2021年03月09日

「『エビデンス』の落とし穴」

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松村 むつみ 著
青春出版社 出版

『エビデンスベーストヘルスケア』ということばを頻繁に耳にするようになって久しいのですが、わたしは漠然と、エビデンスを『証拠』のように考えていました。その認識の誤りをこの本は正してくれたように思います。

 著者によるとエビデンスは、信頼性がもっとも高いレベル 1 から、信頼性に劣るレベル 6 まであり、それぞれ以下のように定義されています。

- レベル 1 ……『システマティックレビュー』や『メタアナリシス』が該当します。これらは、複数の研究を統合して、結果を出したものです。これらがレベル 2 のランダム化比較試験よりも信頼性が高いのは、複数の研究を統計的な手法を使って統合している点です。ただ、集められる研究の数が少なかったり、研究方法 (デザイン) に問題のあるものが含まれたりする場合もあるので、信頼性が落ちるケースもあり得ます。

- レベル 2 ……『ランダム化比較試験』が該当します。たとえば新しい薬の効果を見極める場合など、参加する患者を 2 つのグループに分け、いっぽうのグループには新しい薬を、他方には偽薬を投与し、比較して試します。どの患者を新薬と偽薬のどちらに割り振るか、ランダムに決めたら、ランダム化比較試験になります。

- レベル 3 ……『非ランダム化比較試験』が該当します。レベル 2 と同じ手法が採られますが、グループの割り振りがランダムでない場合が非ランダム比較試験です。

- レベル 4 ……『症例対照研究』(別名:後ろ向き研究) や『コホート研究』(別名:前向き研究) が該当します。前者は、過去に遡って、病気の要因などについて研究します。たとえば、すでに肺がんを発症している患者を対象に過去に喫煙していたかなどの習慣を調べ、肺がんではない人たちと比べ、喫煙者が多いか比較分析します。後者は、現時点で肺がんを発症していない人たちを一定人数集め、喫煙者と非喫煙者を分け、それから何年か観察して、喫煙者のなかで肺がんになる人と非喫煙者のなかで肺がんになる人がどれくらいいるか比較検討します。

- レベル 5 ……専門の教科書にも載っていない珍しい症例や通常の治療は効かなかったけれど特定の治療を試して効果を得たような症例を論文にしたり、学会で発表したりしたものが該当します。

- レベル 6 ……具体的なデータなどにもとづかない『専門家の意見』が該当します。個人的には、データがなくても、エビデンスと呼ばれることを意外に思いました。

 これだけ違いのあるものがすべて『エビデンス』と呼ばれている以上、患者もそれぞれの差異を意識して、自分の治療にかかわっていく必要があると感じました。

 また、エビデンスがあるからといって、飛びつくのではなく、さまざまな意見や情報をもとに多角的に検討するまでは、結論を保留することも大切ではないかと思います。

 最後に、エビデンスが絶対ではないということも考慮しておく必要があります。こういったデータの収集は、手間も費用もかかります。つまり、金銭絡みの不正が行われる可能性もゼロではありません。著者は、あるワクチンを接種すると自閉症になるという論文が、当該ワクチンを作った企業の競合他社に有利に働くようウェイクフィールドという元医師によって発表された例をあげています。

 もしものとき、『エビデンス』の踊らされない患者になりたいものです。
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2021年03月08日

「ことば選び実用辞典」

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 ビジネスで堅い感じの文章にしたいときなどに重宝しています。たとえば『起こる』ということばを引くと、喚起、起因、起業、偶発、継起、興起、興業、興隆、再燃、再発、散発、惹起、出来、触発、振興、新興、生起、続発、台頭、多発、突発、発祥、発生、発動、頻発、復興、併発、発起、勃興、勃発、連発などの熟語が並んでいます。

 もちろん、まったく同じ意味をもつ熟語が並んでいるわけではありませんが、ちょっと小難しく見せたいときなどに、これらの候補から最適なものを選ぶことができます。

 ただ、こういった類義語を見比べていると、やはり適切な単語を選ぶことは、意味のあることだと再認識させられます。普段英語で生活しているわたしの知人は、いちおう日本語が母語ですが、このなかの『惹起』が何度見ても読めず、いつも読み方を尋ねられます。

 もちろん誰もが知っている単語を使うことが大切なときもあります。しかし、『起こる』と『惹起する』から受ける印象は明らかに違います。後者は、何かきっかけがあることがイメージされ、その文脈では『惹起する』のほうが適切だと思えることも往々にしてあるのです。

