2018年09月12日

「無趣味のすすめ」

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村上 龍 著
幻冬舎 出版

 著者個人の価値観が前面に出ているエッセイ集です。世の流れなどを忖度せず、自分の考えを表明している点に好感がもてました。

 そのきっぱりとした物言いに対し、受け入れられないと思ったり、なるほどと納得したり、さまざまな反応が起こる自分を見て、自らの価値観を再認識することができたと思います。

 共感できたことばを抜き出してみました。
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理想的なビジネスパートナーというのは、「その人がいなければやっていけない」ということではない。(中略) 一人でも充分にやっていける人同士が信頼とビジョンを共有することで、初めて理想的なパートナーとしての一歩を踏み出すことができるのだ。
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 ビジネスパートナーに限らず、パートナー全般に当てはまることだと思いました。
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読書というのは、必要に応じてすればいいもので、親や教師や上司に勧められて本を手に取ってもあまり意味がないし、また読書をすればそれでOKというものでもない。(中略) 読書が重要なのではない。情報に飢えるということが重要なのだ。
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 日々本を読むなかで、どうして自分が本を読むのかわかっていませんでした。情報に飢えているという自覚があるから本を読み続けているように思えました。

 同意できない内容であっても、著者の意見がすんなりと伝わってきたのは、さすが売れる本を書き続けている作家だと思います。
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2018年08月08日

「遺伝子が解く! 女の唇のひみつ」

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竹内 久美子 著
文藝春秋 出版

 著者は、動物行動学研究家だそうです。タイトルの「遺伝子が解く!」は、ややオーバーですが、論文などの文献にあたって書かれてあり、説得力のあるエッセイになっています。

 おもしろいと思ったトピックは、ふたつ。ひとつは、樹木の紅葉がテーマです。秋になると紅葉を見に行こうとわたしたちが大騒ぎするのとは全然関係のない理由で紅葉は起こっているのではないかという有力な仮説が、今世紀になって登場したそうです。

 紅葉した木は害虫に向かって、「オレに取り付くのはやめときな。オレがこんなにも黄色い (赤い) のは、おまえたちが取り付こうとしたって無理だっていう意味なんだよ。ウソじゃないぜ。こんなにも黄色く (赤く) なるためには、ごまかしじゃなくて、本当に元気で、抵抗力が強くなきゃだめなんだからね」と言っているという仮説です。

 この仮説は、今世紀になって登場したもので、盤石な共通認識とはいえないようですが、害虫がつきやすい樹木ほど紅葉するという相関関係はフィールドワークで見つかっているそうです。

 もうひとつは、自分たちの耳というか、脳の働きについて驚いたことです。

 一般的に左脳が言語を司っているといわれています (左利きだと右脳が言語脳のケースもあるそうです)。しかし、言語が何かという判定は、環境に依存します。生まれたときから日本語に慣れ親しんできた (日本) 人の場合、母音 (あいうえお) も含めすべての音声言語は、左脳から入るいっぽう、欧米人 (欧米人の定義は書かれてありませんが、英米語を母語とする人を想定されている模様) の場合、母音は右脳に優先的に入り、雑音と認識されるそうです。

 日本語は、尾や絵など母音だけで意味のあることばになりますが、英米語では母音だけのことばは希少であることが影響していると考えられています。これにより、脳が母音と同じようにみなすコオロギの声を聞きながら原稿を書いたりできる日本人と、コオロギの声に邪魔されると原稿書きに集中できない欧米人の違いが生まれるそうです。

 論文を根拠にこういったことを披露されると、単純にすごいなあと思ってしまいます。
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2018年05月12日

「九十歳。何がめでたい」

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佐藤 愛子 著
小学館 出版

 中学生か高校生のころ、佐藤愛子の『怒り節』エッセイを読んで、笑いに笑ったことを思い出し、久しぶりに読んだのですが、昔のように笑えませんでした。

 笑えないのは、著者とわたしの考え (あるいは年齢) が近くなっていて新鮮味が欠けるからか、笑い飛ばすような余裕がわたしになくなっているからか、よくわからないと思いつつ読み進め、ふと思いつきました。かつての著者は理不尽なことがらに真剣に怒っていて、その『怒り節』が痛快で笑えたのではないかと。

 誰もが非難されないよう気を配り、そのいっぽうで些細なことを気に病み、人と人との絆を失い、正論を振りかざす現代に著者が嘆いているさまを読んでも笑えないのは当然かもしれないと思いました。

 この本がベストセラー入りをしたということは、読者もみな嘆いているのでしょうか。
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2017年01月25日

「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記」

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田丸 公美子 著
文藝春秋 出版

 米原万里氏のエッセイにたびたび登場する本書の著者田丸氏は、文中でシモネッタという名前でも呼ばれていました。もちろんシモネタからきています。

 そのため田丸氏=シモネタのようなイメージがあったのですが、このエッセイに登場するのはもっぱらイタリア語通訳の第一人者としての顔のほうです。

 イタリア語通訳の第一人者だけに、通訳として付き添う相手も錚々たる顔ぶれで、一般聴衆から見えない部分のエピソードは興味をそそられました。また、海外留学がいまほど当たり前ではなかった時代に『ぶっつけ本番』といってもいい通訳者デビューを果たした度胸には感嘆しました。

 日本で接する機会の多い英語や中国語ではない『イタリア語』通訳としての苦労は、米原氏のロシア語通訳に通ずるものがあって、わたしにとっては目新しいエピソードでもありませんでしたが、イタリア滞在中の出来事などはやはりイタリアというお国柄が出ていて楽しめました。

 通訳は、スピードを求められる仕事だけに緊張や不断の努力を強いられるのでしょうが、適度に散りばめられたユーモアのおかげで、自慢話が鼻につくことのないエッセイになっています。イタリアや通訳という仕事に興味のある方が軽い読み物として選ばれると、いいかと思います。
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2016年12月23日

「A.E. あるいは希望をうたうこと」

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新実 徳英 著
アルテスパブリッシング 出版

 まずは、内容より何より、その文体に惹きつけられてしまいました。語りかけるように柔らかく、それでいてしっかりと主張が伝わってくる文体は、カタカナがうまく取りいれられ、文末のバリエーションが豊富で、著者の個性がしっかりとあらわれています。

 タイトルにある A.E. は、After the Earthquake のことだそうです。東京を拠点に作曲活動をする著者にとってのEarthquakeは、2011年の東日本大震災です。この震災を風化させないために震災以降の作品番号には、A.E.を振っているそうです。

 和合亮一氏が震災の混乱と恐怖を詩というかたちで発し、それに共感した著者が作曲してできあがった《つぶてソング》は、よく知られていますが、そのほかにも著者の活躍は広範囲におよびます。わたしが驚いたのは、《音楽法要》です。現代語に訳された伽陀・三帰依文・回向に著者が音楽をつけて法要とされたそうです。著者は、「親しみ易い歌があって、集うごとにそれを歌うのは宗教活動にとって必要」と、さらりとおっしゃっていますが、読経にとってかわる音楽をイメージできないので、この音楽法要はぜひ聴いてみたかったと思います。

 そういった音楽活動について、わたしなどは、才能ある著者を羨む気持ちになりますが、著者は、音楽は「もらうもの」と表現しています。「自分の周りにこれだけたくさんの生命がいて、それぞれに霊性があって、そういうところに住んでいるんだから、それから多くのことをもうらうことができる」と思ったそうです。そういう謙虚さが、著者のこの文体を生んだのかもしれません。
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