2010年10月20日

「全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路」

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松本 修 著
新潮社 出版

『探偵! ナイトスクープ』という番組で取り上げられた内容を本にしたものです。この番組は元々関西だけで放送されていた深夜枠の番組なのですが、なかなかおもしろいので、他地域でも放送されるようになりました。お笑い芸人中心に探偵を揃え、視聴者からの依頼にもとづき調査するというものです。この本のテーマとなった最初の依頼は関西出身と関東出身の夫婦からでした。夫婦喧嘩の際、それぞれがアホ、バカといい、お互いが相手の発する慣れない罵りことばに傷つくのですが、アホとバカの境界は関西と関東のあいだのどこにあるのでしょうか? というものです。その後、数回にわたりこの件が調査され、放送されました。力作だったので、複数のテレビ番組賞を受賞したそうです。

 最初、東京から大阪に向かう道のりのどこかにアホとバカの境界があると思われていたのですが、実際に移動しながら聞いてみると、アホとバカのあいだにはタワケということばがあることがわかったのです。そうなると、バカとタワケの境界、タワケとアホの境界を調べるしかありません。そのうえ、どうも九州ではアホではなくバカを使うこともわかってきたのです。そうなると、アホとバカの境界も関西と九州のどこかにあるということになります。

 結局、アホやバカにあたることばを全国的に調べることになったのですが、その工程は想像以上に手間と時間のかかるもので、読んでいくうちに、よくここまで頑張ったものだ、と感嘆せずにはいられませんでした。たぶん、方言を大切に思う気持ちがこの番組の調査を支えたんだろうと感じられました。

 本のなかほど、語源をたどっていくあたり、ちょっと専門的過ぎて難しい部分もあったのですが、それでも全般的には楽しめました。最後には、この調査の集大成が文庫カバーの裏側に印刷されていることが書かれてあったのですが、そのカバー裏を見たときには、ちょっとした感動を覚えました。これだけのことを言語学者でもない番組制作者がよくもまあ調べたものだと驚きました。

 薀蓄が得られるだけでなく、方言の微妙なニュアンスを再認識できます。特に、方言話者でない方に読んでいただきたいと思います。もちろん、方言話者の方にも読んでいただいて、方言の今後を考える機会にしてもらえれば、と思います。
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2010年09月17日

「大阪弁おもしろ草子」

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田辺 聖子 著
講談社 出版

 次のような目次です。

よういわんわ−−古語について
ちちくる−−上方弁の淫風
そやないかいな−−語尾と助詞
けったくそ悪い−−大阪弁の猥雑
はる−−大阪弁の敬語
タンノする−−好もしき大阪弁
明治・大正の大阪弁(その一)−−大阪弁の表情
明治・大正の大阪弁(その二)−−大阪弁の陰影
新大阪弁−−大阪弁のせつなさ
いてこます−−大阪弁のバリザンボウ
あたんする−−過ぎし世の大阪弁
せいてせかん−−大阪弁の機能(はたらき)

 東京に住んでいると、通じないかもしれないという懸念からあまり関西弁を話さなくなりました。不自由を感じる場面も多く、結局話さないという選択をする状況もあります。その一番の原因は、わたしの場合、上記の「そやないかいな」にある語尾と助詞ではないかと思っています。あまりはっきりさせずに、異を唱えたいときなど、関西弁の語尾のバリエーションが使えない不便さを感じました。「ちゃんとせなあかんのんちゃうの?」とか、さらには「ちゃんとせなあかんがな」と相手の問題を一緒に考えるような立ち位置で柔らかく言いたいと思っても、標準語でどう言えばいいのか、いまだにわかりません。

 あと、これほど便利なものを手放す大変さを痛感したのが上記の「はる」。この敬語は、親しくお付き合いさせていただいている先輩などと話すときに最高に重宝します。また、仕事などで尊敬できる年下の方と話すときも、硬くなり過ぎず、敬う気持ちを伝えられて便利です。もちろん、敬語を使えばいいのですが、「行きますか?」のことを「いらっしゃいますか?」というのは、近しい人に使いづらい気がするのはわたしだけでしょうか? 「行かはりますか?」いいことばだと思います。

 著者の鋭い洞察に驚きながら、深く共感できました。
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2010年08月23日

「上方芸能と文化―都市と笑いと語りと愛」

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木津川 計 著
日本放送出版協会 出版

 明治から平成あたりの上方(関西)の芸能や文化を考察したものです。著者は『上方芸能』という季刊芸能誌の編集長をつとめられたこともあり、関西の文化を芸能面から書かれることになったそうです。

 前半は、関西の文化を宝塚型文化、河内型文化、船場型文化、千里型文化に分類して考察するなど、文楽やお笑いなど関西文化に限定した内容になっていて、興味深い考察が散見されます。

 いままで見過ごしてきたと目から鱗状態になったのは、女をアホに演出したお笑いはなかったということです。庶民から生まれたお笑いの場合、頼りない亭主を支える女房は、周囲の人々に気を配りつつ、家事をこなし、夫の仕事を手伝うという万能ぶりで、かかあ天下といった強さはあっても無能さはありません。この本で指摘されるまで、気づきませんでした。

 また長屋住まいといった庶民ではなく、旦那衆が習い事をして芸能の担い手となっていた有り様など、言われてみればなるほどと思うことがありました。

 ただ、時代を下ってきた最後の部分は、マスメディアの発達などにより、日本のなかの地域性が薄れた時代と重なっているため、特に上方芸能らしさは感じられませんでした。内容的には前半部分がお勧めです。
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2010年08月12日

「大阪人のプライド」

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本渡 章 著
東方出版 出版

 たいそうなタイトルですが、実際の中身は、(なにかと評判の悪い大阪だけど)実際はいいところもあるので、それを知って欲しいというものです。

 歴史編、紀行編、文化編、言葉編と章が分かれています。歴史編では、意外と知られていないけれど、日本書紀にも記載されている古の都「難波宮(なにわのみや)」やその歴史に触れられる施設などが紹介されています。

 紀行編では、中央公会堂や四天王寺など歴史に触れられる場所やATCなどの景観を楽しめる場所などが逸話とともに案内されています。

 文化編は、キタ文化、ミナミ文化、船場文化、新世界文化などの分類を試み、それぞれの特徴を説明しながら、文化不毛の地大阪といったイメージを打ち消そうという試みがなされています。

 言葉編は、大阪弁に関する話題なのですが、ひとつ個人的にひっかかる点がありました。それは、大阪人が考えるときに使っていることばです。本渡氏は、大阪人はものごとを考えるとき、あたまのなかでは標準語を使っているといいます。でも、わたしは自分はそうではないと感じています。もちろん、相手がいない状況では、他人の感情などを加味せずにすみ断定的に考えているため、話ことばとは違っていると思います。でも、大阪弁で考えている気がしてなりません。「街場の大阪論」という本でも、わたしと同じ違和感が話題になっていたのを覚えています。本渡氏の根拠としては、「大阪弁は書き言葉にしにくい。だから、ものを考えるには標準語がよい」ということです。たしかに、大阪弁は論理的に考えることには向いていません。でも、テレビなどでいくら聞き慣れている標準語でも、自分ひとりの世界で考えるのに、誰もが標準語を使っていると考えるのは、飛躍しすぎているように感じました。

 著者に全面的に賛成できないものの、考えるきっかけを与えてくれたので、読んでよかったと思います。。
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2010年06月30日

「関西弁講義」

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山下 好孝 著
講談社 出版

 最後は「やはり、関西弁は外国語なのである。」と締めくくられています。そう、この著者は関西弁は外国語だと主張しているのです。多少誇張が入っているとはいえ、この本を丁寧に読んでいくと、荒唐無稽な主張ではないと理解できます。というのも、外国語という定義にあいまいさがあるからです。違う国の違う言語であっても、同一国の方言同士ほども違いがなく意思疎通に支障のない複数の言語というものがあるからです。

 まあ、外国語と呼ぶかどうかは別にして、関西弁話者が標準語を話せるようになるには、外国語を習得するのと似たような手順を踏まなければならないという説明は、ある程度納得ができました。

 もちろん英語などの比べると、名詞や動詞などの単語をひとつひとつ覚える手間が省けるのですが、音とアクセントの相違に関しては、標準語と関西弁との隔たりは小さくありません。特に関西弁のアクセントのバリエーションの多さは、標準語の比ではありません。そのアクセントに慣れていると標準語のアクセントがおかしく聞こえてしまう、という現象も関西弁話者として体感できることです。それは、逆のパターンでも起こります。標準語話者が関西弁を話しているとき、なんともいえない不自然さを感じます。でも、どこがどうと言いあらわせないのです。それは、文字に落としてしまえば間違っていないけれど、音やイントネーションとしては別物だからだということが、この本を読んで理解できました。

 わたしは一応関西弁話者であり標準語もある程度わかっていると思っていました。しかし、関西弁と標準語がどう違っているのか、理解できていませんでした。その理解を助けてくれたという意味で、この本は印象的でした。
posted by 作楽 at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(関西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする