2006年12月22日

「打ちのめされるようなすごい本」

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米原 万里 著
文藝春秋 出版

 「必笑小咄のテクニック」に続いて2冊めの米原万里氏の本。

 何といっても、タイトルにインパクトがあります。「打ちのめされるようなすごい本」。どんな本だろうか、と想像は膨らみますが、話はこうです。

 ある作家がある本を読み、「これではもう私が書く意味がない、と思ったほどすごい本でした」と、米原氏に打ち明けます。そこへ米原氏が、そんな本より、もっとすごい、この本で、「打ちのめされなさい」と言うのです。どちらも読まずにはいられないと思わずメモを取ってしまいます。

 でも、すごい本はそれだけではないのです。米原氏の考えられない量の読書から選りすぐられた本に対し、するどい指摘や観察が加えられた読書日記や書評を読むにつれ、これを読みたい、読まなければ、という気持ちにさせられる本が次々と、しかも生き生きと目の前に現われてくるのです。なぜなら、米原氏の中で消化され、論理が組み立てられ、色々な本とその中のドラマが絡み合ってくるからなのです。

 この本を1冊読み終えた頃には、読みたい本が山積みになり、なぜもっと今までにこんなにいい本を読んでこなかったのか、という後悔に捕らわれ、今からでも間に合うのか、という焦りを感じます。そういう意味では、この本を手に取るのにも、それなりの覚悟が必要になります。

 そしてこの本のすごいところは、本に限った話題だけではありません。前半は読書日記、後半は書評という構成になっているのですが、前半の読書日記では、米原氏ご自身の癌との闘いやその備えとして読了された数々の本も紹介されています。

 ご自身が癌であるという状況にありながら、癌に関する本および医療についても、他の本に対するのと変わらない客観的かつ本質的な指摘が連なっているのを見ると、彼女の優れた判断力および精神力を強く感じます。

 幅広い知識、世界を見渡す視野、ユーモアのセンス、高い語学力、何をとっても、本当に惜しい人を亡くしたと、思わずにはいられません。
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2006年11月24日

「ちいさな手づくり絵本」

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水野 真帆 著
毎日コミュニケーションズ 出版

 「美篶堂の「ちいさな手づくり絵本展」」を訪れたときに手にした「ちいさな手づくり絵本」。自分でも本を作ってみたいという気持ちを呼び起こさせてくれる本です。

 何かを自分で作ってみたいという気持ちを起こさせてくれるこの本の要素を考えてみました。

 一番大きな理由は、写真が多用されていて、見ながら作れば作れそうな印象を受けることだと思います。

 次に、かわいいイラストがあちらこちらに添えてあり、楽しい気分を盛り上げてくれます。かわいい〜、私も欲しい〜、といった勢いが出ます。

 最後のポイントは、事細かに指示され過ぎていないことです。こういうちょっとした工夫できれいに仕上がります、というアドバイスはありますが、この通り作りなさい、といった押し付けがましい感じが一切ありません。ご自分のアイデアで、膨らませてくださいね、といったメッセージを感じます。

 かわいい雑貨のように、見ていてかわいい5種類の本の作り方が載っていますが、私の一番のお気に入りは、「旅の写真絵本」。旅行鞄に見立てて作られた本は、旅行の写真や記念の細々したものを持っている方なら、本にまとめたくなるはず。

 実際に作っても作らなくても、楽しい気分が盛り上がる1冊は、時間を作って、何かを作りたいときのためにとっておきます。
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2006年10月23日

「本とその周辺」

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武井 武雄 著
中央公論新社 出版

 このブログを始めるとき、テーマに本を選んだのは、やはり本が好きだからだと思います。でも、本が好き、と言いながら、本がどういうものだか、一度も考えたことがないのではないか、と思うようになりました。

 「」を読んだときも、本の部分部分にもきちんと名前があり、その素材やデザインなどに思いが込められて世に出てくるのだと、今さらながら思いが及んだ自分に呆れてしまいましたが、今回はそれ以上のショックを受けたように思います。

 「本とその周辺」の著者、武井武雄氏は、戦中および戦後の物資のない時代に、豆本と呼ばれる小型本を私刊本として世に送り出し続けた方です。武井氏の本に対する思い入れの深さはこの本1冊を読むだけで十分過ぎるくらい伝わってきます。

 武井氏はこの本の中でこう書いていらっしゃいます。「私のところへ来て私刊の豆本をごらんになるお客さんが、十中七八までは表紙や見返しは見ないで本文の第一頁から見出すので、そのうちまず上等の部類で最後に表紙を一寸おまけとしてみるくらいのものである。」私もその仲間に入ってしまいます。本は読むもの、その中の文章のみに意味があるもの、という考えが染み付いているように思います。そのような習慣に至った経緯、つまり何か考えたという記憶さえないのです。

 武井氏は、その理由をこう書いています。「本は読むものという観念が実に牢固としてしみついていて、本全体が一つの綜合作品だなどという事は夢にも思ってみないのだ。」私に限っていえば、その通りです。

 私は、一冊の本を出すまでに注がれた思いをちゃんと受け止めていないんじゃないか、と不安でいっぱいになりました。

 その一方で、武井氏の豆本を一度でいいから手にとって見てみたいという思いが湧いてきました。物資の乏しい時代に、採算や時間の制限を考えることなく、本を通して新しいことを新しい方法で次々と表現し続けた彼の綜合作品に対する興味は尽きません。

 武井氏のような一生を垣間見ると、私の一生は無駄の塊にしか思えず、憧れを感じながらも落ち込んでしまいます。
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2006年08月01日

「古本道場」

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角田 光代、岡崎 武志 著
ポプラ社 出版

 関西から東京に引越してきて、今までより不便になったと感じることも稀にありますし、物価の高さに辟易することもあります。その一方で、東京って楽しい、と思うこともたくさんあります。その中でもノンフィクションの本を今まで以上に楽しめるようになったことがあげられます。

 もちろん、大阪にもそれなりに大きな本屋は多数ありますし、10年前と違って、オンライン書店があるので、東京と大阪で手に入る本が大きく違うとは思いません。何が違うかと言えば、本を読んでそこに簡単に行ってみることができるケースが多いのです。たとえば、「かみさま」を読んで、その中で紹介されている美篶堂やpress sixに実際に行ってみることができるのです。

 本で紹介されているから、大きなお店を想像して足を踏み入れてみたら、「こんなに小さいんだ」と自分で「感じる」ことができるのです。

 そんな風に楽しめる本にまた出会いました。「古本道場」です。世界に誇る古書街である神保町に毎週でも行ける距離にいるのだから本好きとしては存分に楽しまねば、と思いながら、なかなかそこまでには至りません。とりあえず、「神田神保町古書街―エリア別完全ガイド」で、どこのお店にどんな本があるのかがわかり、ある程度買い物もしてみたのですが、どうもしっくりきません。

 角田光代さんは私ほどレベルは低くないのですが、やっぱり神保町を歩くと「よそ者感」を覚えてしまっていたそうです。そんな角田さんが古本に精通している岡崎武志さんという師匠を得て、古本を極めていくというのがこの「古本道場」の構成です。そして、個性豊かな古本屋、惹かれる古本たちに出会い、あの巨大な神保町に居てもよそよそしい感じを受けなくなっていくのです。

 本の中では、岡崎師匠から角田さんに指令がくだされます。その指令を角田さんが遂行した経過を角田さん自身が書かれる章があり、その成果を評価しコメントする岡崎師匠の章が続きます。もちろん岡崎師匠の章の最後には次の指令が書かれていて次へと続く、という交互の構成になっています。全部で指令は8種類。

 もちろん神保町だけではありません。こんなところに古本屋があるんだと驚く土地も出てきて、それぞれの個性を放っています。そして、探す本も子供の頃に出合ったなつかしい本だったり、古本屋がある土地を出身地とする文士の本だったり、バリエーション豊かです。

 そして何よりも、ひとつひとつの課題をこなす中で角田さんの見せる古本屋や古本に対する観察がとてもいいのです。

 「棚におさめられた本は、みな一度はだれかに読まれ、そのだれかを作り上げるちいさな細胞のひとつになり、そしてここにきました、という感じ。」と角田さんは古本のことを見ています。

 なんとなく私が本を好きな理由もそのあたりにありそうです。空っぽの私を少しずつ埋めて、作り上げてくれる本。そして、一度はその役目を終えた古本が新たな出発を迎える場所、古本屋。

 私の古本屋と古本探しは、まだスタート地点です。
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2006年07月26日

「本」

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永江 朗 著
プチグラパブリッシング 出版

 オンライン書店ではない街の本屋で支払いをするとき「カバーをお掛けしますか?」と聞かれると、「はい。お願いします。」とカバーを掛けてもらいます。本が汚れるのを防いでくれますし、通勤電車の中で本を読むときに、何を読まれているのか知られるのも防いでくれて便利だと思うからです。やはり、はじめてシリーズとか誰にでもわかるシリーズを読むときは、どこかでちょっぴり恥ずかしいのです。

 本を読み終わったら、その本屋のカバーをはずさず、その背の部分にタイトルを記入し、中身が何かわかるようにして、本棚に立てます。もちろん、本屋で購入する際、本のカバーを見ていますが、その後は見ていません。さらにいえば、本のカバーを外して、本の表紙は一度も見ていないことのほうが多いと思います。

 今回、初めて、本のカバー、表紙、見返しなどをまじまじと真剣に見てしまいました。帯には「帯 マットコート 四六判 110Kg 2C刷」、カバーには「NTストライプGA 新スノーホワイト 四六判 135Kg 3C刷」、見返しには「見返し コニーラップ ホワイト ハトロン判 92Kg 2C判」と書かれていました。本を読んだ後の私にはわかることですが、読む前の私にはちんぷんかんぷんだった言葉の羅列です。

 そんなことが書かれていたのは、この「本」。タイトルのとおり、本のことを多岐にわたり紹介している本なのです。自分では本が好きと思いながら、その本の部分部分の名称、その本を作る工程、流通する過程、過去において出版業界に多大な影響を与えた有名人物や有名書物、出版社の種類と知らないことだらけなのに驚いてしまいました。この本は、本の見開きでひとつのトピックを扱う形式をとっているので、ある程度浅い内容にはなってしまいますが、かなり広い範囲のことが取り上げられています。

 これを読むと本に対する視線が少し変わります。カバーを取って表紙を見たくなったり、天地の空きを確認したり、文字の大きさやフォントが気になったり。その本を扱う書店の個性を考えてみたり、行ったことのないタイプの書店を探してみたり。

 作る人たちのこだわりがあって1冊の本ができていること、いろんな人の手を経て私の手の中にこの本が来たことを思うと、より本が好きになりました。
posted by 作楽 at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする