2021年07月05日

「新型コロナワクチン 遺伝子ワクチンによるパンデミックの克服」

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杉本 正信 著
東京化学同人 出版

 パンデミックという非常事態とはいえ、1 年ほどの短期間でワクチンが開発されたことに驚くと同時に、素朴な疑問が 2 点ありました。(1) なぜ短期間で開発できたのか。(2) なぜ超低温管理が必要なのか。

 HIV ワクチンの開発に従事していた著者の説明は、信頼性が感じられるだけでなく、とてもわかりやすく、わたしの疑問は氷解しました。

 いま日本で接種されている、ファイザー製やモデルナ製ワクチンで用いられている mRNA (メッセンジャー RNA) や アストラゼネカ製ワクチンで用いられている VV (ウィルスベクター) といったワクチンは、病原体に関連したタンパク質をコードする遺伝子 (RNA あるいは DNA) を体内に注入し、体内で抗原タンパク質をつくらせて免疫を誘導する『遺伝子ワクチン』にあたるそうです。

 遺伝子は、生物に必要なタンパク質をつくる設計図のようなものですが、そこから直接タンパク質がつくられるわけではなく、次のように『転写』→『翻訳』という流れを経て、タンパク質ができるのですが、その仕組みがワクチンに利用されています。

@遺伝情報をもっている DNA は、二重らせん構造をしていて、合成するタンパク質の情報部分だけ二重らせん構造がほどかれます。

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Aほどけた DNA の片方の鎖に、RNA の材料となる塩基を含むヌクレオチドが近づき、DNA の塩基と相補的な結合をつくっていきます。

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Bこうして、二重らせんの片方の塩基配列の一部が RNA に写し取られます。こうしてできた RNA が mRNA と呼ばれ、この過程が転写と呼ばれます。

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CmRNA の塩基配列を元に、アミノ酸が結合されていきます。この過程が翻訳と呼ばれます。

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 この仕組みをもとに、COVID-19 の遺伝情報から作製された mRNA は脂質膜でコーティングされ、人体に投与され、体内で mRNA からスパイクタンパク質がつくられて、免疫が誘導されます。スパイクタンパク質は、ウィルス表面にある突起の部分で、感染防御抗原に相当します。

 mRNA は、分解されやすく、ヒトの DNA に組み込まれたりする危険性はありません。ただ、mRNA を脂質の膜でコーティングした脂質粒子にする必要があり、その膜の成分の一部がアナフィラキシーショックを引き起こすのではないかと考えられています。また、出来上がったワクチン製剤は、熱や振動などに不安定で、超低温管理が必要とされます。

 mRNA ワクチンは、初めてヒトに接種されるようになりましたが、先行する技術やアイデアの蓄積があり、決して付焼刃的な技術ではないと著者は説明しています。

 新しいワクチンのメリットやデメリットが素人でもわかるよう解説された良書だと思います。また、今回『転写』→『翻訳』のプロセスに関する画像をお借りした NHK 高校講座もわかりやすくてお勧めです。
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2021年07月04日

「みえる詩 あそぶ詩 きこえる詩」

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はせ みつこ 編
飯野 和好 絵
冨山房 出版

 はせみつこ (波瀬満子) 氏は、「ウリポ・はせ・カンパニー」を設立し、ことば遊びや詩で構成されるステージをプロデュースしていました。そのため、この本でもことば遊びが中心になっています。

 最初に登場する「いるか」(谷川俊太郎作) は、リズムよく同音多義を楽しんでいて、動物のイルカの絵が描かれてあります。

 いるかいるか
 いないかいるか
 いないいないいるか
 いつならいるか
 よるならいるか
 またきてみるか
 いるかいないか
 いないかいるか
 いるいるいるか
 いっぱいいるか
 ねているいるか
 ゆめみているか

 食い意地がはっていて、擬音語・擬態語が好きなわたしが気に入ったのは「たべもの」(中江俊夫作) です。

 もこもこ さといも
 ほこほこ さつまいも
 はりはり だいこん
 ぱりぱり たくあん
 ぽりぽり きゅうり
 かりかり らっきょう
 つるつる うどん
 ぬるり わかめ
 ねとねと なっとう
 くるんくるん こんにゃく
 しこしこ たこ
 しゃきしゃき はくさい
 こりこり こうめ
 ぷりんぷりんの とまと
 ぴんぴんした たい
 あつあつの ふろふきだいこん
 ほかほかの ごはん

 声に出してリズムよく読みたくなる詩に出会える本です。また、時代や世代の異なるさまざまな詩人の作品が集められているので、新しい詩人にも出会うこともできると思います。
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2021年06月22日

「問題解決ができる! 武器としてのデータ活用術」

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柏木 吉基 著
翔泳社 出版

 副題は「高校生・大学生・ビジネスパーソンのためのサバイバルスキル」です。学生や社会人がデータ活用スキルを伸ばすことができるよう著者が支援した経験がベースになっています。データを活用できないのはなぜか尋ねられることが多いので、何から説明すべきか参考にしたくて読みました。

 本当の初心者、つまりデータというものを活用した経験がなかったり、社会に出て間がなかったりする方々には、こういうことを説明する必要があるのだと学ぶことができました。この著者が説明していることはどれも、わたしが説明する必要があるとすら思っていなかったことでした。目の前にいる人が、自分が当然だと思っていることを当然と思っていないことに気づけなければ、何も伝わらないのだと思い知った気がします。

 たとえば、考えることが重要だという点で認識を合わせることは必須です。データを活用しようと思ったとき、データ分析手法を学ぶことより、目的を明確化し、仮説を立て、結果から結論を導きだすほうが重要です。

 また、正解はひとつではないのが当たり前だということに互いが納得する必要があります。(正解だと断定できないことが多いともいえます。) また、ある結論を支える材料も、ひとつ見つければ、それで終わりということでもありません。

 そのほか、仮説を立てても立証できるとは限りませんし、データをヴィジュアル化しても仮説が立てられないこともあるでしょう。いろいろなデータを複数の視点で試してみる必要があります。その点については、次のチャートがわかりやすかったと思います。左側の『指標を特定する』前に『目的・問題を定義する』が入っている点も優れていると思います。データを見ているうちに、解決すべき問題から外れてしまうことは起こりがちだからです。

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 また、著者が難しいことばを使っていない点も見習いたいと思います。たとえば、評価をする際に必要な比較のテクニックについて『「値の大きさ」「推移」「バラつき」「比率」の四つの尺度で適切にデータの特徴を捉える』ようアドバイスしています。『標準偏差』という単語さえ使っていません。

 基本こそ、しっかりおさえるべきだと学ばせていただきました。
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2021年06月21日

「最後の瞬間のすごく大きな変化」

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グレイス・ペイリー (Grace Paley) 著
村上 春樹 訳
文藝春秋 出版

 以下が収められた短篇集です。

− 必要な物 (Wants)
− 負債 (Debts)
− 道のり (Distance)
− 午後のフェイス (Faith in the Afternoon)
− 陰鬱なメロディー (Gloomy Tune)
− 生きること (Living)
− 来たれ、汝、芸術の子ら (Come On, Ye Sons of Art)
− 木の中のフェイス (Faith in a Tree)
− サミュエル (Samuel)
− 重荷を背負った男 (The Burdened Man)
− 最後の瞬間のすごく大きな変化 (Enormous Changes at the Last Minute)
− 政治 (Politics)
− ノースイースト・プレイグラウンド (Northeast Playground)
− リトル・ガール (The Little Girl)
− 父親との会話 (The Conversation with My Father)
− 移民の話 (The Immigrant Story)
− 長距離ランナー (The Long-Distance Runner)

 グレイス・ペイリーは、本書を含めて短篇集 3 冊を発表したのみと著作数は極めて少ないのですが、知名度の高い作家だそうです。不勉強なわたしは、この作家のことを知りませんでしたが、近くの図書館で開かれた本の交換会で、この本を薦めているような、いないような推薦文 (右側の画像の帯) が気になって知ることになりました。

 社会そのものの一部がこの本に収まっているような短篇集にも見えますし、幸運に見放された人々にも公平にスポットライトがあたった群像劇のようにも見えます。

 なぜ、この短篇集が社会の縮図のように見えたのか。たとえば、フェイス (ペイリー自身がモデル) は、「午後のフェイス」に娘として登場するだけでなく、「生きること」では、生きることに疲れた女性としてあらわれ、「木の中のフェイス」では、小さな子供を抱える母親としてママ友と話しをしています。さらに「長距離ランナー」では、子供が大きくなった 42 歳のフェイスがあるとき突然、少しでも遠くに少しでも速く行きたいという思いにとらわれ、ランニングを始めます。

 ひとりの人物が社会的にいろんな立場で生き、それぞれの場面でそれぞれ違う顔を見せるが実社会です。それに似た状況が短篇集全体で再現されているように見えました。キティーは、ある男の女友達として「来たれ、汝、芸術の子ら」に登場しますが、そのときは母性をまったく感じませんでしたが、「木の中のフェイス」でフェイスのママ友として再登場したとき、フェイスに『キティーは母親業の仲間だ。この稼業では最高に腕がいい』と紹介されています。

 誰がどんな顔で、どこに登場するか、「ウォーリーを探せ」気分で読みました。それは、意図したとおり読者に伝わるよう整然と組み立てられた空間を見せる短篇連作と違って、フェイスとその家族・友人だけでなく、彼らと直接かかわりのない人々がいくつもの短篇・掌篇に登場するなかを、自ら探索するような気分で読んだということなのかもしれません。

 ただ、そういった特徴は、この短篇集の個性のひとつに過ぎません。この作品を翻訳した村上春樹氏が、『ぶっきらぼうだが親切、戦闘的にして人情溢れ、即物的にして耽美的、庶民的にして高踏的、わけはわからないけどよくわかる、男なんかクソくらえだけど大好き、というどこをとっても二律背反的に難儀なその文体』と評しているとおり、作家のメッセージを永遠に受け取れないようなところに惹かれ、あとをひく読書体験ができました。
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2021年06月20日

「日没」

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桐野 夏生 著
岩波書店 出版

 怒りが書くことの原動力になることが多いと、直木賞受賞作家が対談で話していたのを思い出しました。

 マッツ夢井というペンネームで小説を書いている作家がある日、映倫の書籍版のような総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会という組織に軟禁され、社会に適応した作品を書くよう更生を強いられるところから物語は始まります。映倫と違って多大なる強制力を有するブンリン (文倫) は、レイプや暴力、犯罪などを肯定する人物が登場する小説を書くのは反社会的であり、そんな作品を書いている限り、社会に戻すことはできないと言い渡します。

 マッツ夢井は、小説は、全体でひとつの作品なので、レイプや暴力の部分だけ、それらのことばだけを取り上げて論ずるのは間違っていると反論しますが、一切相手にされず、水かけ論が続きます。しかし、個人的尊厳も権利も何もかも剥奪する体制を敷いている行政機関相手に為す術もなく、マッツ夢井は、精神的にどんどん追い詰められていきます。

 いまの日本の状況をオーバーに描くとこうなるのでしょうか。少し時間をかけて包括的に理解しようとする意思はなく、細断された部分だけで善悪を判断する姿勢は、何が何でも相手の落ち度を見つけ、よってたかって批判しようとしているようにも見えます。

 もしこの作家が、自らが感じた怒りを原動力にこの作品を書いていたら……、そう思うと、この作品の結末が気になって仕方がありませんでした。一気に読み、最後の一文を見たとき、やり切れない気持ちになりました。同時に、人という弱い存在が忠実に描かれているようにも感じられました。
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2021年06月19日

「データ視覚化のデザイン」

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永田 ゆかり 著
SBクリエイティブ 出版

 データを活用したいけれど、どう活用すればいいのかわからないというエントリレベルの方々に参考になる情報が載っています。

 わたしは、グラフなどの資料を見て、『メッセージが読みとりにくい』『何を伝えたいのか見えない』などの所感を抱くことが多い割に、どういった改善案を提示すればいいのか、わかっていませんでしたが、そのヒントがこの本にありました。新たな情報を脳が受けるときにかかる『認知的負荷』を下げるよう、著者は助言しています。つまり、詰めこみすぎに注意すべきということです。

 たとえば、色の多用をやめ、グレーのみにするとか、際立たせたい部分のみカラーをつけるとかの工夫が必要です。3 色を限度にカテゴリ別に色分けするのもいいかもしれません。(人間が一度に認識できる色の数は 8 色までと言われているそうです。)

 タイトルなども、中立的にするのか、意見を前面に出すのかなどを充分に練ったうえで絞りこみ、そのうえで重要なことは大きく表示します。あわせて、フォントの種類なども極力減らします。

 罫線や凡例なども、本当に必要か吟味します。そうして、絞りこんだ結果として空白が生じても、恐れる必要はありません。少なさなど何かを語る空白は、そのままにしておくべきです。

 またわたしは、『やって (加工して) みないとわからない』ということも度々言っている気がしますが、その点についても、何を見てみるのかわからない方もいるのではないかと気づかされました。

 棒グラフで量を比べてみる、円グラフで割合を見てみる、折れ線グラフで推移を見てみるあたりまでは、実践できる方が多いかもしれませんが、その先に何を試してみるかを伝えるべきだったように思います。

 たとえば、推移を見るときも一般的な折れ線グラフのほか、ヒートマップやエリアチャート (面グラフ) を作成してみたり、要素が多くトレンドが異なる場合は、折れ線を分けるスパークラインを活用するという方法もあります。

 さらに、まったく別の観点から、分布や関係性に注目したり、地図を使って視覚化するという方法もあります。ヒストグラムや箱ひげ図 (ボックスプロット) を活用すると、分布傾向を把握できます。散布図や散布図よりさらに変数をひとつ増やしたバブルチャートを作成すると、関係性を俯瞰することができます。昔と違って、コロプレス図などもフリーソフトで作ることができるので、感覚的に把握できる地図を利用しない手はないと思います。

 数字の羅列を視覚化するための引き出しを少しずつ増やす方法を具体的に知ることができました。
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2021年06月01日

「Kiss Kiss」

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ロアルド・ダール (Roald Dahl) 著
Penguin 出版

 おとな向けのロアルド・ダール作品を読んだのはこれが初めてで、児童向け作品のイメージが強かったせいか、この短篇集に感じられる、ある種の怖さが意外に感じられました。背筋の凍る悪夢のような怖さとは違い、怖いけれども見たいという思いに囚われるような怖さです。物語の終わりに待ち受けているであろう、大きく深い落とし穴がどんなものか見てみたいと思わせられます。

 以下の 11 篇に共通するのは、結末に至るまでに、極端に非現実的なシチュエーションや表現しにくい違和感が満ちていて、恐れと可笑しみが隣り合わせに感じられることです。

- The Landlady
- William and Mary
- The Way Up To Heaven
- Parson's Pleasure
- Mrs Bixby and the Colonel's Coat
- Royal Jelly
- Georgy Porgy
- Genesis and Catastrophe
- Edward the Conqueror
- Pig
- The Champion of the World

「The Landlady」は、恐ろしい女主人の正体がわかった気がするのに青年の立場からそれを認めたくないという不気味さがあります。「William and Mary」や「The Way Up To Heaven」には、積年の怨みを晴らさんとする妻に恐ろしさを感じるだけでなく、時代背景を考えると妻の気持ちがわかると思った自分も怖くなりました。

「Parson's Pleasure」では、アンティークショップの主人が、アンティークではないと偽って、高価な家具を二束三文で買い取ろうとし、「Mrs Bixby and the Colonel's Coat」では、Bixby 夫人が自身のものとしてが身につけることができないものを夫を騙して堂々と手に入れようとします。いずれも、小賢しく驕った態度が陥る罠の恐ろしさを思い知らされます。

「Royal Jelly」は、養蜂家の父親が乳児にローヤルゼリーを飲ませた話です。食欲のない乳児を心配する母親とローヤルゼリーの価値を過大評価する父親のすれ違いは日常的な不協和音に見えますが、母親の不安が伝わってくるせいで、洗脳されたような父親と乳児の成長が不気味に感じられます。エンディングでは、一気に恐怖の底に落とされたような感覚に襲われました。

「Edward the Conqueror」は、自宅にふらりとやってきた猫が、19 世紀に活躍した作曲家フランツ・リストの生まれ変わりだと信じる妻の話です。彼女の逞しい想像力に、物語の結末が気になって仕方がなかったのですが、個性のかけらも見いだせない夫の対応を結末として見せられ、一気に現実に引き戻されました。

 非現実的な設定で始まるものの、一種の幸運が続く「Pig」は、若者がしたたかな大人たちに財産をむしり取られるあたりから雲行きが怪しくなり、結末では宮沢賢治の「注文の多い料理店」が思い出されました。

「The Champion of the World」は、悪事を働いたふたりにどんな結末が待ち受けているのかと恐る恐る読み進めたのに、意外なことに、悪事は滑稽なかたちで暴露されることになります。

 これらの作品で、まったく理解できなかったのが、「Georgy Porgy」と「Genesis and Catastrophe」です。「Georgy Porgy」では、当事者の視点と外からの視点の乖離が描かれているのですが、神経を病んだ人の妄想をどう受けとめていいのか、わたしにはわかりませんでした。

「Genesis and Catastrophe」では、世界的大惨事を引き起こした、実在の人物の生まれが描かれています。第四子として生まれた彼の母親は、それまでに三人の子たちを亡くしているために、その子も死んでしまうのではないかと極度の不安に襲われています。読者は、その母親の痛みに寄り添いながら読み進めるでしょうが、中盤になって、その子が誰なのか判明します。その場面で、作者がどういった反応を読者に期待していたのか、わたしにはわかりませんでした。読者に、どう反応していいかわからない嫌な気持ちにさせたかったのでしょうか。

 表紙に 'Unnerving bedtime stories, subtle, proficient, hair-raising and done to a turn' San Francisco Chronicle とあります。

 不安を煽る絶妙な匙加減ということでしょうか。心配性のきらいがあるわたしには、「Charlie and the Chocolate Factory」のような作品のほうが向いている気がしました。
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2021年05月31日

「法廷遊戯」

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五十嵐 律人 著
講談社 出版

「無辜ゲーム」と「法廷遊戯」の 2 部構成になった小説です。前半の第 1 部では、ロースクールの模擬法廷で行われる無辜ゲームとはどんなものか、登場するのはどんな人物でお互いどう関係するのか、などが明らかにされます。後半の第 2 部では、第 1 部で主要な役割を果たした登場人物が、ゲームではない本物の裁判において、被害者、被告人、弁護人となって物語が進みます。

 法律用語が文中に登場しますが、都度わかりやすい説明が付され、理解しながら読み進められるようになっているだけでなく、法曹であろうとも人としての誤りから逃れられないこと、罪を犯した者たちが不起訴になるケースが多いこと、裁判は真実を明らかにするための場ではないこと、冤罪を晴らすことは不可能に近いことなどの事実を再認識できるようになっています。

 法制度、加害者家族問題、児童虐待、貧困問題など、正解のない問題が満載の作品ですが、わたしにとって一番印象に残っているのは、第 2 部で弁護人を務める久我清義を見て、『良心を持ち合わせること』と『他者に対しては想像力が働かないこと』は、最悪の組み合わせで、やりきれないと感じたことです。

 良心を持たなければ、他者に対する想像力がなくても、本人にとっては何ら不都合はないでしょう。(周囲の人々にとっては、迷惑そのものだと思いますが。)

 しかし、久我清義のように、良心を有したまま、逮捕されるリスクを無実の第三者に転嫁させる手筈を整えて罪を犯せば、罪を犯してまで手に入れたものを危うくしてしまいます。久我清義に起こった問題をこの先できるだけ起こらないようにするには、『自分だけでなく他者にも想像力を働かせる余裕』が必要なのでしょう。しかし、その難しさも同時にこの小説で示されているために、やりきれない気持ちが残ったのだと思います。
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2021年05月30日

「文章は接続詞で決まる」

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石黒 圭 著
光文社 出版

 接続詞について深く考えたことがありませんでしたが、わかりやすい説明に『確かに……』と納得させられ、学ぶことが多かった 1 冊です。

 納得の根底を成すのは、著者による『接続詞の定義』です。一般的には、『接続詞とは、文頭にあって、直前の文と、接続詞を含む文を論理的につなぐ表現である』とされていますが、著者は接続詞の役割に注目し、『接続詞とは、独立した先行文脈の内容を受けなおし、後続文脈の展開の方向性を示す表現である』と定義していて、その考え方が合理的に思えました。

 著者の定義では、一般的な定義では含まれない接続詞が 2 種類加わることになります。ひとつは、文と文以外をつなぐ接続詞です。具体的には、文より小さい単位の『語と語』、『句と句』、『節と節』をつなぐ接続詞、それから文より大きい単位の『段落と段落』をつなぐ接続詞が加わります。

 もうひとつは、文頭ではなく文末にくる接続詞です。著者は『文末に述語が来る日本語の場合、文頭と文末の両方で前後の文脈との関係を明確にするメカニズムが整って』いると言います。

 接続詞が文末にくると言われても、すぐにはピンときませんでしたが、『〜だけではない』という例は、わかりやすいと思います。『外国人横綱は曙だけではない。』とあれば、それ以降に曙以外の横綱が登場することが予測されます。つまり、著者の接続詞の定義にある『後続文脈の展開の方向性』が示されていることになります。

 この文末の接続詞を著者は、次のように分類しています。
1.『否定の文末接続詞』……読み手の心に疑問を生む「のではない」系と、ほかにもあることを予告する「だけではない」系
2.『疑問の文末接続詞』……疑問の終助詞「か」
3.『説明の文末接続詞』……文章の流れにタメをつくる「のだ」系と、理由をはっきり示す「からだ」系
4.『意見の文末接続詞』……『私』の判断に必然感を加える「と思われる」系と、慎重に控えめに提示する「のではないか」系と、根拠を示したうえで判断に至る「必要がある」系

 意外にも多くの文末接続詞があることに気づかされました。

 やや例外的に感じられる接続詞を先に書きましたが、一般的な定義に含まれる接続詞についても、以下のように、わかりやすく分類されています。一番上のレベルをローマ数字、次のレベルを算用数字、一番下のレベルをアルファベットで転載しました。

T.論理の接続詞
1.順接の接続詞
a.「だから」系
b.「それなら」系

2.逆説の接続詞
a.「しかし」系
b.「ところが」系

U.整理の接続詞
1.並列の接続詞
a.「そして」系
b.「それに」系
c.「かつ」系

2.対比の接続詞
a.「一方」系
b.「または」系

3.列挙の接続詞
a.「第一に」系
b.「最初に」系
c.「まず」系

V.理解の接続詞
1.換言の接続詞
a.「つまり」系
b.「むしろ」系

2.例示の接続詞
a.「たとえば」系
b.「とくに」系

3.補足の接続詞
a.「なぜなら」系
b.「ただし」系

W.展開の接続詞
1.転換の接続詞
a.「さて」系
b.「では」系

2.結論の接続詞
a.「このように」系
b.「とにかく」系

 こうして分類されたものを見ると壮観です。

 この本の最後に、接続詞を極力使わないほうがいいケースがあげられています。それは、『できるだけ事実に忠実に客観的に書きたいとき、前後の関係を限定したくないとき』です。接続詞の役割を網羅したあとでは、納得できる指摘です。

 この 1 冊を読めば、接続詞の足し算と引き算がそれまでよりもじょうずになる気がします。
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2021年05月18日

「結婚という物語」

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タヤリ・ジョーンズ (Tayari Jones) 著
加藤 洋子 訳
ハーパーコリンズ・ジャパン 出版

 タイトルにあるとおり『結婚』とは何か、どうあるべきかなどを問いかける物語です。もちろんその答えはひとつではなく、正解もありません。それを示すかのように、この物語の数少ない登場人物の結婚のかたちもそれぞれです。

 ただ、この物語に登場する夫婦の事情を追っていくうち、『結婚』という制度と人を愛し人生を共にしたいという思いは、別のものだということをわたしたちは忘れかけているのではないかと思いました。

 この物語の登場人物のひとりが、相手を愛しながらも『結婚』というかたちを敢えて選ばず、単に『一緒に人生を生きる』ことを選ぶのも、ひとつの答えとして納得できました。

 この物語の中心にいる夫婦ロイとセレスチェルは、結婚して 1 年半経ったある日、夫のロイが無実の罪で 12 年の刑に服すことになります。無実の罪でありながら辛い刑務所暮らしに耐えている自分を妻が支えてくれることを最大限期待するロイと、たった 1 年半しか夫婦として過ごしていないのに 12 年も待つことを期待されて戸惑うレイチェルの気持ちはすれ違っていきます。

 ロイとセレスチェルの結婚に対する考え方が異なることから起こるすれ違いに見えますが、実はそう単純なことでもありません。ロイとセレスチェルはともに黒人で、ふたりの家族も黒人です。つまり、彼らは社会に対して期待できることが相対的に少なく、そのぶん違うところに怒りが向かうようなのです。
 
 ロイが無実の罪で服役することになったのは、『間の悪いときに間の悪い場所に居合わせた黒人の男というだけだ。それだけのことだ』とセレスチェルの父親は言います。彼が費用を負担して、きちんとした弁護士をロイにつけて上訴手続きを進めさせていても、無罪になることはないという諦念が漂っています。

 セレスチェルは、夫婦の関係を確かにするだけの時間を過ごしていない相手への気持ちが薄れて夫とは別の道を歩みたいと思う本心と、結婚の際に約束したように死がふたりを分かつまでの愛を要求する夫とのあいだで気持ちが揺れて、結局は、夫として愛せなくとも、自分を夫に捧げようと観念します。

 ロイのほうは、罪を犯していない自分が刑務所に入ることによって、仕事も家族も失うのは理不尽であり、取り戻すことができない仕事は諦めるしかないにしても、せめて家族を取り戻そうと必死になり、セレスチェルやセレスチェルの恋人アンドレに怒りをぶつけ、妻としての役目を果たすよう迫ります。

 わたしが理解できなかったのは、無実の罪をきせた者たちに怒りを向けず、まるでセレスチェルが無実の罪をきせたことを償わなければならないかのような論理の流れになっていることです。何の非もないのに、仕事も家族も失うのは無慈悲だ、だからせめて妻は妻のままであるべきだという理屈に違和感を感じました。

 セレスチェルが、妻としてではなく友人としてあるいは妹のような家族として、経済的支援をじめとする支えを約束しても、ロイはそれを受け入れられず、怒りをおさめることもできません。

 無実の罪をきせられるという甚大な誤りをすっ飛ばして、妻が理不尽を贖うような考え方に違和感を感じると同時に、世の理不尽を押しつけられた者は、それをほかの人に向けてしまうものなのかと思うと悲しくなりました。ただ、ロイの最後の決断には救われました。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする