2021年02月06日

「枕詞の暗号」

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藤村 由加 著
新潮社 出版

 ミステリーのようなタイトルですが、枕詞に『秘めたる暗喩』があるという推測のもと、どのような解釈が成り立つか検討されています。

 取りあげられている枕詞は、いかるがの、あまとぶや、あをによし、とぶとりの、とりがなく・あさひてる、あさもよし、あらたまの、たまだれの、やすみしし、ちはやぶる、あしびきの、たらちねの、あまかぞふ、たまかぎる、たまぼこの、たまづさ・たまゆら、たまきはる、たまだすき、うつせみの、あぢさはふ、さざなみの、ひさかたの、ぬばたまの、そらみつ、あきつしま、しきしまの、やくもたつ、などで、かなりの数になります。そのほか、枕詞には分類できないであろう修辞語もいくつかあります。

 枕詞は『習慣的に特定の語につづけて、主文に関係なく直接下の語を修飾する』(平凡社世界大百科事典) とされていますが、歌は形式上、字数制限が厳しく、たいして意味もないことばを入れたりしなかったはず……というのが著者の意見で、その点はとても説得力がありました。『古代中国や朝鮮のことばや思想、そのすべてに秀でた歌人の手によって凝縮されたことばのエッセンス』が枕詞だったと著者は考えています。

 現実的には、この本で披露されている解釈が正しいかどうかはわかりませんが、解釈を読み進めていくうちに、その時代に中国や朝鮮から取り入れた文化や価値観などに触れることができる点は、優れていると思います。

 著者は、あとがきで次のように語っています。
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枕詞は実に多彩な色合いを放っていることに改めて驚いた。朝鮮語音、字形分解、字源、漢語を和語にしたもの、陰陽五行、易の思想など、すべて漢字という器があったからこそ成し得たことだった。
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 たとえば、学校で習った『春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天香具山 (春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山)』。なぜ、あめのカグヤマと香具山を天でわざわざ修飾しているのかは、説話の影響だと著者は考えています。天にあった山が地上に降りるときに分かれ、ひとつが倭 (大和) の香具山に、もうひとつが伊与 (今の松山) の天山になったという物語がもとになっていると言うのです。

 しかも著者は、このなかに五行説が盛り込まれていると解釈しています。まず、『香具山』は大和から見て東にあり、東は五行で『木』にあたります。季節の移り変わりを意味する『夏来たるらし』は、『木→火』への移行を指し、『白』が『金』をあらわすと推測しています。後半の『衣乾有天之香具山』のうち『乾』のひと文字が北を意味することから、五行の『水』(北の位置)にあたり、『天』で東の香具山に戻ると考えているわけです。

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 信憑性はともかく、知的な連想ゲームに思えました。
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2021年02月05日

「オビー」

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キム・ヘジン 著
カン・バンファ/ユン・ブンミ 訳
書肆侃侃房 出版

 以下の 9 篇が収められています。

−オビー
−アウトフォーカス
−真夜中の山道
−チキン・ラン
−カンフー・ファイティング
−広場近く
−なわとび
−ドア・オブ・ワワ
−シャボン玉吹き

 著者プロフィールによると、このなかの「チキン・ラン」が 2012 年に東亜日報の新春文芸に選ばれたことをきっかけにデビューした作家で、「オビー」が 2016 年に『今年の問題小説』に選ばれたそうです。

 周囲から肯定的な評価を得ることが少ないであろう人たちが数多く登場する短篇集です。「チキン・ラン」では、チキンのデリバリーをする男性と自殺しようとする男性のあいだで、悲壮感があるものの同時に滑稽にも聞こえるやりとりが繰り広げられます。

 「オビー」では、人との関わりが苦手なオビーが、Amazon の配送センターのような場所で非正規労働者として働き始め、陰日向なく勤めたにもかかわらず、職場で居場所を失っていくさまが描かれています。

 社会に必要とされてはいても低賃金で働く人々の暮らしは韓国も日本も似たような状況にあるように見えるいっぽう、まったく理解できない作品もありました。

「広場近く」は、見ず知らずの男から 6 歳の子供を預かった男の話です。そんな幼い子を他人に預けて仕事に行く無茶な設定が韓国ではリアリティをもって受け入れられるのかと驚きました。

「真夜中の山道」にいたっては、訳者あとがきの状況説明を読まなければ、どういった場面か理解できませんでした。説明によると、再開発が進む地域の強制撤去部隊として雇われた男たちと、籠城闘争を決起した人たちの側にアルバイトの市民運動家として参加する女が戦っているそうです。対価と交換に暴力をふるっている人々だということはわかりましたが、市民運動を生活の糧にして暴力をふるうといったことが、本当に世の中に起こっていると受けとめていいのか迷いました。

 韓国という国を垣間見ることができる短篇集でした。
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2021年02月04日

「嫌いなことから、人は学ぶ」

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養老 孟司 著
新潮社 出版

 嫌いなことからは遠ざかりたいと常に考えてきたので、嫌いなことからも何か吸収できるものなら、そうなりたいと思って、この本を手にしました。

 しかし、嫌いなことから学ぶことをテーマにした本ではありませんでした。「考える人」2005 年春号から 2008 年冬号までに掲載された内容がもとになっていて、テーマは多岐にわたっています。巻末の内田樹氏との対談のみ、この本のために追加されたそうです。そのため、「まともバカ―目は脳の出店」を読んだときと同じように重複による煩わしさを多少感じました。

 イメージしていたのとは少し違う内容でしたが、確かにそうだと納得して学べたことが数多くありました。それと同じくらいわからないこともありましたが、わからなかったことをどう受け止めればいいかは、内田氏が対談で語っていた内容が印象に残りました。

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『わからない』というのは、『わからないので今すぐ教えてください』という話ではなく、『この辺がわからないけど、気長に片付けよう。まだ自分には修業が足りないので』という『わからなさ』だからいいんです。『わからないから教えてください』というのは横着なんですよ。読んでわからないのは、わかるだけのレベルに達していないということなんだから、『ああ、わからない、わからない』と思いながら、『デスクトップ』に置いておけばいいんです。デスクトップに置いてあると、いつも気になっていて、何年かたって開くとささっと読めた、ということになる。だから、たくさんわからないところがある本はよい本だとぼくは思っているんです。そこから始めればいいんだから。
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『わからない』から読まないでもなく、『わからない』から訊くでもなく、『わからない』から修行を始めるという考え方には、はっとさせられました。逆に、読んでわかったことというのは、わかるための修行が終わっている状態で、ただ理解できていることの存在に気づかされただけなのかもしれません。

 養老氏が語っていたなかで、腑に落ちたのは、世界の見方は、言語の性質に影響を受けているという考えです。

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階層性の感覚は、日本人には乏しいといわれる。それは文章に関係代名詞が欠けているからだ、と。関係代名詞があると、単一の文章のなかに、主と副という「階層」が発生する。西欧語では、こうした階層が日常的なのである。しかも階層は一段階あればいいので、あとはそれこそ『同じこと』を積み重ねていけば済む。もう一つ、すでに古く論じたことだが、西欧風の還元主義はアルファベットと関係している。私はそう思う。英語であれば、26 文字と空白、コンマ、ピリオドで世界を描くことができる。それなら世界のあらゆる物質を、百の原子の集まりとして記述することに、抵抗感がなくて当然である。こうして世界の見方は、当たり前だが、言語の性質に大きく依存する。言語は意識の機能で、それなら科学を論じるよりは、そちらを論じるほうが先ではないか。というふうに話はどうしても意識の一般的性質に戻る。しかも世界のあらゆる言語は、意識の性質をよく反映しているはずである。それなら同一性、差異、階層性、こうしたすべては意識が基本的に持っている性質に違いない。意識のそうした基本的性質を吟味することが、本来の哲学の役割であろう。これを意識の博物学といっていいだろうと私は思う。ところが意識の博物学が意外にかけていたのである。私が教育を受けた時代に、すでに博物学は時代遅れの学問だったからである。意識にはどれだけの種類があるか。それすらよくわかっていない。
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 IT 業界の仕事を長くしていると、文字の数がさまざまなことに大きく影響してきたことを実感します。しかし、還元主義とも関係していたとは思いもしませんでした。世界の見方、特に還元主義と言語の性質の関連性は、興味深いテーマでした。

 ただ、『意識の種類』には、具体的にどういった例があるのか、ピンときませんでした。これから修行したいと思います。
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2021年02月03日

「天空の蜂」

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東野 圭吾 著
講談社 出版

 東野圭吾ファンの父から譲り受けた本なので、いつ頃出版されたのか知らずに読み始めました、原子力発電所の安全性に対する『本音と建て前』が見え隠れする設定なので、福島第一原子力発電所の問題を機に書かれた作品かと思ったのですが、1998 年が初版でした。2015 年 7 月で 68 刷となっているので、東日本大震災以降も、たびたび増刷されたのかもしれません。

 わたしを含め、日本人の多くが原子力発電所の見せかけだけの安全神話に疑いの目を向けることもせず、ずっと過ごしてきたことを指摘されたように感じました。

 タイトルの「天空の蜂」とは、防衛庁が発注した、大型の新型ヘリコプターを指しています。そのヘリコプターがメーカーから防衛庁に引き渡される日、犯人は、それを盗み、自分たちの要求をのまなければ、ヘリコプターを高速増殖炉原型炉に墜落させると脅迫する事件を起こします。

 政府も、高速増殖炉関係者も、何が起ころうと放射能漏れは起こらないという建て前を崩さず、そのいっぽうで何が起こるかは予想がつかず、犯人を見つけるため、ヘリコプターの墜落を阻止するため、最大限の人員を動員します。

 しかし、その犯人は、読者に対して早々に明かされます。この作品は、フーダニットではなくホワイダニットなのです。最後に動機が明かされたとき、その動機や犯人像によって読後感が変わるかと思いますが、今回明白に動機が明かされるのは半分だけです。ふたりいる犯人の片方の視点でのみ語られ、もう片方については政府が動機を把握しているものの、その隠蔽体質により語られることはありません。

 政府の隠蔽体質は、リアリティある設定ですが、謎解きとしては半分が残り、読後感はすっきりしません。ただ、この小説は、謎解きを楽しませるより、わたしたち普通の人が、原子力発電所のように自分たち自身のために存在するものにもっと意識を向けさせるために書かれたように感じました。
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2021年01月23日

「PK」

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伊坂 幸太郎 著
講談社 出版

 伊坂幸太郎といえば、ある短篇で張られた伏線が別の短篇で回収されるといったパターンや、ある短篇で脇役で登場した人物が別の短篇でクローズアップされるといったパターンの短篇連作を得意とするイメージを思っています。たとえば「ラッシュライフ」を読んだあとは、その緻密な伏線に驚きました。

 この短篇集を読み終えたとき、つまらなかったとか面白かったとか、何かしら感想が浮かぶ前に、小説の世界についていけていたのか自問してしまいました。何が伏線だったのか、あるいは何が事実だったのか、一見相容れないように思われる事柄は本当につながっていたのか、いろいろなことに確信がもてませんでした。

 短篇は、全部で 3 つです。

−PK
−超人
−密使

 あるできごとが「PK」でも「超人」でも語られているのですが、細部が異なり、本当に同じできごとなのか確信がもてずにいると、最後の短篇「密使」でいきなり、タイムトラベルが可能な舞台設定が明かされ、さらに他人の時間を盗むことができる『時間スリ』という行為も存在する、つまり一連の作品がサイエンスフィクションだったと判明します。

 その時点で、密使が「PK」と「超人」の世界で何かを変えた、あるいは変えようとしているのではないかと思ったものの、漠然としか理解できませんでした。短篇同士がどういう関係にあるのか、巻末の解説を頼りに理解しようとしても、解説者も正解は持ちあわせていないようでした。

 読む側に委ねられる部分が多い作品で、それを楽しめる方々に向いているように思います。
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2021年01月22日

「代償」

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伊岡 瞬 著
角川書店 出版

 インタビューを受けた作者が『全く人を顧みない、全く反省しない根っからの悪を書いてみたいと思い書き始めた』と語った作品です。

 作者の言う『根っからの悪』を象徴する登場人物、達也は、小学生のころから、表の顔と裏の顔を使い分け、人をいたぶり弄ぶことが心底好きで、良心などとは無縁です。そんな達也の標的にされた者のひとり、圭輔は、達也の遠縁にあたり、達也に翻弄され大きく運命を狂わされます。

 ある日、圭輔の両親は達也の罠に落ち命を落とします。残された圭輔の後見人に名乗りをあげたのは達也の義母である道子で、圭輔は、達也と道子と暮らし、辛い子供時代を過ごします。

 のちに圭輔は、あることをきっかけに悪行三昧の『代償』を達也に払わせられないかと考えるようになります。

 達也のように、深く事情を知らない善意の第三者を味方につけながら、自分が有利な立場になるよう、思うままに人を操りものごとを運ぶことに長けている狡猾な人を知っているだけに、圭輔に深く共感しながら読んでしまいました。同時に、達也が代償を払う羽目になるという結末はわかっていても、どのようにそこへ追いつめられるのかが気になりました。

 シンプルすぎるくらいシンプルな善と悪の対立を描いた、いわゆるページターナーです。悪が負けるところを疑似体験できたという意味では、一種の爽快感を楽しめました。
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2021年01月10日

「The Testament」

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ジョン・グリシャム (John Grisham) 著
Dell 出版

 ジョン・グリシャムといえば、リーガル・サスペンスです。本作品では、30 人近い弁護士が登場しますが、要となる役割を担うのは、アルコール依存症から立ち直ろうとリハビリ施設で暮らす Nate O'Riley です。

 Nate が施設を出て、アルコール依存症から立ち直り、離婚した妻たちや別れて暮らす息子たち・娘たちとの関係を再構築しようと決め、新たなキャリアを手に入れるまでの再生物語が小説のひとつの軸となっています。もうひとつの軸は、タイトルにある The Testament (遺言) に関係する、両極端な生活を送る人々の群像劇です。

 遺言を残した Troy Phelan が有する財産は約 110 億ドルと桁外れな金額です。彼が 3 度結婚してもうけた 6 人の子どもたちが、その財産を当てにして真面目に働いたり学業に励んだりすることなく自堕落な生活を送っていたところ、Troy は、認知すらしなかった Rachel Lane に自らの財産を託し自死してしまいます。

 法定相続人である 6 人は、それまで Rachel の存在さえ知らず、思いもしなかった遺言の内容に腹を立てて遺言が無効だと申し立てるべく、金に群がる弁護士たちを総勢 22 人雇います。弁護士たちは、醜い駆け引きと策略の数々を繰り広げ、そのさまは、読んでいて驚くやら呆れるやらで、真実や正義などということばが吹っ飛ぶような展開ですが、リアリティに満ち満ちています。

 そのいっぽう Rachel は、ブラジルとボリビアの国境付近でキリスト教の布教に努めながらつましく暮らし、金銭とは無縁に生きています。大金を得る正当な権利を有するものの大金には何の興味も示さない Rachel と米国にいる法定相続人たちのギャップがあまりにも大きく、読んでいて、法定相続人の勝利は見たくないものの、Rachel が大金を受けとるとも思えず、結末が気になって一気に読み進めてしまいます。

 結末は思いもしなかったものですが、それまで描かれてきたそれぞれの人物像を裏切るものではなく、ハッピーエンドではなかったものの、不正がまかり通ったわけでもなく、世の中がこんな感じなら希望がもてると思いながら読み終えることができました。
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2021年01月09日

「投資 1 年目の教科書」

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高橋 慶行 著
かんき出版 出版

 老後 2000 万円問題が話題になり、なんとなく証券会社に口座を作ってみたものの、どう投資していいのかわからず、手にした本です。

『なんとなく』始めたほうがいいと思ったぐらいの感覚なので、この本から学ぶべきことばかりなのですが、読み始めてまず驚いたのが、目標値です。著者は、目標利益として、年利 30%〜40% という数字をあげています。これは、100 万円で始め、年利 36% で計算すると、10 年経過したとき、約 2000 万円増えている計算です。

 夢のような話なのですが、意外にも説得力がありました。理由は、著者が『大数の法則』を根拠としてあげているからです。(大数の法則とは、試行回数が大きければ大きいほど、結果として得られる出現率は理想の数値に近くなっていくというものです。コインを投げて表が出る確率は、数回だけではわかりませんが、何百回いえ何千回と投げていけば、ほぼ 0.5 になります。)

 著者は、およそ 3 分の 2 の確率で利益を得られることを淡々と続けていけば、この利益目標を安定的に達成できると主張しています。そして、その 3 分の 2 くらいの確率で利益を得られるような状況を見極めるために必要な知識、たとえば、ローソク足の見方、移動平均線の見方、トレンド相場とレンジ相場の違い、ダウ理論の理解、グランビルの法則の理解などを説明しています。

 これを一読して実践できるほどの理解力がわたしにはありませんが、著者が語る、メンタルをコントロールし『淡々と』トレードを続けていく重要性は、なんとなく理解できました。ただ、かなり詳細な記録を残すことを勧めていますし、仕事に追われながら片手間にこなすのは難しい気がしました。
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2021年01月08日

「NO HARD WORK! 無駄ゼロで結果を出すぼくらの働き方」

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ジェイソン・フリード/デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン (Jason Fried/David Heinemeier Hansson) 著
久保 美代子 訳
早川書房 出版

 タイトルを見て、にわかには信じがたいと思いましたが、著者たちがソフトウェアパッケージの開発を仕事としていることを考えると、いくらか現実味が感じられました。

 著者たちが共同創設者のベースキャンプ社で無駄だと考えることを実際に読み進めてみると、これまでわたしが大勢に抗えず口に出せずにいたことや、ずっと目を逸らしてきたけれど本当はそうすべきではないかと頭の片隅で思ってきたことが数多くありました。そのいっぽう、本当に思いつきもしなかったこともありました。

 わたしの勤務先の方向性とはまったく異なるものの、強く頷いてしまったのは『人が何かを好むか嫌うかを問題にするが、人はしばしば、好き嫌いより、使い慣れているかどうかを重視して、慣れているものがいいと考えるものだ。それを奪うのは暴力的な行為で、親切ではない』という部分です。

 これはソフトウェアのアップグレードの話です。ベースキャンプ社は、驚くことに、21 年にわたってリリースしてきたすべてのバージョンをサポートし続けています。もちろん古いバージョンをサポートするのにもコストはかかりますが、それはかつて自分たちが生み出した『遺産の維持費』と考えています。

 わたしの勤務先では、フィーにつき一種の従量制を採用しているプロダクトでは、多くのユーザーが使って大量のデータを処理している場合、つまり多額のフィーをいただいている場合、例外的に古いバージョンをサポートすることがあります。しかし、ベースキャンプ社ではユーザー数が多かろうと関係なく 1 社あたりの請求額をすべて統一しているため、このような発想は生まれようがありません。

 彼らの一律定額料金制度は、ズバ抜けて高い支払いをしている顧客、つまり要望を優先させなければならない顧客を生まず、自分たちの意思とさまざまな顧客の声に基づいてソフトウェアをつくる自由をもたらしたというわけです。業界の常識に捉われてきたわたしが思いつくことができない発想です。

 そのほかベースキャンプ社では、提案者が練りに練って会議で発表したことに対し、その場で聞いた人々が条件反射的に意見を言うのをやめて、文章化された提案を検討し、条件反射ではないフィードバックをすることにしています。また、さまざまな知識や経験を有し、周囲から頼りにされている人材が、自身の業務に支障をきたすことがないよう、大学のオフィスアワーのように相談を受ける時間を定めたりする工夫も実施しています。

 大きな気づきや参考になる小さな事例が詰まった本でした。
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2020年12月15日

「狭き門」

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アンドレ・ジッド (André Gide) 著
山内 義雄 訳
新潮社 出版

愛と同じくらい孤独」でジッドの名があげられているのを見て、そういえば……と思い出して引っ張り出してきた本です。

 タイトルは、主人公ジェロームが牧師に読み聞かされたルカ伝第 13 章 24 節から来ています。『力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路 (みち) は広く、之より入る者おおし、生命 (いのち) にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし』。

 このひたすら精進することを求めるようなことばを受けてジェロームがその思いを向けたのは 2 歳年上の従妹アリサで、アリサに相応しい自分であるべく最大限努めると決めます。当のアリサもジェロームに好意を寄せ、より一層自分を高めようと決めますが、ふたりはハッピーエンドを迎えませんでした。

 アリサが考える愛や幸福は、当時の女性が思い描くようなものでもなく、ジェロームが期待するようなものでもなく、神とともにあるものでした。彼女は、日記にこう書いています。
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 いかに幸福なことであっても、わたしには進歩のない状態を望むわけにはいかない。わたしには、神聖な喜びとは、神と融合することではなく、無限にして不断の神への接近であるように思われる……もし言葉を弄することを恐れないなら、わたしは《進歩的》でないような喜びを軽蔑する、と言ってもいいだろう。
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 神への道を進もうとするアリサは、こうも書いています。
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 主よ、ジェロームとわたくしと二人で、たがいに助けあいながら、二人ともあなたさまのほうへ近づいていくことができますように。人生の路にそって、ちょうど二人の巡礼のように、一人はおりおり他の一人に向かって、《くたびれたら、わたしにおもたれになってね》と言えば、他の一人は《君がそばにいるという実感があれば、それでぼくには十分なのだ》と答えながら。ところがだめなのです。主よ、あなたが示したもうその路は狭いのです――二人ならんでは通れないほど狭いのです。
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 アリサは、そう結論を出して、ひとり神のもとへ旅立ちました。宗教をもたないわたしは、そんなアリサに共感できませんでしたが、ジッドがアリサという登場人物に羨望にも似た優しいまなざしを向けていたように思えました。

 巻末の解説によると、ジッドの妻マドレーヌがアリサのモデル的存在だったそうです。
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