2018年11月28日

「イヤシノウタ」

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吉本 ばなな 著
新潮社 出版

 著者が、海燕新人文学賞を 20 代前半という若さで受賞した当時、驚きました。受賞作「キッチン」を読み、観察力というか、人というものがよくわかっているという印象を受けたからです。

 時を経てまた著者のこの文章を読み、人のことがいろいろと見えてしまう自分を受け容れて、そのうえでできることやすべきことを構築されていると感じました。この著者がこの本に書かれているというのでしょうか。

 巻末には、お父さまの吉本隆明氏との対談があります。そこで、『本当のいい小説というのは、その中に必ず半分以上は自分自身が書かれています。他人の名前だったり、違う物語になったりして、表面的には姿を変えていても、「あ、これを書いた人はこういう人なんだ」と、わかる部分が必ず半分は入っている』とお父さまのほうが語っています。

 それを読んでわたしは納得できました。好きな小説の『好き』には、その物語を通して作家を見て、共感したり憧れたり感動したりすることも多分に含まれているのでしょう。

 この作家が書くことによって為したいことは、この本のタイトルにもあらわれています。楽曲のほうの「イヤシノウタ」の忌野清志郎氏の歌詞が冒頭に掲載されていて、この本に収められた文章とよく通じているように思います。
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2018年11月25日

「し」

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原田 宗典 著
幻冬舎 出版

「し」と読む漢字にまつわる話題を集めたエッセイです。少しかたい話題からやわらかい話題までいろいろです。

 かたいほうの話題の「詩」では、著者が好きな詩論が引用されています。

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詩にもいろいろの種類があると思う。僕の詩は、どういう詩か知らないし、人によっては詩とは云えないと言うかもしれない。自由詩というべきものか。僕は詩のことを特別に研究したものではない。ただ何かかいている内に、だんだん調子が高くなり、羽の生えたコトバが生れる。その時おのずと詩が生れるのだと自分は思っている。少くも僕はそういう詩を書くのだ。散文は足で地面の上を歩くようなものだ。はう時も、歩く時も、馳ける時もある。しかしまだ地面からはなれることが出来ない。飛行機が滑走していて、地面から離れられないような時、まだ詩は生れない。しかし地面からはなれた時、詩になる。少くとも自分ではそう思っている。人間の挙動も詩になると舞踏になると思う。言葉に羽が生えると詩になる
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 わたしは詩を読むことがほとんどないのですが、空よりも地べたが好きなのかもしれません。正確には、地べたを這う以外、能がないように思います。

 やわらかいほうの話題の「仕」では、執筆のために熱海に泊まったときの様子が書かれています。日本の作家、学者、芸術家の中でもごく限られた人たちが宿泊を許される施設だそうで、仮名で登場します。三島由紀夫、川端康成、志賀直哉などの文豪が使った調度に触れたときの著者の感動は、挙動不審ともとれて、和みます。豪快な朝食など意表をつく体験談でした。
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2018年11月22日

「覚えていない」

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佐野 洋子 著
新潮社 出版

「100 万回生きたねこ」を描いた著者が絵の話題に触れていて、それには強く頷いてしまいました。

 ひとつは、ナイーヴ・アートです。この本で、『ナイーヴ・アート』ということばを知ったのですが、こう書かれています。

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 私は美術学校行って、遠近法なんかもデッサンなんかも習って、構成なんかも理屈をこねたりしたので、きっと生意気になっちゃっていると思う。そして、どっかのおばあさんが描いた遠近法なんかなくてデッサンなんかも知らなくて、ただ描きたいから描いているのよという絵を見ると、ぎくっとして、胸の真中ニコニコしながら、すごく反省してしまい、本当に絵が好きというもとのもとのところにぐいーっと引き戻されて、本当は絵を描くことは嬉しくて楽しくてやめられないものなのだと思って、オロオロもするのである。
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 これを読んで思わず、損保ジャパン日本興亜美術館に行ったとき、グランマ・モーゼスを見て訳もわからず楽しくなってしまった感覚を思い出しました。

 もうひとつは、著者に向かって、自分は絵を描くために勉強をしていると自慢げに「六十年代のポルシェっていうとコーンナに資料買ってくるんだよ」といった沢野ひとしのことです。

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サワノヒトシがコーンナいっぱいの資料見てポルシェ描くと、ボタモチみたいなポルシェを描く。そんんで横にポルシェなんて字書く。コーンナ資料をコーンナに見ても、全然ポルシェに見えない事は恐しい。見えるのはサワノヒトシだけである。
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「うまいこというなあ」と唸ってしまう表現です。

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2018年11月11日

「ねみみにみみず」

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東江 一樹 著
越前 敏弥 編
作品社 出版

 あちこちで書かれた翻訳家の文章が、没後編集されて日の目を見るなんてことは珍しいと思います。エッセイストとして活躍する翻訳家も数多くいますが、この著者の場合はそうではありません。訳者あとがきや翻訳 (ミステリ) 関連の雑誌に掲載された翻訳のエッセイがほとんどです。さらに、直接親交のあった方しか読む機会のなかった年賀状も収められているのは、『珍しい』を通り越しているかもしれません。

 やや古すぎる内容も含まれますが、軽妙洒脱で、読んでいて笑ってしまいます。海外作品をおもに紹介するミステリ雑誌、「EQ」に掲載された連載の一部には、こんな文章があります。
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え〜ん、これはつまり、翻訳が悪いってことなのかよう、水曜、木曜。
労力と情熱の対価が、あまりにも安いよう、木曜、金曜。
これじゃあ生計を立てていくことができんよう、土曜、日曜。
というわけで、わたしに残されたのは月曜だけとなってしまった (意味不明)。
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 これはデイヴ・バリーというユーモア・コラムニストが書いた本を翻訳したものの、売上が芳しくないと書いたときの一節です。こういう文章を読むと、技量はもちろんのこと、ユーモア本の売れない日本でデイヴ・バリーの翻訳に挑まれたことも含め、(ミステリだけでなく) ユーモア本を訳すのにも最適任の翻訳家だったのだと思わずにはいられません。

 わたしにとっての一番は、年賀状でした。凝りに凝った内容で、しかも、自虐ネタ満載です。一見笑えるのですが、他ジャンル用のペンネームを持ってノンフィクションの翻訳で生活費を得ながら、細々とミステリを訳していらした様子が窺え、印象に残るおもしろいミステリのあれこれや「ストーナー」のようにこの先ずっと持っていたい本を読ませていただいたことに対する感謝の気持ちが湧きました。
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2018年10月28日

「のりたまと煙突」

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星野 博美 著
文藝春秋 出版

 ほのぼのとした表紙に誘われ、読みました。

 最初の章立てとこの本に登場する猫の家系図 (説明書き) を見て、小説かと思ったのですが、エッセイです。読んだあとに知ったのですが、著者は、「転がる香港に苔は生えない」で第 32 回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家だそうです。

 日常的なできごとをきっかけに考えたことが書かれているのですが、わたしの場合はそれは何になるかと疑問に思ったことがありました。

 著者とそのきょうだいが大人になって両親の家を出る際に残していった子供時代の持ち物を家族で整理したときのことを書いた部分です。

 著者によれば、捨てずに残すものを選ぶものさしは、1. 忘れたくないもの、2. 自分に都合のいいもの、3. あとあとまで幸福を追体験できるかだそうです。著者の父親は、大昔、おそらく 1970 年頃に酔狂で録音した、ある晩の家族の会話のカセットテープを、遺物を整理しながら大音量で聞き続けていたそうです。このテープ 1 本さえあれば、残りの余生を十分幸せに生きていけるようだと評しています。

 わたしにとってのカセットテープは何になるのか、すぐには思い浮かびませんでした。年末に向けて、不用品を整理しつつ考えたいと思います。
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