
渡部 昇一 著
祥伝社 出版
日本人の精神面の特性を古事記から読みとこうというのが趣旨です。
まず古事記のおさらいです。最初の神様、天之御中主神 (アメノミナカヌシノカミ) 以降の初めての男女神は伊邪那岐命 (イザナギノミコト) と伊邪那美命 (イザナミノミコト) で、伊邪那美命が国を産みました。しかし、そのあと神産みのあと黄泉の国に行ってしまいます。あとを追って黄泉の国へ行った伊邪那岐命は帰ってきたあと禊を行ない、左目を洗ったときに産まれたのが天照大神 (アマテラスオオミカミ) です。その孫 (瓊瓊杵尊:ニニギノミコト) がこの世に降臨し、その曾孫が初代の神武天皇になり、現代の天皇まで続いています。
著者は、古事記と日本人のメンタリティを具体的にどのように結びつけているのでしょうか。
ひとつの例は、天照大神が天の岩屋戸におはいりになったとき、天宇受売命 (アメノウズメノミコト) が中心となって神前舞踊を奉じたことをあげています。天宇受売命が女神だったことから、この神話と家庭のなかのエンターテイメントの中心であった主婦を結びつけています。娯楽が溢れている現代と違って、昔は主婦を囲んで子供たちが遊びながら過ごした時間が多かったことは確かだと思います。ただ糧を得る仕事に腕力を必要とした時代に主婦がそういった役割を担ったのは、世の東西を問わず自然な流れで、古事記や日本人に限定される話ではないように思います。
また、伊邪那岐命が伊邪那美命を追って黄泉の国へ行った際、伊邪那美命に見るなと言われたのに待ちきれず、伊邪那美命の恐ろしい姿を見てしまい、逃げ帰る羽目になってしまいました。それだけでなく、お互い報復しあい絶縁状態になるという悲しい結末を迎えたことから、著者は、見てはいけないと言われた状態にある女を見ることは禁忌にあたると説明しています。たしかに、腕力、つまり労働価値が劣る女性は、古来からその価値が労働力ではなく、若さや美しさにありました。だから美しくない、見られては困る状態も生まれますし、それを敢えて見れば軋轢も生まれます。古事記にそういった教訓が書かれてあることは確かだと思います。
著者の解釈を読みながら、自分なりに古事記を解釈してみるのも楽しいものです。