
常盤 新平 著
講談社 出版
グレート・ギャツビーの舞台となった時代、ジャズ・エイジは、映画にもよく登場します。わたしのなかのイメージでは、『桜』のような時代です。燦然と輝くいっぽう、呆気なく終わってしまう、そんな印象をもっています。もう少し背景を知りたいと思ってこの本を読み、日本との違いがこれまでよりもわかった気がしました。
著者は、ジャズ・エイジを『禁酒法が実施された 1920 年 1 月 16 日に始まり、ウォール街の崩落があった「暗黒の木曜日」といわれる 1929 年 10 月 24 日までの不思議な時代』と呼んでいます。さらに、『1920 年代は、アメリカ文化が都会化した時代であり、ニューヨークが社会的にも知的にもアメリカの中心になった時代である』と、書き、『それまでの勤倹貯蓄によって新事業をおこすという「生産の倫理」は、大量生産される新しい商品のマーケットをつくるために必要な「消費の倫理」にとってかわられ』たとも、いっています。しかし、そのあとのできごとをこう記しています。『20 年代は 30 年代によってあっさり否定されてしまう。それも、無残に。1920 年代という時代が存在しなかったかのように扱われる。30 年代は 20 年代がつくった負債を払わされる時代だったので、そのように扱われても仕方のないところがあった』と。
わたしたち日本人も大量消費の時代、高度経済成長期を経験しましたし、過去の負債を払わされるのと似た経験をしたのかもしれません。しかし、わたしたち日本人が経験したことがないと思われる点を著者は指摘しています。それは、禁酒法です。
著者は、『禁酒法という世にも不思議な法律があったから、1920 年代というあの変わった時代が存在したのではないか』と書き、『少なくとも、アル・カポネというギャングスターが実業家として自称しても、社会が受け容れるはずがなかった』といいます。そのうえ、『禁酒法は、法律を破っても平気だという風潮を生んだ』らしいのです。
日本で、破っても仕方のない法律として、わたしが最初に思う浮かべるのは、食糧管理法、配給以外の食料を取り締まった法律です。生きる権利を求めて日本人が法律に違反していたよりもずっと以前に、アメリカでは自由を求めて法律を破っていたのです。わたしがジャズ・エイジに華やかさをイメージする理由は、そのあたりにあるのかもしれません。
しかし、誰もがジャズ・エイジを楽しんでいたのではないようです。『物欲のアメリカに愛想をつかした若いアメリカ人はたいていパリに行った』と、著者は書いています。思うように海外への渡航できなかった日本の感覚からすると、ヨーロッパに逃げ出したひとたちにさえ、自由や華やかさが感じられます。
自ら経験しなかった時代のことだけに、この本から多くを得られた気がします。