2026年07月13日

「エージェントは二度推理する」

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ハーラン・コーベン (Harlan Coben) 著
田口 俊樹 訳
小学館 出版

 1995 年から始まったシリーズ作品の最新作です。巻末の解説によると、『看板シリーズの最新作だ。本国では 2024 年に刊行され』ていますが、『邦訳は第 7 作の「ウイニング・ラン」 (2000 年) で止まっており、間の 4 作が抜けている』そうです。わたしは、1990 年代はあまりミステリーを読んでいなかったので、シリーズ作品だと知らずに読み始めましたが、主人公の過去が適宜紹介されているので、支障なく読み進められました。それでも、主人公のマイロン・ポライターとその相棒ウィンザー (ウィン) ・ホーン・ロックウッド三世が若かったころ、ふたりを FBI の仕事に引きいれた PT という人物が登場したときは、その事件を知りたくなりました。

 さらに、タイトルにある『二度推理する』場面が思った以上におもしろくて、このシリーズをもう少し読んでみたいという気になりました。ただ、1995 年だと、AI どころか、スマホもなかった時代なので、いろんな場面がもどかしく感じられるかもしれず、迷います。

 フーダニット作品でもある本作には、犯人を追うマイロンと彼を手助けするウィンとは別の立場で語る短い章が複数回挿入されています。おもに犯罪を犯す場面で、犯罪の手口を知ることができるだけでなく、主人公よりも先に犯人の心理をある程度見られる構成になっています。不思議だったのは、その人称が二人称になっていた点です。最後の最後の謎解きでその理由が、それまでの人物描写と相まって腑に落ちました。

 作品構成や犯人像が巧妙に作りあげられていて、小さな違和感、たとえば、FBI に寄せられた匿名の情報の目的はなにか、二度名前のあがる関係者がひとりだけだけいるのはなぜか、犯人側の視点で『前回、綿密な計画をたてたのにミスを犯した』と語られたミスとはなにか、といったことがすべて明かされる最後を読んだとき、多くの点が漏れなくつながった感覚を味わえました。

 登場人物のキャラクター造形も巧みで、主人公と重層的に対立する関係性のなか、犯人が選んだ最後の選択にも納得できました。ただ、シリーズを第 1 作から読んでいたら、違った印象をもったかもしれません。シリーズを通して登場してきた人物の最新を知ったうえで、過去作を読んでみるのもおもしろいかもしれません。
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2026年05月15日

「メインテーマは殺人」

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アンソニー・ホロヴィッツ (Anthony Horowitz) 著
山田 蘭 訳
東京創元社 出版

 メタフィクションに分類される作品だと思います。作中では、アンソニー・ホロヴィッツがロンドン警視庁の顧問ダニエル・ホーソーンの捜査に同行し、その体験をもとに本作を執筆するという設定になっています。その際、『犯行現場や尋問、事情聴取については、事実だけをきっちり書きしるす。読者を惑わしかねない想像や推定、脚色などは一切加えない』とまで書かれています。

 この作品では、ホーソーンが解決する殺人事件の謎と、登場人物であるホロヴィッツが作家として語る内容が主要な軸になっています。前者は、種明かしのあと、思わず「そりゃ、そうだ」と言ってしまう内容で、ミスリードに乗ってしまった自分が恥ずかしくなりました。後者は、小説を書く難しさや小説家の本音を垣間見た気がしました。もちろん、本音を吐露したように見せかけているだけかもしれませんが、妙に説得力がありました。

 たとえば、犯人が登場するタイミングです。作品が全体の 3 分の 1 程度進んだところで、『この事件をわたしが好きに創作できるものなら、すでにこの時点で犯人を登場させているだろうが、』と書いています。ミステリ作家の著者にとって、それくらいが目安なのだと思うと同時に、それまでに登場した人物に犯人がいるのだとわかります。

 興味深い描写は、まだまだあります。作家も、いまの風潮を少し窮屈に感じているのだと思う記述がありました。『今日 (こんにち) では、誰もがものごとにきっちりと白黒をつけたがる。二十一世紀を生きる作家としては、ゲイを嫌悪する主人公を書いてはいけないということはないにしても、もっとわかりやすい形で堕落した悪漢を描くほうが、はるかに賢明な選択というものだろう』。さらには、『1940 年代のことを書いていたほうが、はるかに安全なのだから』とも書いています。

 ダイバーシティやインクルージョンを掲げる現代において、古臭さを感じる登場人物ホーソーンに対して著者がどう思っているかは、『わたしがホーソーンをあまり好きになれず、そのせいで、この本を書き上げることがどうにも難しく思えることだった』と書かれてあります。自身の作品『女王陛下の少年スパイ!』 シリーズのアレックス・ライダーを引き合いにだして、ホーソーンを批判しています。アレックス・ライダーは、ヤングアダルト作品の主人公なので、絵に描いたような好青年なのでしょう。わたしは、癖の強い主人公は歓迎するほうです。もちろん、実生活では灰汁の強いひとと極力関わらないように努めていますが、読むぶんには大いに楽しめます。著者とホーソーンの関係は、実生活に近い感覚かもしれないと思うと、おかしく感じました。

 主人公の設定については、終盤にこう書いています。『いま思えば、この物語を一人称で書くことにしたのは失敗だった。わたしはけっして死なないと、読者にはずっとわかっているわけだから』。もちろん例外はあるのでしょうが、一種の創作上のお約束を知ることができました。

 こうした断片から、本作のプロットや探偵役のプロフィールが緻密に練りあげられる過程を覗き見ることができたがして、殺人事件の謎よりもずっと楽しめました。作家を主人公にした「Bag of Bones」よりもさらに、作家の考え方を知った気分になれました。
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2026年03月12日

「怪物の森 - 未解決事件捜査官ヴァン・リード」

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ジェス・ロウリー (Jess Lourey) 著
北 綾子 訳
新潮社 出版

 警察小説が好きなのですが、この作品はあまり好みではありませんでした。主人公の女性捜査官エヴァンジェリーン・リードが、証拠から推理を組み立て犯人を追っていくタイプではないのです。わたしは、警察関係者が必ずしも正しいことをしているわけではないと思っていますが、せめて小説のなかくらい、正しい手順で犯人を捕まえてほしいと思ってしまいます。法にのっとって逮捕しないのであれば、主人公の職業は、探偵などでいいのではないでしょうか。

 また、主人公が被害者を助けよう、事件を解決しようと奔走するのを嘲笑うかのように、捜査を攪乱する人物が登場します。彼が警察官である点も、彼の同僚が彼を擁護する点も、隠蔽する事実がくだらない点も、リアリティがあり過ぎて、おもしろくありませんでした。リアリティがなくても不満に思うのですが、リアリティがあり過ぎても、小説を読む楽しみがないと思ってしまうわたしがわがまま過ぎるのかもしれませんが、現実が厳しいから、せめて小説のなかくらい、救いや正義があってもいいと思ってしまうのでしょう。

 もしかしたら、この作家は、凄惨な過去をもつひとびとの再生や成長を描こうとしているのかもしれません。解説によると、この作品はシリーズ第 1 作で、すでに第 3 作まで刊行されているそうです。本作では、主人公の過酷な幼少期がある程度明かされていますが、相棒ともいえる科学捜査官ハリー・スタインベックの過去は語られていません。ただ、エヴァンジェリーンが証拠もなく無謀な行動に出ようとしたとき、ハリーは自らが代わりに行動を起こすので、ふたりは共鳴しあっているのかもしれません。また、彼が彼女に打ち明け話をしようとする場面もあり、今後の展開は、辛い過去を背負った者たちの邂逅により、救いのようなものが訪れるのかもしれません。

 ストーリーとしては、「鎖された声」を思い出させる内容です。子どもが被害に遭うこと、長期間犯罪行為が続くこと、被害者があるできごとをきっかけに勇気を奮い起こすことなど、なんとなく似ています。犯罪が子どもの拉致監禁となると、同じような展開になるのかもしれません。

 極端なキャラクターであるものの、エヴァンジェリーンにもハリーにも、共感できる点も多々あります。それでもやはり、超常現象を過信してしまう主人公の視点で展開を追っていくのは、わたしには辛いものがあります。おそらく第 2 作は読まないと思います。
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2026年02月21日

「夜間飛行・人間の大地」

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アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ (Antoine de Saint-Exupéry) 著
野崎 歓 訳
岩波書店 出版

 この本に収められている「夜間飛行」と「人間の大地」は、サン=テグジュペリがパイロットとして働いた経験がもとになっています。どちらも、彼の感性、哲学的洞察力、好奇心などに触れられる作品です。同じものを見て、同じものを聞いても、わたしなら気づけなかったことを語る彼のことばを堪能できました。

 サン=テグジュペリが生まれたのが 1900 年、ヨーロッパとアフリカ大陸を結ぶ郵便航空会社でパイロットとして働き始めたのは 1926 年です。当時は、飛行機の性能が低かったり、不帰順族 (帝国主義に屈しないひとたち) がアフリカ大陸に居たり、民間人が夜に飛行機を飛ばすことは、無駄に人命を危険に晒す行為だと見なされていました。

 そんな時代を描く「夜間飛行」では、郵便航空会社の全路線に対し責任を負うリヴィエールが、『夜を征服するための』戦いに挑み、彼の管理下にある操縦士たちも、各々の飛行路線で難しい状況と戦うさまが描かれています。サン=テグジュペリは、勝負に挑むこの感覚をずっと持ち続けたのではないかと思います。

「人間の大地」の「砂漠の中心で」の章で、砂漠に不時着し彷徨い続けたときの描写に『何も後悔などしていない。勝負をして、負けた。この仕事にはつきものだ』とあり、そのあと『わたしが愛するのは危険ではない。自分が何を愛しているのかはわかっている。それは生きることなのだ』と続いています。

 生きることを尊びながら、彼は、生きることを素直にまっすぐ捉えていたようです。遭難して、いよいよ勝負に負けそうだというとき、『わたしは何としても、すべては単純であると考えたいのだ。生まれるのも単純。成長するのも単純。渇きで死ぬのも単純。』と語っています。

 そんな彼が、なぜ飛ぶことにこだわり、勝負に挑み続けたのでしょうか。彼にとって、『人間の仕事をし、人間の苦労を知る。風、星、夜、砂、海を相手にする。自然の力と駆け引きをする。庭師が春を待つように夜明けを待つ。約束の地のように中継基地を待ち望み、星におのれの真実を求める』ことが大切だったようです。

 また、『ひとは障害物に立ち向かうとき、自己を発見する。しかし障害物に到達するには、道具が必要だ』と述べています。この自己を発見するプロセスで哲学的洞察力が育まれたのかもしれません。そして、『飛行機は一個の機械であるにせよ、分析の道具としてなんと役立つことか! おかげでわれわれは大地の本当の顔を発見することができた。実際、これまで何世紀ものあいだ、道路はわれわれをだましてきたのだ』とも書いています。

 地上を移動する際は、道路のあるところを行くことになります。そこから見える景色は、道路によって決まります。しかし、飛行機で空を行けば、道路が見せる景色から判断するのではなく、能動的に大地の姿を知ることができるというわけです。彼には、知りたいという強い欲求があったようにしか思えません。不時着のうえ遭難してしまった状況下でも、砂漠に生息する『フェネック』というウサギほどの小動物の痕跡を見つければ、思わず観察してしまうのです。

 それ以上に、わたしは彼の観察眼と表現力に惹きつけられました。なかでも、「人間の大地」の「飛行機と惑星」の章で、招待された家の主人やふたりの姉妹、磨きこまれた寄木やテーブルの下を這うマムシなどに向けられるまなざしに、優しさと鋭さの両方を感じました。最高なのは、この章の最後に描かれる、少女の行く末です。

『だが、少女の内で女が目覚める日がやってくる。そろそろだれかに十九点をつけてあげたいと思い始める。十九点が心の底にのしかかる。そこに一人の愚か者が現れる。あんなに研ぎ澄まされた目が初めて見誤り、愚か者を彩りも美しく輝かせる。その男が詩でも口ずさもうものなら、てっきり詩人だと思い込む。穴のあいた寄木張りの床を理解し、マングースを愛する男だと思い込む。食卓の下、脚のあいだで身をくねらせるマムシの信頼を勝ち得て、その男も喜んでいるのだと思い込む。野生の庭のような心を、手入れの行き届いた公園しか好きではない相手に与えることになる。そして愚か者は王女を奴隷にして連れ去ってしまう。』

 フランスの学校での成績評価は二十点満点だそうです。つまり、十九点はほぼ最高点です。出会ってから、このひとは十九点だと評価するのではなく、『そろそろだれかに』というあたりが、無垢で尖ったこどもではいられない現実を思わずにはいられませんでした。もっと早くにこの本を読めばよかったと思いました。
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2025年12月16日

「鎖された声」

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エミコ・ジーン (Emiko Jean) 著
北 綾子 訳
早川書房 出版

 米ワシントン州の警察署に勤務するチェルシー・カルフーン刑事は 2 年前、エリザベス (エリー)・ブラックというティーンエイジャーが行方不明となった件を担当しました。そのエリーがいまになって森で発見されたところから、物語は始まります。チェルシーは、担当刑事として犯人を見つけ出そうと懸命に捜査しますが、エリーがあまり協力的ではなく、想像以上に捜査は難航します。

 エリーはなぜ、なにも語らないのか、どのようにしてエリーは監禁場所から逃げ出してきたのか、犯人は誰なのか、数多くの謎に包まれた事件は、エリーが発見されたときに身に着けていた服が過去に遺体で発見された行方不明者のものと判明したこと、その着衣に第三の行方不明者の血痕が付着していたことなどから、謎がさらに深まります。

 捜査が進むにつれ、エリーが拉致された事件も、エリー以外に拉致された女の子たちの事件も徐々に謎が解明されていくのですが、同時にチェルシーの過去、たとえば警察官になった理由やどんな後悔を抱えながら生きてきたのかも徐々に明かされていきます。

 帯には、『必ず騙される驚愕のサスペンス』とありますが、騙されるというよりは、想像もしていなかった事実やわたしたちが陥りがちな過ちが最後に明かされます。物語の終わりにこうあります。『マスコミに問いたい。世界に訴えたい。いつになったら満足するのか? 社会はいかにして男の手によって女性が殺される現実を受け入れるのか。チェルシーは少女たちを悼む。』

 男に拉致監禁された、エリーのような被害者は、当然のように社会から貶められます。不注意だったから、隙があったから、男の目をひいて被害に遭ったかのように言われます。しかし、それは完全に間違っていると著者は伝えたかったのではないでしょうか。悪いのは加害者だけであり、被害者に近しいひとたちにも非がない、そんな簡単なことを社会が理解しようとしない現実を著者は突きつけたかったような気がします。

 この作品では、被害者の周囲で、自分にはもっとできることがあったのではないかと自らを責め続けるひとたちが数多く登場します。そのいっぽうで、妻や子どもなど、自分よりも力で劣る存在を虐げる男たちも数多く登場します。その対立のなかで、チェルシーの過去の『ヴェールが剝がれだす』場面があります。前者だと信じ続けていたチェルシーの父親は実は後者だったのだと、チェルシー自身も認めざるを得なくなります。

 虐げられると、自らが悪かったのだと思ってしまいがちだが、それは誤りだと、著者は言いたかったような気がして仕方がありませんでした。警察小説としてもおもしろい展開でしたが、思いがけない指摘にわたしは狼狽えてしまいました。
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