の視点を比較できたこと。作品を書き上げるということは、こういう細かいところまで気を配ることでもあると認識できたこと。そういう点をトータルに考えると、全部を読み終わった後としては、やはり読んでよかったと思う本でした。

 時間の惜しい方は、第2部と第3部だけ読まれてもいいかと思います。
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2007年02月22日

「本を読むわたし―My Book Report」

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華恵 著
筑摩書房 出版

 ラジオを聴いていると、昔なつかしい曲が流れてきました。ビーチまでドライブする途中によく聴いていた曲です。その曲を聴いていると、その当時ビーチで過ごした時間を鮮明に思い出しました。海の青さ、空と海の境界線、シャツの裾をはためかせる風、砂の熱さ、とりとめのない会話。

 静まりかえった池に、魚のえさを投げ入れたような感じです。魚のえさは、なつかしい曲。そのえさに群がる魚は、さっきまでの静かな池にいないと思っていた、昔々の記憶。

 「本を読むわたし―My Book Report」の著者、華恵さんにとって、色々な想い出と強く結びついているのは、いつもそこにあった本。本を手にとり、その表紙を眺めているとその本を選んだときのこと、読んだときに思ったこと、その当時に友達のこと、心にひっかかったできごとのこと、さまざまなことが本のページに挟まっているようです。

 華恵さんは、まだ15歳。とはいえ、文章はしっかりとしていて、彼女の繊細かつ豊かな感受性を十分に言葉に置き換える力を持っています。しかも、羨ましいことに、4歳程度の小さな頃のことを鮮明に覚えているのです。引越しをするたびに、大切に運んできた想い出の本が、昔の記憶を反芻させてくれているのかもしれません。

 14冊の本とその想い出が収められているのですが、本としての魅力を一番感じたのは、「I Like Me!」。アメリカでのひとりひとりの個性を認め尊重しようという考え方がいい方向に向けられている本のような気がします。いつか、手に取って読みたいと思いました。

 本に絡めた、彼女と人との交わりで一番羨ましいと思ったのは、「卒業」。本は卒業ですが、彼女の想い出は、おじいちゃんとおばあちゃんが入学式に来てくれたときのことや、そのあとの夏に花火を見に田舎を訪れたときのことです。華恵さんのお母さんとおじいちゃんは、色々ぶつかり合う仲です。親に対して素直になれないお母さん、子供が離婚したことに対しても怒鳴ってしまうおじいちゃん。その中に混じって華恵さんは、二人を細かく観察しながらも、おじいちゃんをいたわったり、お母さんの本当の気持ちを汲み取っています。彼女の優しさが伝わってきます。私は、華恵さんのお母さんのようなタイプなので、華恵さんや華恵さんのような素敵な娘を持つお母さんが羨ましく思います。

 この先の華恵さんの活躍を期待し、私の想い出と交わるような華恵さんの作品を心待ちにしたいと思います。
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2007年02月19日

「豆本への招待」

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桑原 宏 著
未来工房 出版

 豆本は、聖書や辞書など常に持ち歩きたい本のサイズを小さくしたことが始まりだと言われています。そのため、単に本のサイズやその中の文字サイズを小さくしただけの本が豆本であって当然なわけです。

 しかし、私個人が勝手に豆本に期待しているのは、"小さいゆえにかわいい"ということです。その上、その小さいサイズへの挑戦が感じられると、さらに嬉しくなってしまいます。

 そういう気持ちを充分満足させられる作品が数多く、写真つきで紹介されているのが、この「豆本への招待」です。

 昭和52年から平成6年にかけて、未来工房から出版された豆本が紹介されているのですが、写真が多用され、見ると欲しくなってしまうような豆本がたくさんあります。中でも、私が特別欲しいと思ったのは、ミニチュア家具シリーズです。小さな家具の中に豆本が収められているというもので、第T期5冊、第U期5冊、第V期5冊と合計で15冊にもなります。第T期は、机や本棚などの洋風家具、第U期は文机や鏡台などの和風家具、第V期は音シリーズです。おもしろいのは、音シリーズに便器が含まれていることです。私の一番のお気に入りは、第V期のジュークボックス。これは、「オルゴール美術館」で見た円盤が縦に格納されていて、コインを入れると音楽が鳴り出すタイプとそっくりにできています。

 また、この未来工房の豆本は執筆陣が豪華で肉筆サイン入りというのが特徴的です。池田満寿夫氏、五木寛之氏、田辺聖子氏、藤本義一氏、水上勉氏、宮尾登美子氏、吉行淳之介氏という考えられないような顔ぶれです。

 実物を手に取ることはできないだろうと思われる豆本ばかりですが、写真だけでも飽かずに眺めていられるものがページをめくるたびに現われます。

 豆本が好きな方は、この本自体も希少性が高いので、図書館か古本屋で探して、ぜひ眺めてみてください。興味が湧いてくる1冊があるはずです。
posted by 作楽 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする