2026年06月16日

「うまい酒はどのようにできるのか」

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稲垣 栄洋 著
SBクリエイティブ 出版

 お酒の原料や製造工程に関する知識がなければ、楽しめる読み物です。著者が酒場でお酒を飲みながら語るウンチクに耳を傾けるかのように読めます。ただ、タイトルが少し紛らわしい気がします。おそらく、『酒』というものは『うまい』から、『うまい酒』なのでしょう。『うまい酒』と『まずい酒』では何がどう違うかといったことには踏みこんでいません。

 わたしが一番興味をもったのは、製造工程ではなく、イネ科やブドウ科など酒の原料になっている植物の知識です。植物学者である著者がド素人でもわかるように説明しています。目から鱗だと思ったのは、イネ科の突然変異が農耕生活の始まりだったということです。イネ科の種子はもともと、栄養豊富ではあるものの、ほかの植物と同じように、熟すと地面に落ちていました。それが突然変異で、熟しても落ちない株ができ、それを人間は大切に育て、農耕が始まったそうです。それまでは、家畜に栄養価の高いイネ科の植物を食べさせ、その家畜を食べていました。乾燥した草原でも育つイネ科の植物を食べられるようになったことは、人類の歴史上、ひとつの転換点になったに違いありません。

 突然変異はそれだけではありません。イネ科のイネは、ジャポニカ種とインディカ種に分けられますが、前者は後者の突然変異で生まれたと考えられているそうです。イネの原産地は中国南部で、そこから北上する過程で寒さに強いジャポニカ種が生まれたと言われています。日本で作られているのはおもにジャポニカ種で、日本酒の原料である酒米も含まれます。ただ、泡盛の原料になっているのは、インディカ種です。

 イネ科植物は、『糖』を『デンプン』に変えて、種子に蓄えています。そのデンプンが咀嚼時に唾液中のアミラーゼという酵素の働きで、糖に分解され、効率よくエネルギーとなります。同時に糖は、陶酔感と幸福感をもたらす中毒性物質でもあり、長年わたしたちが栽培を続けてきた、おもな理由のひとつかもしれません。

 ブドウ科では、山梨のワインでよく見かける甲州というブドウの話が意外でした。ブドウは、ラブルスカ種 (アメリカ種)、ヴィニフェラ種 (ヨーロッパ種)、ノブドウ (野生種) に分かれます。ワインの原料となるのは、おもにヨーロッパ種で、乾燥した土地に適しているため、日本の気候には馴染みません。いっぽう、アメリカ種はおもに生食用で、日本の気候にあっています。たとえば、デラウェアはアメリカ種です。いまでは、ヨーロッパ種とアメリカ種を交配して、さまざまな品種が作られています。たとえば、シャインマスカット、巨峰やそこから派生したピオーネなどが含まれます。ただ、例外もあって、甲州は、中近東からシルクロードを経由して、奈良時代に日本に伝わったと考えられていて、中国の野生種の DNA も含むヨーロッパ種由来だそうです。シャインマスカットや巨峰のような色味とは異なり、素朴な甘味が魅力的ですが、もともとの種がまったく異なるようです。

 これからは、甲州を食べながら、大陸を渡って日本に伝わり、奈良時代から作り続けられてきたブドウだと思いながら、楽しめると思います。知っていると、食事をさらに楽しめるウンチクがいろいろありました。
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2026年04月27日

「赤と青のガウン オックスフォード留学記」

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彬子女王 著
PHP 研究所 出版

 ひとは、つくづく評判というものに踊らされてしまう生き物なんだと痛感しました。この本が最初に出版されたのは、2014 年のことです。それが、2023 年 5 月の連休明けにネットでバズったらしく、それを機に文庫化されてベストセラーになり、つい最近コミック化もされました。文庫化のあとがきによれば、『どこのどなたか存じ上げぬ方のその投稿には 3 万以上の「いいね」がついた』そうです。わたしもその評判に踊らされて読んだひとりです。

 タイトルの赤と青のガウンとは、オックスフォード大学の博士課程を授与された者が身につけるガウンのことです。ただ、著者のオックスフォード大学マートン・コレッジでの留学経験が描かれている本作の価値は、オックスフォード大学で得た博士号でも、それまでの紆余曲折でもなく、やはり皇族としてのお立場ならではの何かに思えました。

 公務に縛られていても、ほかの若い方々同様、何より『気持ち』を大切にされるのだと思うエピソードがありました。たとえば、いつの時点をもって『留学終了』と発表するかという問題に対し宮内庁は、渡英する必要があるあいだは、留学期間中としておいたほうが円滑に手続きを進められると判断しました。それを、気持ちの区切りを優先したいという思いが強く、猛抗議されたそうです。

 また、簡単には想像できない状況も多いのだと思うエピソードもありました。たとえば、異国の地で暮らす著者に日本のものを送ってくれるのが侍女さんとか、普段は側衛官 (そくえいかん) と呼ばれるひとたちに守られながら行動していても、EU 圏内における 2 週間以上の滞在の場合は、単独の行動になるとか、そういった想像すらしない世界をこの本を通して知ることができました。

 わたしにとって、とても刺激的だったエピソードは、2 つあります。ひとつは、伊藤若冲ブームをひき起こしたジョー・プライス氏と著者の交流です。プライス邸で氏のコレクションを研究する機会に恵まれた著者の経験は、特別です。太陽が出ているあいだだけ鑑賞が許される部屋で作品をみたときの感動を語ると同時に、『画師が想定した環境下で作品をみなければ、作品の実力や、当時それを鑑賞した人びとの感動を味わうことができない』という氏の持論も紹介しています。

 もうひとつは、大英博物館の凄さを思い知らされるエピソードです。『展示されたことのある作品は全収蔵品のおよそ 10% で、残りの 90% は一度も展示されずに収蔵庫に眠ったまま』だそうです。実際、著者がボランティアスタッフとして大英博物館の収蔵庫に出入りしていたおり、法隆寺の金堂壁画 (1949 年の火災で焼損してしまい、もうみることはかないません) の一面 《弥勒浄土図 (みろくじょうどず)》 の写しや金堂壁画十二面を掛け軸に仕立てた、便利堂が制作した複製のセットを発見したそうです。このエピソードは、研究の素晴らしさを痛感させてくれます。

 この本を読んで、研究の奥深さを知ることができたいっぽう、著者のように何年にもわたって研究に没頭できるだけの余裕のあるひとが日本ではどんどん少なくなっていることを知っているだけに、しんみりとしてしまいました。
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2025年09月12日

「ミライの源氏物語」

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山崎 ナオコーラ 著
淡交社 出版

 この著書の本を読むのは初めてですが、源氏物語をテーマにしたエッセイを書かれるくらいなので、源氏物語に詳しい作家のようです。『私は大学生時代は日本文学を専攻していて、卒業論文は「『源氏物語』浮舟論」とうタイトルで書いた』と、記されています。

 わたしは、源氏物語を読んだことがないので、著者による解説を興味深く読めました。特に印象に残った解説は、1. 時代設定、2. 草子地 (そうしぢ)、3. 読者によって付けられたあだ名の 3 点です。

 源氏物語の時代設定について、わたしは考えたこともなく、紫式部が生きた時代の物語だと漠然とイメージしていましたが、執筆時よりも 50 年か 100 年くらい前を想定して書かれたようです。そう推測される根拠のひとつに役職名があり、桐壺更衣 (きりつぼのこうい) で知られる『更衣』という役職は、紫式部の時代にはもう存在しなかったそうです。

 草子地とは、作品内に入りこんでいる書き手の批評などです。源氏物語は、どこかの女房が書いた物語という設定になっています。そのため、ここでいう『書き手』というのは紫式部ではなく、その架空の女房が物語を書きながら自らの意見を述べているかの如く書かれているようです。具体的には、『文章と文章の合間に、「こんな文章を書いてしまいましたが……」「このあたりは読みづらい文章ですよね……」といった、書きながら喋っているような声を紛れ込ませている』そうです。

 桐壺更衣などは、後世の読者が名づけたあだ名だそうです。(著者による現代訳でも、名前らしきものは登場せず、『その存在』などとなっています。) 光源氏の生みの親という重要な登場人物でさえ、作中で呼び名がでてくることはないそうです。着替えを手伝う『更衣』という役職があり、桐壺帝付きの更衣なので、『桐壺更衣』という呼び名が定着したと知って、わたしは驚きました。

 興味深く読めるエッセイではあるものの、すんなりと読めない部分もありました。夕顔のことが『この時代のこの性別の人間には、遊女になる以外に金を得る手段はほとんどなかっただろう』とか『この時代のこの性別の人で自分から恋愛を進める人はほとんどいないので稀有だ』と書かれてあり、『女性』ではなく、『この性別』になっている意味がわかりませんでした。

 エッセイの終わりのほうで、『不必要なシーンでは性別の区分けを書きたくない』という著者の思いが書かれていて、夕顔を女性とするのは、不必要な区分けに含まれるのだと、はじめてわかりました。源氏物語の主人公の恋愛において、性別の区分けが排除対象になるのは意外でした。そのいっぽうで、源氏物語で語られる場面やことがらを現代のルッキズム、ロリコン、マザコン、ホモソーシャル、貧困問題などに引き寄せて読む姿勢に共感できるものもありました。
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2025年01月31日

「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」

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佐藤 愛子 著
小学館 出版

九十歳。何がめでたい」を読んで、違和感を覚えたものの、ほかの作品なら、また数十年前のように楽しめるのではないかと思って読みました。昔は、この作家はわたしの気持ちの代弁者だと思ったり、文章に溢れるユーモアのセンスに喝采したり、爽快な読後感を味わえましたが、そんな経験は、今回叶いませんでした。

 印象に残ったのは、ふたつのことです。ひとつは、老いると、たとえ執筆を続けていても、わたしたち現役世代の感覚から離れてしまうのだろうということです。著者と同世代の読者にとっては、おもしろく読めるのかもしれませんが、わたしには何も響かなくなっていました。もうひとつは、この作家の世代、つまり戦争を経験したひとたちが何かを書き記すということがこの先なくなるということです。著者は、『戦争というものがいかに人間を愚かにするものか。それを批判しながら、抵抗出来ずに同調してしまうことのおかしさ、滑稽さ、弱さ、不思議さ、そして国家権力の強力さ、それをいいたい』と、書いています。そういった、経験からくる感覚、現代において『同調圧力』と呼ばれるもののルーツを知っているひとたちが書かなくなってしまって大丈夫なのだろうかと不安を覚えました。

 時代が移りゆくように、ひとも去る者と新しく登場する者との入れ替わりがあるのだと、しみじみと感じました。
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2024年08月30日

「遺したい言葉」

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瀬戸内 寂聴 著
NHK 出版 出版

 著者が「これまで言えなかったこと、書かなかったことを言い遺しておきたいので、その相手をして欲しい」と中村裕映像ディレクターに依頼し、実施に至ったインタビュー (2006-2007 年) がもとになっています。

 2021 年に逝去した著者がどうしても言い遺しておきたかったことを、わたしなりに想像してみました。周囲にどう思われようが、進む道を自ら選んできたこと、その際には決断の結果をすべて背負う覚悟で臨んできたこと、実際に不遇をかこつ結果になっても、反骨精神で乗り越えてきたこと、そのすべてがいまの自分をつくってきたことではないかと推察します。

 それぞれのエピソードは、随所に書かれていますが、始まりは、「男が出来たから出ます」とは言わず、「小説を書きたいから出してください」と言って、家を出たことにあるように思います。死んでも小説家にならなければいけないと考えた著者は、その覚悟のあらわれとして、死に物狂いで書き続けたようです。わたしは、この『覚悟』は、ひとを本気で愛する強さであり、恋愛や愚かさも含めた人間のすべてを書き続ける強さであり、新しいことに挑戦し続ける強さではないかと思います。

 70 歳代で 10 巻におよぶ、源氏物語の現代語訳を書いただけでも快挙だと思いますが、80 歳も近くなってから、舞台にかかわるようになり、オペラの台本を書いています。それぞれ新しいことに挑戦する際「やる以上は、モノにしようと思ってますよ」と語っています。

 名を知られたひとが仕事をするのですから、経済的に裕福になろう、これまでの功績を汚さない範囲でやろうといった打算も少しは必要ではないかと心配になるくらいですが、著者自身は、自らの才能を信じていたのではないでしょうか。『芸術ってものは……文学だけじゃないですよ。もう一に才能、二に才能、三に才能、四に才能だって言うんですよね。四に努力くらい、三に努力くらい言ったらいいかもしれないけれどね、努力して出来るもんじゃない。やっぱりそれはね、持って生まれたものですよ』と言っています。だから、才能を授かった者として、お亡くなりになるまで書いたのかもしれません。

 才能があったから強くなれたのか、強さもひとつの才能なのか、覚悟に至る道筋を知る由もありませんが、その決断力に喝采をおくりたい気持ちになりました。
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