2008年08月20日

対比:日本における米国と欧州

日本と世界の諸地域シリーズ〜アメリカ〜」の第三回講座「米国社会:もう一つの二重構造 ウォールストリートとメインストリート」はおもしろそうな題材だったのですが、残念ながら欠席してしまいました。第四回講座は「日本におけるウィリアム・フォークナーの受容について」でした。

 残念ながら、ウィリアム・フォークナーを読んだことがありません。アメリカ文学の先生、ごめんなさい、といった感じでした。

 でも、今さらながら、そうだったんだ、と納得がいくことがあったので、有益ではありました。それは、日本や米国におけるふたつの対比。

 この授業の導入は、大江健三郎氏がノーベル賞を受賞したときの「あいまいな日本の私」でした。これは、川端康成の「美しい日本の私」を意識したものだとは思っていましたが、その内容まで踏み込んで考えたことがありませんでした。

 大江氏のいう「あいまい」は、はっきりしない、not clearな状態を指すのではなく、ambiguousを指しているのです。ambiは、bothといったニュアンスで、ambiguousのあいまいさは、ふたつの意味にとれることにあります。また、大江氏は子どもの頃に夢中になった本として、「ハックルベリー・フィンの冒険」と「ニルス・ホーゲルソンの不思議な旅」を挙げています。これは、日本の中の米国と欧州のふたつの大きな流れを指し、ここでも2という数字が意味を持ちます。

 日本語には、欧米ということばがあり、異なる言語を使うフランスやドイツに比べると、特にアメリカとイギリスを同じように扱っている印象があります。しかし、先生の説明によると、日本は欧州の模倣から始まり、戦後アメリカからの影響を受けるようになり、2つの大きな流れができているというのです。たとえば、教育においても、英文学は、英米文学という名前に変えられ、米文学の研究者を増やそうとしているのだそうです。

 そして、その米国に目を移しても、2という数字は意味を持ちます。黒と白。南部と北部。最近の大統領選を見ると、民主党と共和党が競いあっていますが、これも、南部と北部とも言い換えられます。しかも、この南部と北部も反ヨーロッパ北部とヨーロッパ的南部と考えられます。

 2という数字は、ものごとを一番シンプルに分け得る数字です。わけられた2つを対比して考えるというのは、意外とおもしろいことでした。
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2008年07月31日

ベンジャミン・フランクリン

日本と世界の諸地域シリーズ〜アメリカ〜」の第二回講座は、ベンジャミン・フランクリンでした。アメリカ人らしいアメリカ人といわれて名前が挙がるのが、ベンジャミン・フランクリンだそうです。そんなこと、全然知りませんでした。

 でも、100ドル札の顔になっているので、アメリカを代表する人だな、とは思っていましたが、約二時間にわたってお話を伺うと、その「アメリカを代表する人」という考え方も、それでいいのかな、と疑問が起きました。

 ベンジャミンは1706年にボストンで生まれています。(アメリカは歴史の浅い移民の国ですから、もちろんアメリカで生まれていることを期待しているわけではありません。)

 以下は東京大学金井教授が書かれたベンジャミンの年表です。

1718-23  ボストン徒弟奉公人
1723-48  フィラデルフィア印刷人
(24-26)  ロンドン修行
1748-57  ペンシルヴェニア紳士
1757-75  イギリス人
(62-64)  一時帰国
1775-76  アメリカ在住
1776-85  フランス人
1985-90  アメリカ人

 最初の転機は、兄の工場で働いていたのに、兄と喧嘩して飛び出してしまった1723年です。そして、フィラデルフィアで印刷業で大成功します。この成功がビジネスの秘訣として後代まで語り継がれることになります。紳士、つまり働かなくてもよくなったベンジャミンは、英国で何とか官職に就きたいと考えます。現代と違って、議員になってもなんのメリットもありません。給料をもらえるわけでもありません。植字工だったベンジャミンには、地位や名誉が憧れだったのでしょうか。

 しかし、アメリカで経済的に豊かになってイギリスに戻り、英米融和策を進めようとしても、議会から猛反発をくらいます。ベンジャミン自身は英国紳士、英国議員になりたくてたまらないのに、議会からはアメリカのまわしもののように呼ばれ、追放同様に英国を離れます。それが、1775年です。この時点ですでに60歳です。そのあとフランスに渡り、英国とフランスの講和条約締結に貢献しますが、やはり英国から高い評価を得ることはできませんでした。

 いつアメリカ人らしいベンジャミンがあらわれるのか期待して聞いていたのですが、結局、印刷業の大成功がアメリカのサクセスストーリーの象徴のように扱われているだけのようです。事実、独立宣言に関わってはいましたが、大きな貢献をしているわけではありません。すでに70歳を超えていたわけですから、当然といえば当然です。

 ベンジャミンは自伝を残しているのですが、その自伝が最初に出版されたのはフランスだそうです。フランスで売れたので、英国でも出版の運びになったので、ここでもベンジャミンの英国への想いは届かなかったといえます。

 しかし、ベンジャミンが英国から認められたことがあります。それは、雷が電気だということを証明したなどの電気研究が評価された結果、英国学士院の会員になれたことです。

 英国に執着したベンジャミンの一生のように聴こえてしまったのですが、しかし、そのビジネス手腕および外交手腕を考えると、100ドル紙幣を飾るに相応しい人だと思います。
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2008年07月08日

日米自動車摩擦の背景

 東京外国語大学には卒業生で構成されている東京外語会があります。その外語会と東京外国語大学の合同講座で「日本と世界の諸地域シリーズ〜アメリカ〜」という6回シリーズがあり、1回めは「日米自動車摩擦の背景」でした。講師は、柳沢 享氏で、トヨタで北米部長をなさっていた経歴の持ち主です。

 昔を思い出す話や興味深い話が聞けました。

 1980年代、まだ10代だったわたしには、デトロイトあたりの住民がバットなどを振り下ろし、日本車を叩き壊しているニュースを見て、怖いと感じたと同時に馬鹿らしいとも思っていました。「そんなに日本車が売れて困るなら、自分たちも日本車と同じような車を作ればいいのに」と思っていたのです。柳沢氏によると、その当時のデトロイトの失業率は25%くらいだったそうです。バブルがはじけた直後の日本を考えてみて初めて、その数字のインパクトがわかりました。その上、今日本に入ってくる中国からの食料品、繊維製品などの大量の輸入品を考えると、アメリカの立場がよりわかる気がします。

 結局、日本に対する風当たりを考慮し、日本政府は輸出を自主規制することに決めたそうです。年間168万台という数字が決められ、その枠内で、各メーカーが調整することになりました。それとともに、本田や日産は、米国に工場を建設し、現地の雇用を確保する方針を発表しました。しかし、トヨタは同じ路線をとらず、フォードとの共同生産を申し入れます。しかし、この協議は決裂し、結局、GMと組み、ヌーミー(NUMMI)という合弁会社を設立します。

 おもしろいと思ったのは、そのヌーミーでの社員教育です。

 アメリカと日本では労働組合の形態が異なります。日本では、企業内組合といって、同じ会社の社員が労働組合を運営するのが一般的です。一方、アメリカでは、同じ職種・業種の労働者が組合を構成します。自動車業界の場合、UAW(全米自動車労組)になります。この労組は、日本の労組に比べると力を有しています。日本の労組の場合、会社を潰してしまえば元も子もありませんから、自然と協調路線にならざるを得ません。一方、UAWのような形態であれば、会社を潰すとまではいかなくても、労働者の利益を守るためになら、会社にかなり打撃を与えるような主張もできます。しかし、ヌーミーを設立したときは、かなり協調的だったようです。

 トヨタでは、多能工システムをとっています。一方、アメリカでは単能工が一般的です。ヌーミー設立時、GMでは、80の職種に分かれていたそうです。それを、UAWも含めて協議した結果、2職種という妥協案が成立したそうです。劇的な数字に見えて仕方がありません。たぶん、解雇がない日本の雇用形態や教育制度の充実などが決め手になったのではないかと推察します。

 そうして立ち上がったヌーミーは、2004年に20周年を迎えたそうです。今や、トヨタの年間生産量は日本よりアメリカのほうが多くなったそうです。(日本:160万台、アメリカ:282万台)

 1957年にアメリカに対して初めて輸出したトヨタは、1960年に一旦撤退し、1965年に再開しています。その失敗は、やはり世界に通用する製品でなかったことだと、柳沢は説明されていました。そのトヨタが今やトップクラスのグローバルカンパニーになったのは、やはりアメリカで学んだことが大きかったと言います。

 1980年頃にバッシングを浴びたとき、協調路線を打ち出した日本企業は長期的な成功を選んだといえるのではないでしょうか。目先の利益を追うなら、日本車を欲しいと思っているアメリカ国民に売っていたほうがよかったのではないでしょうか。

 現代の日本企業に、1980年代当時のような長期的視野はあるのでしょうか。
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