 よりぴったりすることばを見つけたり、提案書など堅い表現が似つかわしいと思える場面で使える、タイトルどおり実用的なポケット辞書だと思います。
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2021年03月07日

「Dumbo」

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ディズニー (Walt Disney) 著
Ladybird Books Ltd. 出版

 古本市で見つけた本です。この本を目にしたとき、友人とのおしゃべりでよく『耳をダンボにして聞いてしまった』などと使っている『ダンボ』なのに、実際にどんな物語なのか、映画を見たこともなければ、本を読んだこともないことに気づきました。

 ダンボは、思ったほど恵まれた境遇にはありませんでした。大きいピンクの耳を笑われるだけでなく、ダンボのことを愛する母、ミセス・ジャンボとも引き離されてしまいます。

 でも、たったひとり、ティモシー・マウスがダンボの味方になります。彼は、赤の鼓笛隊の衣装を身にまとい、帽子にはご丁寧に羽根を挿しています。この小さな味方と、ダンボをいじめる巨大なゾウの面々のコントラストといい、ハッピーエンドといい、ディズニーらしい雰囲気がする作品でした。

 いまさらながらダンボの耳が飛ぶためのものと知って、『耳をダンボにして聞く』という表現を少し使いづらくなった気がします。
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2021年03月06日

「歌集 滑走路」

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萩原 慎一郎 著
KADOKAWA 出版

小説 滑走路」のもととなった歌集です。32 歳という若さで自死した歌人の最初の歌集です。短歌を始めたきっかけは、17 歳の秋、ミーハー感覚で参加したサイン会で俵万智氏の短歌に出会ったことだそうです。

 俵氏の影響を受けただけあって、短歌は口語です。わたし自身が 32 歳だったころと比べると、現代に生きる若い世代の人たちは大変なんだと溜息が出ました。

- 毎日の雑務の果てに思うのは「もっと勉強すればよかった」

- 逃げるわけにもいかなくて平日の午後六時までここにいるのだ

- 頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく

 非正規で就業していた歌人の後悔や諦念を感じずにはいられません。でも、彼は孤独だったようには思われません。

- ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる

- 一人ではないのだ そんな気がしたら大丈夫だよ 弁当を食む

- 疲れていると手紙に書いてみたけれどぼくは死なずに生きる予定だ

 そして大切な人もいたようです。

- 遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから

 たった三十一文字に 3 度も『あなた』と呼ぶその方と、前を向いて歩いていく気持ちも、まだまだあったはずです。

- 内部にて光り始めて (ここからだ) 恋も短歌も人生だって

 この「滑走路」という歌集を出版しようと計画した彼は、こんな素敵な歌を生み出しました。

- きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい

 この歌集が、歌人が用意した滑走路から高く飛び立つことができればいいと思います。
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2021年03月05日

「がんから教わるワンショットセラピー」

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中本 雅子 著
文芸社 出版

 家の整理をしていたら、この本が出てきました。著者のサインと 2005 年 10 月 27 日という日付のそばに Givers Gain, Takers Lose と記されていました。

Dr.チャック・スペザーノのセルフ・セラピー・カード 」の講座に参加した際、そのインストラクターが出版された本にサインしていただいたのです。

 昔のことなので、すべてを覚えているわけではないのですが、著者であるインストラクターが、がんと診断され闘病したことをきっかけに、それまでご自身が教えていたことを必ずしもご自身で実践できていなかったことに気づいたとおっしゃっていたことが印象的でした。

 この本に書かれてあります。『自分の研修の中で、人に「こんなわけない、じゃなくて、こんなわけあるんですよ。間違いなく、これがあなたの人生なんですよ〜」と、偉そうに言っていた』のに、ご自身は、『なんで、私はがんなんだ!』と、受け入れられずにいたそうです。そして、いくばくかの時間をかけて『自分の人生が、これなんだと実感することを「気づき」と呼ぶのだとつくつく』思うようになったそうです。

 研修の講師をされてきた立場で、そんなことを認めてしまっていいのかと思いましたが、その誠実な発言が印象に残る方でした。

 そのほか、この本に登場する、『ゴキゲンに人生を過ごしている人は、自分にとって嫌なことが起きても、それにつける解釈を三個以上、即座に選択することができる』という考え方にも共感できました。

 たとえばある独身女性がこう言ったとします。『私、乳がんかと心配で心配で、訪ねた病院の先生は「ご主人と話しましょう」と言ったんです。私は独身なんですよ! ひどいと思いませんか?』彼女のように医師が悪いと責め、自分を被害者に仕立てるのは簡単です。

 でも、こう思うこともできます。誰かほかの患者さんと勘違いしたのかもしれないし、結婚している人が醸し出す落ち着いたムードを自分がまとっていたのかもしれないし、その医師は勉強ばっかりしていまの職業に就いたので、人の微妙な心の機微について思いやる訓練はなされていないのかもしれないし……。どちらが機嫌よく過ごせるかは、比べるまでもありません。

 また『心の平和は、人から何かしてもらうことを考えている限り、やってこないもの』だという考え方も、そのとおりだと思います。これだけやってあげたのだから、あの人もこれくらいやってくれなきゃと、すべてを交換をベースに考えると、常に腹立たしさを抱えて過ごすことになります。そういう人に限って、自分が他者にしてあげたことは一生忘れないのに、他者からしてもらったことは一瞬で忘れるといったことも起こりがちです。

 こういった考え方が、サインに添えられた Givers Gain, Takers Lose (与えて人は得て、もらって人は失う) にあらわされているのだと思いました。
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2021年02月26日

「16 歳からのはじめてのゲーム理論」

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鎌田 雄一郎 著
ダイヤモンド社 出版

 新聞でもよく見かけるようになった『ゲーム理論』とは、複数の主体が相互依存関係のもとで、いかなる行動をとるべきかを考察する理論で、その応用範囲は、ミクロ・マクロの経済、マーケティング、政治 (例:国際関係) など広範囲におよびます。

 数学者フォン・ノイマン (J. von Neumann) 氏と経済学者モルゲンシュテルン (O. Morgenstern) 氏の共著「ゲームの理論と経済行動」(1944年) がその出発点だと言われているだけあって、社会で見られる現象を数理的に解明し、最適化するにはどうすればいいのか、どのように均衡が保たれているのかといったことを数学モデル (計算式) を使って明らかにしてきた分野のようです。

 ただ、この本では、ゲーム理論をそういった難しい数学の問題と見るのではなく、どのようにものごとを見て考えるかを、日常のできごとを例に伝えています。

 たとえば、「なぜ人は、話し合うのか」という章では、新人歌手を発掘するふたりの人物が登場します。この敏腕コンビは、誰をデビューさせるか、いつも時間をかけて話し合って決め、その結果デビューした歌手は基本的に売れていました。それが、あるときを境にふたりは仲違いをし、話し合いをやめてしまいました。それでも、彼らの人選に関する意見は一致することがほとんどでした。しかし、そうして選ばれた人材はデビューしても売れなくなりました。

 話し合いは、ひとつの結論を導き出すため、つまり意見を一致させるために行なうことのように思いがちですが、このストーリーが伝えようとしているのは、たとえ意見が一致していてもさらに話し合うとふたりとも意見を変えうるということです。つまり、話し合いによって、成功には遠い意見の一致から、より成功に近い意見の一致に変わることがあることを知るべきだということです。

 これは、ジョン・ジーナコプロス氏とヘラクリス・ポレマルカキスによって 1982 年に発表された論文「We Can't Disagree Forever (訳:我々は永遠に見立てを違えるということはない)」がもとになっているそうです。著者は、人と人とがお互い何を考えているかを探り合うゲーム理論の醍醐味が詰まった論文だと評しています。この本に収められたストーリーのうち、複数の主体が協力関係にある事例として一番おもしろいと思えました。

 そのほか、複数の主体が非協力関係にあるストーリーもありました。老舗のケーキ店の近くに新しくお洒落なケーキ店がオープンし、老舗の店からお洒落な店へ偵察に行ったところ、ケーキが 340 円で売られていることがわかったという話です。老舗では 350 円で売られているので、10 円だけ安くしたわけです。

 こういう状況では価格競争が起こり、値段が材料費まで下がるという論文が 1883 年に発表されました。しかし、利益を失うような決断は現実的ではなく、その後も研究は続き、1971 年、ジェームズ・フリードマン氏が「A Non-Cooperative Equilibrium for Supergames (訳:スーパーゲームの非協力的均衡)」が発表されます。スーパーゲームというのは『長期的関係』を意味する専門用語です。

 競争するふたつの店は、非協力的な関係にあり、また長期的にかかわりうる関係にあります。つまり、お互い自分の利益のみを追求しても、現在の均衡を保ち価格競争に陥らないよう、お互いに協力するような関係が築かれる可能性があることを証明しています。こういった関係の数理的分析は『繰り返しゲーム』の理論と呼ばれているそうです。

 自分だけ、あるいは自社だけで完結することは、世の中にはそうありません。ゲーム理論が幅広く応用される理由がわかった気がします。
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2021年02月25日

「それから」

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夏目 漱石 著
朝日新聞社

 家の整理をしていたら、『それからノート』なるものが出てきました。1909 年 6 月から 10 月にかけて朝日新聞紙上で連載された、夏目漱石の「それから」は、2015 年に再連載されました。それら連載を切り抜いて貼ることができるノートです。

 ノートには、漱石が、大学で教える仕事を辞し、朝日新聞社に入社した経緯を綴った「入社の辞」が掲載されています。大学講師として得ていた年俸 800 円では、子供が多くて家賃が高い状況では暮らしがたたず、他校の仕事を掛け持ちして凌いでいたところに、『文芸に関する作物 (さくぶつ) を適宜の量に適宜の時に供給』する担当として朝日新聞から誘われ、新聞社では『米塩 (べいえん) の資に窮せぬ位の給料をくれる』いっぽう、教師として収入を得ることを禁じられたので、未練なく新聞社の仕事一本に絞ったようです。

『何か書かないと生きてゐる気がしない』という状況にあった漱石にとっても、彼の作品を楽しんだ人々にとっても、利のある転職だったように見受けられます。ただ、後世において、ずっと読み継がれる作品を書いた作家が、そこまで生活に窮していたのは驚きです。

 漱石の初期三部作「三四郎」(1909年)、「それから」(1909年)、「門」(1910年)の 2 番目にあたるこの作品の主人公は、長井代助という高等遊民です。中学時代からの友人平岡 (代助が思いを寄せる三千代の夫) に向かって、次のように語ります。
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僕の知ったものに、まるで音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持ちをやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読 (したよみ) をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休みとか号して一日ぐうぐう寐ている。だからどこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞 (きき) に行く機会がない。つまり楽 (がく) という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくちゃならない。僕からいわせると、これほど憐れな無経験はないと思う。麵麭 (パン) に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麵麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。
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 漱石の「入社の辞」を読んだあとに「それから」を読むと、ここで語られる学校の教師と漱石が重なります。

 代助は、三千代と結婚すると決めたがために、高等遊民という立場を捨てざるを得なくなり、結果的に『麵麭に関係した経験』を始めることになります。代助が自らのエゴイズムから自らのいう劣等なことに追い込まれる場面で、先のセリフに教師を登場させた漱石の思いを知りたくなりました。
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2021年02月24日

「NOT DOING, BUT BEING 「在宅訪問薬剤師」奮闘記」

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日本調剤株式会社 在宅訪問薬剤師ブログ書籍化プロジェクト 著
幻冬舎 出版

 この本は、もともとブログで紹介されていた、在宅訪問薬剤師の活動をまとめたものです。

 タイトルの Not Doing, But Being は、イギリスの医師で、緩和医療の礎を築いたデーム・シシリー・ソンダース (Dame Cicely Saunders) 氏のことばだそうです。ブログの内容を書籍化したプロジェクトの方々は、ソンダース氏のことばを次のように解釈されたそうです。
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苦しい治療がすべてではない――。患者さまの苦痛を和らげながら、言葉と心に耳を傾け、そっと寄り添う。人生の大切な時を、その人らしく生きてもらうために、私たちはそこにいるのだから。
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 病院で緩和ケアを勧められたときの心の動揺は大きいものです。いまここで終わるわけでもなく、治ったあとのことを考えられるわけでもなく、残りの時間をどう乗り切ればいいのか、わからないのが普通だと思います。そんなときに、こんな考えを持った方の存在を知れば安らぎを覚えるでしょうし、そばにいてもらえれば救われるのではないでしょうか。

 この本に収められているストーリーは全部で 12 あり、自宅で緩和ケアを受けている患者のもとを訪れる薬剤師の話ばかりではありませんが、それぞれ色々な制約のもとで、ベストを尽くそうとされる薬剤師が登場します。

 認知症を患って規則正しく薬を服用できなくなった方、幼いながら重い病気と闘う子供など、それぞれ事情が異なります。そのそれぞれの違いに対し常に臨機応変に、メンタルケアの一面も担いながら、薬を届ける以上の活躍をされる薬剤師の方々の姿からは、ひたむきさが伝わってきました。
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2021年02月06日

「枕詞の暗号」

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藤村 由加 著
新潮社 出版

 ミステリーのようなタイトルですが、枕詞に『秘めたる暗喩』があるという推測のもと、どのような解釈が成り立つか検討されています。

 取りあげられている枕詞は、いかるがの、あまとぶや、あをによし、とぶとりの、とりがなく・あさひてる、あさもよし、あらたまの、たまだれの、やすみしし、ちはやぶる、あしびきの、たらちねの、あまかぞふ、たまかぎる、たまぼこの、たまづさ・たまゆら、たまきはる、たまだすき、うつせみの、あぢさはふ、さざなみの、ひさかたの、ぬばたまの、そらみつ、あきつしま、しきしまの、やくもたつ、などで、かなりの数になります。そのほか、枕詞には分類できないであろう修辞語もいくつかあります。

 枕詞は『習慣的に特定の語につづけて、主文に関係なく直接下の語を修飾する』(平凡社世界大百科事典) とされていますが、歌は形式上、字数制限が厳しく、たいして意味もないことばを入れたりしなかったはず……というのが著者の意見で、その点はとても説得力がありました。『古代中国や朝鮮のことばや思想、そのすべてに秀でた歌人の手によって凝縮されたことばのエッセンス』が枕詞だったと著者は考えています。

 現実的には、この本で披露されている解釈が正しいかどうかはわかりませんが、解釈を読み進めていくうちに、その時代に中国や朝鮮から取り入れた文化や価値観などに触れることができる点は、優れていると思います。

 著者は、あとがきで次のように語っています。
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枕詞は実に多彩な色合いを放っていることに改めて驚いた。朝鮮語音、字形分解、字源、漢語を和語にしたもの、陰陽五行、易の思想など、すべて漢字という器があったからこそ成し得たことだった。
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 たとえば、学校で習った『春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天香具山 (春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山)』。なぜ、あめのカグヤマと香具山を天でわざわざ修飾しているのかは、説話の影響だと著者は考えています。天にあった山が地上に降りるときに分かれ、ひとつが倭 (大和) の香具山に、もうひとつが伊与 (今の松山) の天山になったという物語がもとになっていると言うのです。

 しかも著者は、このなかに五行説が盛り込まれていると解釈しています。まず、『香具山』は大和から見て東にあり、東は五行で『木』にあたります。季節の移り変わりを意味する『夏来たるらし』は、『木→火』への移行を指し、『白』が『金』をあらわすと推測しています。後半の『衣乾有天之香具山』のうち『乾』のひと文字が北を意味することから、五行の『水』(北の位置)にあたり、『天』で東の香具山に戻ると考えているわけです。

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 信憑性はともかく、知的な連想ゲームに思えました。
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2021年02月05日

「オビー」

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キム・ヘジン 著
カン・バンファ/ユン・ブンミ 訳
書肆侃侃房 出版

 以下の 9 篇が収められています。

−オビー
−アウトフォーカス
−真夜中の山道
−チキン・ラン
−カンフー・ファイティング
−広場近く
−なわとび
−ドア・オブ・ワワ
−シャボン玉吹き

 著者プロフィールによると、このなかの「チキン・ラン」が 2012 年に東亜日報の新春文芸に選ばれたことをきっかけにデビューした作家で、「オビー」が 2016 年に『今年の問題小説』に選ばれたそうです。

 周囲から肯定的な評価を得ることが少ないであろう人たちが数多く登場する短篇集です。「チキン・ラン」では、チキンのデリバリーをする男性と自殺しようとする男性のあいだで、悲壮感があるものの同時に滑稽にも聞こえるやりとりが繰り広げられます。

 「オビー」では、人との関わりが苦手なオビーが、Amazon の配送センターのような場所で非正規労働者として働き始め、陰日向なく勤めたにもかかわらず、職場で居場所を失っていくさまが描かれています。

 社会に必要とされてはいても低賃金で働く人々の暮らしは韓国も日本も似たような状況にあるように見えるいっぽう、まったく理解できない作品もありました。

「広場近く」は、見ず知らずの男から 6 歳の子供を預かった男の話です。そんな幼い子を他人に預けて仕事に行く無茶な設定が韓国ではリアリティをもって受け入れられるのかと驚きました。

「真夜中の山道」にいたっては、訳者あとがきの状況説明を読まなければ、どういった場面か理解できませんでした。説明によると、再開発が進む地域の強制撤去部隊として雇われた男たちと、籠城闘争を決起した人たちの側にアルバイトの市民運動家として参加する女が戦っているそうです。対価と交換に暴力をふるっている人々だということはわかりましたが、市民運動を生活の糧にして暴力をふるうといったことが、本当に世の中に起こっていると受けとめていいのか迷いました。

 韓国という国を垣間見ることができる短篇集でした。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする