2025年02月19日

「武士語で候。」

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もんじろう運営委員会 著
総合法令出版 出版

『もんじろう』と呼ばれるサイトでは、標準的な日本語を、大阪弁・津軽弁といった方言や武士語に変換してくれます。この本は、その『もんじろう』から武士語だけを抜粋したものです。

 地理的に離れた場所のひとたちとコミュニケーションをとることはあっても、時間的に遠い存在である武士のことばを理解したり使ったりする必要に迫られないだけに、遊び心が刺激され、頭の体操にもなりました。ななめ読みでも、ちょっとした気づきが得られるかもしれません。

 たとえば、武士が生きた時代は、移動するには、歩くしかありませんでした。例外は、経済的に恵まれたひとたちが坐ったまま移動できる駕籠です。

 現代の『車』も『タクシー』も武士語にすると駕籠になるのは、想像がつきますが、現代の『地下鉄』を『地中長駕籠 (ちちゅうながかご)』と言い換えているのは、苦し紛れといった感があります。ただ、武士が生きた時代には地下鉄など影も形もなかったので、仕方ありません。江戸時代が終わった 1867 年から地下鉄が開通した 1927 年まで 1 世紀も経っていないことを考えると、武士の時代が遠いようにも近いようにも感じられます。

 武士の時代を意外に近く感じられたのは、『改易』や『口入れ』です。『改易』は、広辞苑では「官職をやめさせて他の人に代わらせること」とか、「所領や家禄・屋敷を没収すること。江戸時代の刑では蟄居(ちっきょ)より重く、切腹より軽い」と説明されています。現代語の『リストラ』の言い換えに、この『改易』が選ばれています。いっぽう、『口入れ』は、広辞苑で 3 番目の意味として「奉公人などの世話をすること」とあり、現代語の『人材派遣』に該当します。『人材派遣』は、バブル経済崩壊後に増えた印象がありますが、形態としては、特別新しいわけではないのだと思いいたりました。

 ことば遊びとしての武士語を考案したひとに興味がわきました。
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2025年02月18日

「思考の穴」

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アン・ウーキョン (Woo-kyoung Ahn) 著
花塚 恵 訳
ダイヤモンド社 出版

 イェール大学の心理学教授が書いた本です。本教授の講義『シンキング (Thinking)』に登録した学生の数は、2019 年だけで 450 人を上回ったそうです。その人気は、『日常においてさまざまな決断を下すときの判断力の向上』に役立つ内容にあり、その評判から書籍化に至ったようです。

 この本のテーマ、認知心理学が長年研究されてきて、ひとは非合理的な判断をしてしまう心理傾向があることが広範囲で明らかになってきました。わたしたちは、認知において、思い込みや直観などに左右されてしまう傾向があり、その誤った判断は『認知バイアス』と呼ばれています。『バイアス』とは、あるがままを見ることができないことを指しています。

 著者によれば、認知バイアスのなかでも、『確証バイアス』 (自分が信じているものの裏付けを得ようとする傾向のこと) が最悪だそうです。しかも、この本を読めば、誰もが確証バイアスを含むあらゆるバイアスにとらわれていると認めざるを得なくなります。ひとは合理的な判断ができないようになっていると思うと、暗い気持ちになりますが、著者はそのメリットにも触れています。それは、脳のパワーの節約、『認知能力の倹約』です。この世にある、あらゆる可能性を模索し続けることは、途方もないエネルギーを要します。だから、ひとは、『意思決定をする際は、ある程度満足したところで、それ以上の探求をやめる』わけです。この行為は、『満足する (サティスファイ)』と『十分である (サファイス)』を組み合わせた造語『サティスファイス』と名づけられたそうです。

 おもしろいのは、人生を通じて行なわなければならない類いの探求をどれだけ最大限にし、どれだけサティスファイスする (満足したところでやめる) かは、個々人によって大きなばらつきがあると判明したことです。しかも、適当なところで満足せずに最大限探求するマキシマイザーと満足した時点で探求をやめるサティスファイサーでは、後者のほうが幸福度が高いことがわかっています。たとえば、いまよりいい仕事がないか、常に目を光らせているよりも、いまの仕事に満足しているほうが、充実感ややりがいを感じられるということなのでしょう。著者は、確証バイアスが最悪といいつつも、サティスファイスの副作用と捉えることもできるとしています。

 著者は、認知バイアスの専門家でありながら、それでも認知バイアスから逃れられないと書いています。つまり、わたしが認知バイアスから逃れられる道はないということです。そうであれば、せめて幸福度を高められるというメリットに目を向けつつ、ここで学んだ、認知バイアスというものの正体を意識しながら過ごしたいと、わたしは思いました。

 そして、ある程度それを実現できそうな気がしました。それは、この本で紹介された数多くの研究結果のひとつに着目したからです。その研究では、英語を母語とするひとたちとは別に、広東語を母語とし、米国に来て間もない人たちにも同じ実験を実施し、ふたつの集団で明らかな違いがあるという結果になりました。著者は、個人主義と集団主義の社会の違いを原因としてあげ、中国のように集団主義で育った場合、他者が何を考えているのか、自分は他者からどう思われているかを絶えず意識しているため、自らの思いこみにとらわれにくくなっていると考えています。

 ただ、他者が考えていることも考慮する必要がありますが、そればかりを気にすると弊害も生まれます。要は、バランスが大事だということです。自分の幸福との兼ね合いを考えつつ、円満に社会生活を送るために、認知バイアスに対する知識が役立つことは間違いなさそうです。
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2025年01月31日

「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」

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佐藤 愛子 著
小学館 出版

九十歳。何がめでたい」を読んで、違和感を覚えたものの、ほかの作品なら、また数十年前のように楽しめるのではないかと思って読みました。昔は、この作家はわたしの気持ちの代弁者だと思ったり、文章に溢れるユーモアのセンスに喝采したり、爽快な読後感を味わえましたが、そんな経験は、今回叶いませんでした。

 印象に残ったのは、ふたつのことです。ひとつは、老いると、たとえ執筆を続けていても、わたしたち現役世代の感覚から離れてしまうのだろうということです。著者と同世代の読者にとっては、おもしろく読めるのかもしれませんが、わたしには何も響かなくなっていました。もうひとつは、この作家の世代、つまり戦争を経験したひとたちが何かを書き記すということがこの先なくなるということです。著者は、『戦争というものがいかに人間を愚かにするものか。それを批判しながら、抵抗出来ずに同調してしまうことのおかしさ、滑稽さ、弱さ、不思議さ、そして国家権力の強力さ、それをいいたい』と、書いています。そういった、経験からくる感覚、現代において『同調圧力』と呼ばれるもののルーツを知っているひとたちが書かなくなってしまって大丈夫なのだろうかと不安を覚えました。

 時代が移りゆくように、ひとも去る者と新しく登場する者との入れ替わりがあるのだと、しみじみと感じました。
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2025年01月30日

「カタカナ語 すぐ役に立つ辞典」

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日本語倶楽部 編
河出書房新社 出版

 わたしにはカタカナ語を多用するきらいがあるのではないかと常々不安に感じています。身を置いている業界は、カタカナ語で溢れていると言われていて、わたしもその影響を受けているのではないかと。ただ、多用と適度の境界を知るのは難しそうです。国語辞典に載っていないカタカナ語だからといって、伝わりにくいとも言い切れない気がします。もしかしたら、カタカナ語だけを取りあげた、こういった本は、一助になるかもしれません。

 この本では、カタカナ語を次のように分類しています。この分類だけで、カタカナ語が日本語でどういった位置づけにあるか窺い知ることができます。

1. 「日本語で言えよ!」とツッコミたくなるカタカナ語
2. "意識高い系" ビジネスパーソンが使いたがるカタカナ語
3. よく耳にするけどちゃんとした意味は危ういカタカナ語
4. 外国人には通じない…なぜって日本人専用のカタカナ語
5. 日本語よりしっくりくるハマりすぎのカタカナ語
6. 上品な香りが漂うセレブリティなカタカナ語
7. こっそり学んでおきたい時代先取りのカタカナ語
8. さらりと使いこなしたいデキる大人のカタカナ語
9. 一生使いそうにないけど知っておくべきカタカナ語

 5. に分類されるカタカナ語は使ってよさそうですが、1. に分類されるものは避けたいものです。ただ、わたしは使っていました。具体的には『ソリューション』や『イシュー』です。『ソリューション』は、業界内でも多用され過ぎた印象があるので、使わないほうがよさそうですが、『イシュー』は、改善すべき問題点のときも、議論の候補となる論点のときも、幅広く使え、ひとによって分類がわかれることをまとめられる点が便利なので、5. に分類されることばだと思っていました。

 2. に『エビデンス』が 分類されていたのは、意外でした。意識が高くなくとも、判断・決定には『エビデンス』(『根拠』、『証拠』など) が必要なので、1. に分類されるものだと思っていました。

 分類は、そのほかにも気になる点が多々あり、カタカナ語をネタにした軽口と受けとるほうがいいかもしれませんが、ひとつひとつの解説は役立つと思います。わたしは、これから聞く機会がありそうなことばを新しく覚えることができました。たとえば、『トゥイナー』や『リアルクローズ』です。どちらも、わたしにとって身近なことがらをあらわしています。前者は、大金持ちでも貧乏でもないひとたちを指していて、between (中間) からきた造語、つくったのは、FOX ニュースの人気司会者だったビル・オライリー氏だそうです。後者は、普段着を意味し、実用性に長け、仕事やデートでふつうに着られるオシャレな服などをイメージしたことばのようです。

 おそらく今後もカタカナ語は増え続けるので、ときどきは、日本語にしたほうがわかりやすいカタカナ語ではないかチェックしたり、新しいことばを仕入れたりする機会があってもいいかもしれません。
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2024年12月23日

「いきな言葉 野暮な言葉」

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中村 喜春 著
草思社 出版

 著者は、芸者としても通訳としても活躍されたようです。そんな著者が選んだ言葉を見ると、言葉もまた、時代を映す鏡なのだと再認識しました。

 そんな時代もあったと思い出したのは、『褄はずれ』(つまはずれ)と『立てすごす』です。『褄はずれ』は、広辞苑では、『取りまわし。身のこなし。』と、あります。この本では、『お茶の飲み方でも、ご飯の食べ方でも、襖の開け方でも、全部の動作を「褄はずれ」と言います』と、説明されています。使用例として、『あの人は本当に褄はずれの上品な人ネ』とか『あの奥さんはどうも褄はずれがガサツだから、お育ちがあまりよくないんじゃないの』などが、あげられています。

 品格や所作が話題にのぼる機会が以前より少なくなって、こういった言葉が聞かれなくなったのでしょうか。その代わりにどんな話題が増えたのか、すぐには思いつきませんが、損得や貧富の話題にとって代わられていないことを願います。

『立てすごす』は、『女が男の人の面倒を見ることを言います。女性のヒモになる男や、女の人に養われてお小遣いをせびる、そんなタイプの男性の面倒を見ることは含みません。』と、書かれてあります。将来性が感じられるものの、貧しい大学生の学費や生活費の面倒を見たり、仕事の行き詰った実業家などを経済的に支えたりすることを指すようです。『女の人に立てすごされて立派になった男性は、例外なく女性 (奥様) を大切にしておられます。』と、著者は言います。いまは、不遇時代に支えてくれた女を大切にするひとより、新たにトロフィー・ワイフを手に入れるひとのほうが一般的かもしれません。昔は、トロフィー・ワイフにあたる言葉すらなかったのかもしれないと思うと、時代の流れが悲しく見えます。

 わたしが、特に共感できた著者のことばは、『付かず離れず』と『引っ込み』です。『付かず離れず』は、『ほどほどに人とお付き合いすること。』とあります。『のっぴきならない羽目に陥る』ことなく、『ほどほどに付かず離れずのお付き合い』が大切だと著者は教えられたそうです。

 そして、『付かず離れずのお付き合いで、それでもお互いに助け合い、支え合ってきました』と、書かれてあります。相手に踏み込み過ぎず、助け合い、支え合える距離を保つことは、わたしも見習いたいと思いました。

『引っ込み』は、さまざまな場面で使えるそうです。仕事をやめるときも、男女が別れるときも、きれいに終えることは難しく、大切だということです。これからのわたしに必要なことだと思いました。

 かつての価値観に触れ、少し理解できた気がします。
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2024年12月22日

「A Rumpole Christmas Stories」

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John Mortimer 著
Penguin Books 出版

 法廷弁護士の主人公 Horace Rumpole が迎えたクリスマスの数々が短篇になっています。収められているのは、次の 5 篇です。

ー Rumpole and Father Christmas
ー Rumpole's Slimmed-Down Christmas
ー Rumpole and the Boy
ー Rumpole and the Old Familiar Faces
ー Rumpole and the Christmas Break

 Rumpole は、妻のことを She Who Must Be Obeyed と呼ぶ恐妻家で、クリスマスも働きたい仕事中毒で、周囲からは頻繁に「Don't be rediculous」と、あしらわれ、ずんぐりとした体型の冴えない男のように描かれていますが、鋭い視点で事件を解決に導くこともあり、侮れません。

 鮮やかに解決した Rumpole に対して拍手を送りたくなる事件もありますが、法廷で Rumpole が活躍したように見えても、実は違ったという「Rumpole and the Boy」が一番好きです。"the Boy" は、Edmund という男の子で、個性の強い Rumpole を相手に対等に話せる、申し分のない登場人物です。その Edmund が裁判に関する書籍に Rumpole の名前を見つけ、その手腕に感じ入った様子を見せ、 Rumpole もまんざらでもない気分に浸ります。

 しかし、結末では、Rumpole が代理人をつとめた被告、Edmund の母親が放免されたのは、Rumpole の反対尋問が首尾よく運んだせいではなかったと明かされます。 Rumpole にとっては、ほろ苦い終わり方ですが、Edmund にとっては幸せの象徴のような場面で、印象に残りました。世の中の常識から外れても、幸せに生きる彼ら親子の姿に、あたたかい気持ちになりました。

 Rumpole が善き行ないをしたように見えて、実は利用されていたとわかる「Rumpole and the Old Familiar Faces」とは対照的です。

 ひとの善き面も悪しき面も、見た目では判断できないと言いたげなこの作家が生んだ、灰汁の強い Rumpole というキャラクターは、読んでいて飽きません。
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2024年12月21日

「はじまりはジャズ・エイジ」

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常盤 新平 著
講談社 出版

 グレート・ギャツビーの舞台となった時代、ジャズ・エイジは、映画にもよく登場します。わたしのなかのイメージでは、『桜』のような時代です。燦然と輝くいっぽう、呆気なく終わってしまう、そんな印象をもっています。もう少し背景を知りたいと思ってこの本を読み、日本との違いがこれまでよりもわかった気がしました。

 著者は、ジャズ・エイジを『禁酒法が実施された 1920 年 1 月 16 日に始まり、ウォール街の崩落があった「暗黒の木曜日」といわれる 1929 年 10 月 24 日までの不思議な時代』と呼んでいます。さらに、『1920 年代は、アメリカ文化が都会化した時代であり、ニューヨークが社会的にも知的にもアメリカの中心になった時代である』と、書き、『それまでの勤倹貯蓄によって新事業をおこすという「生産の倫理」は、大量生産される新しい商品のマーケットをつくるために必要な「消費の倫理」にとってかわられ』たとも、いっています。しかし、そのあとのできごとをこう記しています。『20 年代は 30 年代によってあっさり否定されてしまう。それも、無残に。1920 年代という時代が存在しなかったかのように扱われる。30 年代は 20 年代がつくった負債を払わされる時代だったので、そのように扱われても仕方のないところがあった』と。

 わたしたち日本人も大量消費の時代、高度経済成長期を経験しましたし、過去の負債を払わされるのと似た経験をしたのかもしれません。しかし、わたしたち日本人が経験したことがないと思われる点を著者は指摘しています。それは、禁酒法です。

 著者は、『禁酒法という世にも不思議な法律があったから、1920 年代というあの変わった時代が存在したのではないか』と書き、『少なくとも、アル・カポネというギャングスターが実業家として自称しても、社会が受け容れるはずがなかった』といいます。そのうえ、『禁酒法は、法律を破っても平気だという風潮を生んだ』らしいのです。

 日本で、破っても仕方のない法律として、わたしが最初に思う浮かべるのは、食糧管理法、配給以外の食料を取り締まった法律です。生きる権利を求めて日本人が法律に違反していたよりもずっと以前に、アメリカでは自由を求めて法律を破っていたのです。わたしがジャズ・エイジに華やかさをイメージする理由は、そのあたりにあるのかもしれません。

 しかし、誰もがジャズ・エイジを楽しんでいたのではないようです。『物欲のアメリカに愛想をつかした若いアメリカ人はたいていパリに行った』と、著者は書いています。思うように海外への渡航できなかった日本の感覚からすると、ヨーロッパに逃げ出したひとたちにさえ、自由や華やかさが感じられます。

 自ら経験しなかった時代のことだけに、この本から多くを得られた気がします。
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2024年12月20日

「論文の書き方」

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清水 幾太郎 著
岩波書店 出版

 タイトルの『論文』について著者は、哲学、思想、文化、社会科学方面における『知的散文』といった意味だと書いています。つまり、詩や小説など芸術的効果を狙ったものや自然科学分野の報告などは含まれません。

『知的散文』に限らず、わたしがこれまで意識せずにいたと気づかされたのは『が』の使い方です。著者は、『文章の勉強は、この重宝な「が」を警戒するところから始まるものと信じている』と書いています。重宝というのは、『が』がつなぐ前と後の関係がどうであっても、つなげることを指しています。具体例として、『彼は大いに勉強したが、落第した』という文の『が』をやめて、『彼は大いに勉強したのに、落第した』、あるいは『彼は大いに勉強したので、合格した』と書けば、『が』でつないでいたときに比べ、前後の句の関係がクッキリと浮かびあがってくると著者は書いています。

 また、『文章は建築物である』という見出しの項では、極めて緩くしか前後の句をつなげない『が』と違って、『ので』、『のに』、『ゆえに』、『にも拘わらず』などは、二度と離れないよう堅くつなげる接続助詞だと説明されています。つまり、文章という建築物を堅牢にするためには、安易な『が』ではなく、吟味された接続助詞を使うべきだというのです。

 もう 1 点、説得力のある解説だと思ったのは、文の長さです。文は、短いほうがよいとする意見もあれば、短い文で奇をてらうことなどするなという意見もあります。この本を読んで、わたしなりの基準がはっきりしました。一度読んですんなりと頭に入ってこないほど主語と述語が離れてしまう、あるいは主語や述語が簡単に特定できないほど修飾語が長くなってしまう場合、見直すべきだと思いました。

 著者は、『複雑な内容を正しく表現しようとすればするほど、一つ一つの文章は短くして、これをキッチリ積み重ねて行かねばならないように思う』と、書いています。先の『文章は建築物』という喩えに従うなら、土台 (文の骨組み) をつくり、適切な接続詞や接続助詞を使いながら順番に積んでいくということでしょうか。

 著者は、映像がどれだけ発達しようとも、文章は、抽象的観念や未来を描くのに重要だと書いています。それを読み、これからも文章の書き方を学びたいと思いました。
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2024年12月01日

「月面にアームストロングの足跡は存在しない」

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穂波 了 著
KADOKAWA 出版

 期待したものが欠けていて、物語のなかに入りこめませんでした。たとえば、アームストロングが月面に降り立ったというのは捏造だという設定です。長年とりざたされてきた話題ですし、それに反論する説も数多く公表されています。それなのに、その隠蔽が『ディープフェイク』のひとことで片づけられていたのは、もの足りなく感じました。たしかに、ディープラーニングの歴史と重なってはいますが、半世紀以上も隠蔽できるものなのでしょうか。

 また、アメリカという大国の隠蔽工作の中心に日本人がいるという設定も、その理由がアームストロングと足のサイズが同じというのも、都合のよすぎる設定に思えます。さらには、個人の事情に同情し、国を裏切る宇宙飛行士の存在も違和感を感じます。大それた行動を起こすひとの動機がなんとなくしっくりきません。

 全体的に、わたしにとってリアリティが感じられない内容でした。物語の舞台が宇宙という壮大な空間にあるわりには、登場人物の小競り合いが卑近で、しっくりと馴染まない気がするのかもしれません。ひとの心のうちにある小さな葛藤を描く場が宇宙である必要はないように思えます。宇宙に行くリスクや覚悟、宇宙開発に必要とされる資金やテクノロジーなど、当然のことばかりで、新鮮味がなかったのも残念でした。
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2024年11月18日

「Dreamcatcher」

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Stephen King 著
Pocket Books 出版

 物語は、過去と現在が交錯して進みます。過去のほうは、「スタンド・バイ・ミー」を思わせる、男の子たちの友情が軸になり、現在のほうは、映画の「エイリアン」を思わせる、SF ホラーが軸になっています。わたしは、地球外生命体と戦うタイプの小説が苦手なのですが、この作品に限っていえば、さまざまな謎に魅せられ、最後まで読んでしまいました。

 わたしにとって一番謎だったのは、タイトルになっている dreamcathcer です。重要な小道具として登場しますが、わたしは実物を見たことがありません。インターネット上のさまざまなサイトでその画像を見られますが、かたちは蜘蛛の巣に似ています。アメリカ先住民のあいだで、悪夢を消し去ってくれる魔除けとして知られていて、室内装飾品として吊り下げるようです。

 物語が進むなか、dreamcathcer は、繰り返し登場し、なにかを暗示あるいは象徴しているように、わたしには思えました。なにかを捉えるものに見えることもあれば、誰かと誰かをつなぐものに見えることもあれば、なにか、それも広い空間のようなものを包みこむものに見えることもあり、登場するたび、考えさせられました。ただ、最後に、それがなんなのか明かされても、わたしにはうまくイメージできず、残念でした。過去と現在が同時に存在する空間やそれを生み出す能力をわたしがうまく想像できないせいかもしれません。わかったような、わからないような中途半端な感覚に陥りました。

 ほかにも、登場人物の過去に関する謎がありました。おもな登場人物は、お互いを Jonesy、Henry、Beaver、Pete と呼びあう 30 代の男性 4 人で、子どものころからの親友です。おとなになって、それぞれ異なる道を歩んでいても、付き合いは続いています。彼らには、普通なら知りえないことがわかる能力があり、物語のなかでは『線が見える』と表現されています。その能力のルーツを辿ると、4 人組には、子どものころ近しかった友人がもうひとりいて、その 5 人めの仲間を通じて不思議な能力を授かったことが明かされます。Duddits と呼ばれる、5 人めの仲間にはどんな力があるのか、過去にひとを殺めたのはなぜかなど、疑問がいくつも浮かびました。

 あちこちに散りばめられた謎だけがこの作品の魅力というわけではありません。この 5 人の友情に共感し、自らの経験を思い起こすきっかけにもなりました。たとえば、Duddits と疎遠になってしまったことを悔いる場面、知性や判断力に秀でる友人に信頼を寄せる場面、Duddits と再会した Henry が 5 人で過ごした時間を振り返る場面など、そうしたいという理由だけで、ひとと一緒に時間を過ごしたころを思い出しました。

 以前読んだ作品に似ているような気がするものの、物語の展開がまったく読めず、つい最後まで読まされてしまったあたり、ベストセラー作家の実力なのかもしれません。
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