エミコ・ジーン (Emiko Jean) 著
北 綾子 訳
早川書房 出版
米ワシントン州の警察署に勤務するチェルシー・カルフーン刑事は 2 年前、エリザベス (エリー)・ブラックというティーンエイジャーが行方不明となった件を担当しました。そのエリーがいまになって森で発見されたところから、物語は始まります。チェルシーは、担当刑事として犯人を見つけ出そうと懸命に捜査しますが、エリーがあまり協力的ではなく、想像以上に捜査は難航します。
エリーはなぜ、なにも語らないのか、どのようにしてエリーは監禁場所から逃げ出してきたのか、犯人は誰なのか、数多くの謎に包まれた事件は、エリーが発見されたときに身に着けていた服が過去に遺体で発見された行方不明者のものと判明したこと、その着衣に第三の行方不明者の血痕が付着していたことなどから、謎がさらに深まります。
捜査が進むにつれ、エリーが拉致された事件も、エリー以外に拉致された女の子たちの事件も徐々に謎が解明されていくのですが、同時にチェルシーの過去、たとえば警察官になった理由やどんな後悔を抱えながら生きてきたのかも徐々に明かされていきます。
帯には、『必ず騙される驚愕のサスペンス』とありますが、騙されるというよりは、想像もしていなかった事実やわたしたちが陥りがちな過ちが最後に明かされます。物語の終わりにこうあります。『マスコミに問いたい。世界に訴えたい。いつになったら満足するのか? 社会はいかにして男の手によって女性が殺される現実を受け入れるのか。チェルシーは少女たちを悼む。』
男に拉致監禁された、エリーのような被害者は、当然のように社会から貶められます。不注意だったから、隙があったから、男の目をひいて被害に遭ったかのように言われます。しかし、それは完全に間違っていると著者は伝えたかったのではないでしょうか。悪いのは加害者だけであり、被害者に近しいひとたちにも非がない、そんな簡単なことを社会が理解しようとしない現実を著者は突きつけたかったような気がします。
この作品では、被害者の周囲で、自分にはもっとできることがあったのではないかと自らを責め続けるひとたちが数多く登場します。そのいっぽうで、妻や子どもなど、自分よりも力で劣る存在を虐げる男たちも数多く登場します。その対立のなかで、チェルシーの過去の『ヴェールが剝がれだす』場面があります。前者だと信じ続けていたチェルシーの父親は実は後者だったのだと、チェルシー自身も認めざるを得なくなります。
虐げられると、自らが悪かったのだと思ってしまいがちだが、それは誤りだと、著者は言いたかったような気がして仕方がありませんでした。警察小説としてもおもしろい展開でしたが、思いがけない指摘にわたしは狼狽えてしまいました。

