2025年01月31日

「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」

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佐藤 愛子 著
小学館 出版

九十歳。何がめでたい」を読んで、違和感を覚えたものの、ほかの作品なら、また数十年前のように楽しめるのではないかと思って読みました。昔は、この作家はわたしの気持ちの代弁者だと思ったり、文章に溢れるユーモアのセンスに喝采したり、爽快な読後感を味わえましたが、そんな経験は、今回叶いませんでした。

 印象に残ったのは、ふたつのことです。ひとつは、老いると、たとえ執筆を続けていても、わたしたち現役世代の感覚から離れてしまうのだろうということです。著者と同世代の読者にとっては、おもしろく読めるのかもしれませんが、わたしには何も響かなくなっていました。もうひとつは、この作家の世代、つまり戦争を経験したひとたちが何かを書き記すということがこの先なくなるということです。著者は、『戦争というものがいかに人間を愚かにするものか。それを批判しながら、抵抗出来ずに同調してしまうことのおかしさ、滑稽さ、弱さ、不思議さ、そして国家権力の強力さ、それをいいたい』と、書いています。そういった、経験からくる感覚、現代において『同調圧力』と呼ばれるもののルーツを知っているひとたちが書かなくなってしまって大丈夫なのだろうかと不安を覚えました。

 時代が移りゆくように、ひとも去る者と新しく登場する者との入れ替わりがあるのだと、しみじみと感じました。
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2024年08月30日

「遺したい言葉」

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瀬戸内 寂聴 著
NHK 出版 出版

 著者が「これまで言えなかったこと、書かなかったことを言い遺しておきたいので、その相手をして欲しい」と中村裕映像ディレクターに依頼し、実施に至ったインタビュー (2006-2007 年) がもとになっています。

 2021 年に逝去した著者がどうしても言い遺しておきたかったことを、わたしなりに想像してみました。周囲にどう思われようが、進む道を自ら選んできたこと、その際には決断の結果をすべて背負う覚悟で臨んできたこと、実際に不遇をかこつ結果になっても、反骨精神で乗り越えてきたこと、そのすべてがいまの自分をつくってきたことではないかと推察します。

 それぞれのエピソードは、随所に書かれていますが、始まりは、「男が出来たから出ます」とは言わず、「小説を書きたいから出してください」と言って、家を出たことにあるように思います。死んでも小説家にならなければいけないと考えた著者は、その覚悟のあらわれとして、死に物狂いで書き続けたようです。わたしは、この『覚悟』は、ひとを本気で愛する強さであり、恋愛や愚かさも含めた人間のすべてを書き続ける強さであり、新しいことに挑戦し続ける強さではないかと思います。

 70 歳代で 10 巻におよぶ、源氏物語の現代語訳を書いただけでも快挙だと思いますが、80 歳も近くなってから、舞台にかかわるようになり、オペラの台本を書いています。それぞれ新しいことに挑戦する際「やる以上は、モノにしようと思ってますよ」と語っています。

 名を知られたひとが仕事をするのですから、経済的に裕福になろう、これまでの功績を汚さない範囲でやろうといった打算も少しは必要ではないかと心配になるくらいですが、著者自身は、自らの才能を信じていたのではないでしょうか。『芸術ってものは……文学だけじゃないですよ。もう一に才能、二に才能、三に才能、四に才能だって言うんですよね。四に努力くらい、三に努力くらい言ったらいいかもしれないけれどね、努力して出来るもんじゃない。やっぱりそれはね、持って生まれたものですよ』と言っています。だから、才能を授かった者として、お亡くなりになるまで書いたのかもしれません。

 才能があったから強くなれたのか、強さもひとつの才能なのか、覚悟に至る道筋を知る由もありませんが、その決断力に喝采をおくりたい気持ちになりました。
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2024年01月30日

「忘れてはいけないことを、書きつけました。」

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山本 ふみこ 著
清流出版 出版

 ことばにできるほどではないにしても薄々感じたり、誰かに伝えられるほど整理されていないにしても漠然と考えたりしていたことが、誰かの文章でそういうことだったのかと思うことがあります。

 この本のなかでも、そう思う場面がありました。ご近所の方がもらい火に遭い、家の修繕のあいだ、アパートで仮住まいをすることなったそうです。問題は、その家の猫チョロを連れて行けないことです。著者は、難儀なことに直面した一家に対し、『ひとだって猫だって困ることが起きれば、胸のあたりが重くなる』と察し、『こういうときいちばんほしいものはさて、何だろうか』と問い、こう答えます。『ほんとうは、解決策より何より、いっしょに困ってくれるひとくらいありがたいものはない』。『チョロを預かったわたしは……、ともかくチョロといっしょに困ろうと考えていた』そうです。

 世の中、解決策のない問題が山積みです。それでも、一緒に困ってくれるひとがいれば、たとえ前に進むことはできずとも、前を向き続けることができそうです。あいまいな表現ですが、寄り添えるひとになりたいと思っていましたが、それは一緒に困ることができるひとなのかもしれません。

 もうひとつ、児童文学者の清水眞砂子さんから本を通じて教わったことを紹介する折りに書かれてあった一文も印象的でした。『なかでも、子どもの文学に求められる最低限のモラルは、「人生は生きるに価する」ということだという考え方に接したときには、胸のなかに風が通った気がしました』という一文です。

 子どもたちが『親ガチャ』ということばを使っていると知ったとき、誰のもとに生まれたかによってすべてが決まるという諦念のようなものを感じました。会ったこともない他人の暮らしを垣間見てわかった気になり、自分と比べられる時代に生きていれば避けられないのかもしれませんが、いま接することができる世の中よりもずっとずっと世界は広いと子どもたちには感じてほしいとぼんやりと願っていた自分に気づかされました。
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2023年12月30日

「不便のねうち」

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山本 ふみこ 著
オレンジページ 出版

『自分で考えた回り道を楽しむ』といった著者の価値観を感じました。著者は、『不便を感じて、さあなんとかしようと考えることは、「不便のねうち」であり、おもしろさの生まれる地点だと思えます』と書いています。

 不便を感じたら、この不便はわたしだけの不便ではないはず、すでに解決方法を見つけた人はいないのだろうかと疑問に思ってググってしまうわたしとは違う反応です。どちらが正しいという問題ではないのですが、著者の考え方のほうが余裕というか遊び心があります。

 著者がお嬢さんのひとりと一緒に米村でんじろうのサイエンスショーを見に行かれたときのエピソードが紹介されています。一緒に行かなかった家族に見せるため、サイエンスショーの再現用『空気砲』を段ボールで作り、そのあと何年も保管されているとか。

 こういった日常を楽しむとか、日々を丁寧に過ごす生き方に憧れがないわけではありませんが、なんとなくわたしには向かない気がします。でも、東日本大震災を機に水をもっと大切にしなければならないと熟慮を重ねて行動に移された姿勢には共感しました。当たり前だと思っていたインフラを失った日のことは、わたしも忘れたくないと強く思います。
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2023年12月29日

「不機嫌な英語たち」

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吉原 真里 著
晶文社 出版

 ハワイ大学アメリカ研究学部教授の著者が小学生時代まで遡って自らの体験を綴ったエッセイです。英語が不機嫌なのかと思ってしまうタイトルですが、小学五年生のときに英語ができないのに英語で授業が行なわれる学校に転校することになったとか、英語圏での暮らしに溶けこめたと思ったら日本に戻る羽目になったとか、英語にかかわる不機嫌が赤裸々に語られています。

 そういった学生時代の不機嫌は、成人して以降、モヤモヤした割り切れなさへと移っていきます。ジェンダーや人種、社会階層、移民など、正誤や白黒の線引きが難しく簡単には言語化できないことが多く話題にのぼり、著者自身が得た気づきも記されています。

 著者は『英語ができなかった自分と、英語ができるようになってからの自分は、同じ身体をして同じ地球上を歩いていても、まったく違う人間だった』と書いています。語学を身につけるとその語学で接することのできる文化が広がり、コミュニケーションをとれる対象も格段に広がるので、そのとおりだと思います。

 ただ、その広がりにも限りがあると見受けられました。著者が、ハワイ大学で教鞭をとれるほどの英語力があっても、自国以外の文化にさして興味のない米国民が Eggplant をどういった食べ物と認識しているか自らが知らずにいたことを発見するエピソードもその一例のように感じます。

 同時に、語学や文化にかかわる知識や経験を得たことによって、著者は失ったものもあるのではないでしょうか。先の Eggplant の件で、著者は、自らの発見をおもしろいと捉えましたが、それは複数の文化を一定以上理解しているひとの感覚であって、たったひとつの言語を使い、たったひとつの文化圏で暮らしているひとたちの、自分たちが見ている世界がすべてだという感覚は理解できないのかもしれません。

 さらに、著者のように複数の文化に通じることは、良い面もあれば、不便な面もあるように感じました。著者は、『アジア人女性の大学教授という立場で移民の janitor である男性と接することの意味と葛藤』を長々と説明し、モヤモヤのありかを示しています。このエルサルバドル移民の男性は、(証明はできませんが) 白人女性に対しては許されないと考えるであろうことを日本人の著者に対しては許されると考えました。そしてそのことは、許されると考える背景を著者がじゅうぶん過ぎるくらいわかっているから、モヤモヤするのではないかと、わたしは捉えました。

 そして、そういったモヤモヤと引き換えに、著者は、自らのことを a woman of color と何気なく口にしたのではないかとわたしは想像しました。モヤモヤの原因となる背景は、長年の積み重ねの結果であり、たとえばエルサルバドルの移民男性の例で考えても、その janitor ひとりの問題ではなく、社会全体の歴史に根ざす部分が大きいからこそ、a woman of color に対する支援があってもおかしくないと感じたのではないでしょうか。

 日本語だけを使う、ほとんどが日本人という環境での暮らしでは経験しないモヤモヤを疑似体験でき、自分の考え方に気づくことができた気がします。
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