2025年03月30日

「追伸、奥さまは殺されました 伯爵夫人のお悩み相談」

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メアリー・ウィンターズ (Mary Winters) 著
村山 美雪 訳
原書房 出版

 事件の解決を生業としない主人公が活躍するコージーミステリ―のなかでも、本作の主人公の立場が珍しいのは間違いありません。舞台は、1860 年のロンドンで、主人公アミリア・エイムズベリーは、伯爵未亡人です。彼女は、レディ・アガニというペンネームで週刊誌のお悩み相談欄で読者の相談にこたえています。しかも、25 歳という若さの未亡人でありながら、10 歳になる姪の後見人を務めています。

 連続殺人事件を扱う本作の最初の被害者は、元海軍提督の長女であり、公爵の婚約者です。転落事故として処理されたものの、その死の真相を目撃した侍女は、どうすべきか考えあぐねた末、レディ・アガニに相談の手紙を送り、その直後に第二の被害者になってしまいます。公園の池で溺死したため、第一の殺人事件同様、事故として処理されてしまいます。

 そこで調査に乗り出したのが、侍女は口封じのために殺されたと推理した、主人公です。レディ・アガニの正体が伯爵未亡人だと知られたくないアミリアは、警察を頼らず、自ら犯人捜しを始めます。

 キャラクター設定など、珍しさがてんこ盛りではあるものの、わたしの好みとは言い難いコージーミステリーでした。19 世紀が舞台とあって、数多く披露されるお悩み相談はどれも、怖い先生の前で優等生が吐露するささやかな愚痴といったレベルで共感しづらいですし、素人探偵の活躍はゆっくり過ぎて犯人候補がなかなかあらわれませんし、さらには、一緒に謎解きをする侯爵と主人公のロマンスは遅々として進みません。

 また、犯人捜しの動機もしっくりきませんでした。世間の目を気にして当然の伯爵未亡人という立場を考えると、会ったこともない侍女の事件を自らの身を危険にさらしてまで解決しようと主人公が執着する理由が腑に落ちません。すでに本作の続編も発表されているようですが、それも読みたいという気持ちには、残念ながらなれませんでした。
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2025年02月20日

「フロスト気質 上下」

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R.D. ウィングフィールド (R.D. Wingfield) 著
芹澤 恵 訳
東京創元社 出版

Hard Frost」の訳書です。日本語で描かれるフロストは、英語で読む以上におもしろいので、物語の細かな展開を忘れたころに日本語でも読みました。上司にいじめられながら、相も変わらず、よれよれになって数々の事件を捜査するフロストに、ときには同情し、ときには呆れ、今回も大いに楽しませていただきました。

 休暇をとったにもかかわらず、人手不足のために呼び戻されたフロストには同情を禁じえませんが、デートをすっぽかして仕事に行ったまま、ガールフレンドの家に花のひとつも持たずに、煙草欲しさにのこのこと出かけていく姿には、呆れてしまいました。

 それでもやはり、フロストは憎めないキャラクターだと、あらためて思いました。証拠を捏造するような警官なのに、糾弾したいとは思えません。こんなに灰汁が強く、それでいて共感できる人物を描く、この作家の力量を読むたびに感じます。そして、混沌としたこの世界の縮図をこの小説内で見事に構築している点も好ましく感じます。

 フロストがひとつひとつ地道に解決していく事件は、善と悪がわかりやすく対立する構図になっていません。盗みを働いている泥棒を見つけて反撃された女性を救うための犯行、家でたったひとり育児を続けた母親が心を病んでしまい起こった悲劇、軽い気持ちで犯行におよんだ子どもが逃亡中に命を落としてしまった不運。どれも、犯人が判明してよかったでは終わりません。

 さらに、『仕事』とは何かも考えさせられます。事件を解決し、犯人を逮捕するのが、警察官の仕事であり、フロストの役割です。法秩序の維持や被害者救済の観点から、司法の役目を果たすのは大切なことですが、限界もあります。フロストは、警部という立場で部下を管理し、警視からは定められた残業時間を超えないよう求められます。たとえば、誘拐された子どもがまだ生きていて、冷たい雨のなか森に捨てられているかもしれない状況でも、立場を気にする警視から、残業時間を計算しつつ、捜索人員を配置するよう要求されるのが現実です。

 子どもの命は大切だという正論だけで、サービス残業をさせることもできませんし、予算が無限におりてくるわけでもありません。そんななか、ただひたすら子どもの命だけを考えて警視の命令を受け流すフロストの姿勢は、書類仕事や整頓ができず、ひととの約束を守れず、だらしなく見える面があるからこそ、嫌味ではなく、希望に見えるのかもしれません。

 簡単には割り切れない小宇宙がこの小説のなかにあって、読むたびに考えさせられ、登場人物に魅了されます。
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2024年03月17日

「小さな町」

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ソン・ボミ 著
橋本 智保 訳
書肆侃侃房 出版

『私の夫は三十六歳だが、新聞や雑誌を切り抜いてスクラップしている』という一文で始まるこの本を読むうち、スクラップブックがひとの人生を象徴するものに見えてきました。

 ひとは、自身のことでさえ、すべてをわかっているとはいえず、まして自分以外のひとのことは、その一部を見ているに過ぎないことをあらためて思い知り、それがまるでスクラップブックのようだと感じたのです。

 あるひとの人生を第三者が見たとき、そのひとのほんの一部だけを見て、スクラップするようなイメージです。各人の取捨選択は異なるため、同じひとの人生も、スクラップするひとによって違って見えるに違いありません。もしかしたら、自分自身を含め、見たい部分だけをスクラップブックにして、ひとの人生だと思いこんでいることもありえます。

 ただ、この物語のスクラップブックは、主人公の人生における点のひとつが切り抜かれている点に意味があります。遠い世界のできごととして報じられた記事が、主人公の人生に点在する数々のできごとのひとつとして、ほかの記憶と線でつながれていきます。その過程の叙述には、なぜか惹かれます。

 主人公が、ある小さな町で過ごした幼きころの記憶を辿り、父との再会を機にその記憶を違ったかたちで認識する過程を読みながら、なぜか自身の昔が呼び起されると同時に、自分の記憶の不確かさをあらためて感じました。
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2023年10月31日

「書記バートルビー/漂流船」

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ハーマン・メルヴィル (Herman Melville) 著
光文社 出版

おいしい資本主義」の著者は、「書記バートルビー」は、『現代の労働問題の根源を、予言的に嗅ぎつけた作品』だと評し、その導入部分を紹介したあと、『このあとどうなるかは、ぜひ小説そのもので確かめてほしい』と書いていました。バートルビーは、『書記として決められた自分の仕事以外の、ちょっとした雑用、使い走りだったりなんだったりを頼むと、礼儀正しく、しかしきっぱりと、断って』しまう人物で、『他人と同じようにふるまうことを、やんわりとだがしっかり要請される』と著者が述べる、現代の状況に流されているわたしから見て、羨ましいような羨ましくないような人物像で、その行く末を見たくなって読んだのです。

 メルヴィルは、何かしら思うところがあって、これらの作品を書いたに違いないのですが、何を思って書いたのかは判然としません。訳者あとがきで、「漂流船」はこう説明されています。『メルヴィルはこの作品の底流にある奴隷制批判を露骨に描写することは巧妙に避けている。なぜなら黒人に対する根強い差別意識を持つ大衆が広範に存在する中で、文学作品に政治的メッセージをダイレクトに表出することは、反発されるだけではなく、危険でもあることがあらかじめ想定されたからである。』

「書記バートルビー」は 1853 年 (メルヴィル 34 歳の年)、「漂流船」は 1856 年 (同 37 歳の年) の発表です。奴隷制批判を大っぴらにできない時代だったことは間違いありません。だからこそ、「漂流船」は、奴隷制に疑問を抱かない多数派のなかのひとり、アメイサ・デラーノ船長の視点で進み、かつ、人種差別を是とする彼があたかも善人であるかのように語られているのかもしれません。

 構図は「書記バートルビー」も同じです。バートルビーの雇用者の視点で顛末が語られ、被雇用者に対する理解が深く寛大な人物かのように描かれています。具体的には、雇用者は、『1 フォリオ (百語) につき 4 セントの一般的な歩合給で写字の仕事』をバートルビーにさせるほか、一般的な慣習をもとに、写字したものを読み合わせたり、郵便局まで使いに出たりする雑務も指示し、何度か指示に逆らわれても、ある程度は拒絶を受け入れ、自らを寛大に見せます。しかし、最終的にバートルビーは追いこまれていきます。つまり、慣習を正とし、バートルビーを追いこむ雇用者に対し、メルヴィルは批判的だったのかもしれません。

 これは、現代日本におけるサービス残業に似ているように思えます。雇用され続けるためにはサービス残業をしなければならない環境というのは現存します。そして、ほかの被雇用者がサービス残業を続ける限り、ひとりだけ抗うことができないのも同じです。バートルビーは、どうすればよかったのでしょうか。なぜ雑務を拒絶するのか説明すれば、そこで生意気だというレッテルが貼られてしまったのではないかと思います。逃げればよかったのかもしれませんが、逃げる先がなかったのかもしれません。

「漂流船」のような人種差別は少しずつですが改善されてきました。しかし、「書記バートルビー」に描かれるような問題は、闘ってなんとかなる場合ばかりではありません。共倒れになるリスクを孕み、結果的に逃げる先を探さざるを得なくなる可能性もあります。簡単に解決できない問題だけに、これらの作品で提示されている問題に古さは感じられませんでした。

「書記バートルビー」を読んで頭に浮かんだのは、数十年ぶりと言われる類のストライキが複数の業界で起こっていることです。ただ、バートルビー自身は、何を問題だと思っているのか一切語らず、ただ仕事を断るのみです。要求を連ねるストライキと違って、バートルビーが語らないゆえ、いつまでも気になってしまいます。そういう意味では、作品として成功しているのかもしれません。
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2023年09月03日

「異常 (アノマリー)」

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エルヴェ・ル・テリエ (Hervé Le Tellier) 著
加藤 かおり 訳
早川書房 出版

 本作を読み終えてから、巻末の著者紹介に目を通し、なんとなく納得できました。特に『1992 年より、国際的な文学グループ <潜在的文学工房 (ウリポ)> のメンバーとして、小説の新しい形式と構造を探求する作品を発表』の部分です。随所に、ユーモアが散りばめられていると同時に実験的要素が感じられたからです。雑誌の Oulipo (ウリポ) 特集を読んだとき、似たような遊び心を感じたことを思い出しました。

 たとえば、登場人物のひとりに作家がいて『異常』という本を上梓し、ベストセラーになります。読みながら、いま読んでいるこの本のことが頭をよぎりました。しかし、彼は、死ぬほど怖い経験をしたものの、自然現象として片づけることが可能な事象を経験しただけで、本当の『異常』を見る前に自ら命を絶ちます。そのあと、本当の『異常』を記した本が出版され、それがいま読んでいる本なのだろうかと思わせられます。

 原題『アノマリー (L'Anomalie)』は、日本語では金融関係でよく見られることばです。理論的に説明できなくとも実際によく見られる事象などを指し、『異常』のほか『変則』や『例外』とも訳されることばです。

 本作では、現実的に起こってしまったけれど、どのように実現したのか解明できない事象を指し、その状況が読者の思考実験を促すようになっています。わたしの場合、読み始めは、次々と登場人物があらわれるのを見て、群像劇のようだと思いながら読み進め、途中 SF 作品なのかと思い始め、『異常』が明確に提示されたあとは、どんな作品か分類することもできず、結末を知りたくて読み急ぎました。不可解な事象に対して登場人物がそれぞれ異なった反応を示すにつれ、もしわたしが同じ場面に直面したらどうするだろうかと考えさせられました。

 本作は、フランスで最高峰の文学賞ゴンクール賞を受賞したそうです。古典的なテーマながら、置かれた立場が異なる登場人物それぞれの状況を考えるうち、それまで見ようともしなかった自分が見えてきたこともあり、文学作品として評価されたのもわかる気がします。

 わたしが一番好きな場面は、この『異常』に対し、政府が最初に事象を確認したときにとった行動とそれ以降との格差が示されながら、バタフライ効果を思わせる描写が続くエンディングです。既知になったことに対し、人が現実的かつ淡々と対処するところも、人が関知できることの少なさを感じるところも、染み入りました。
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